第151話 モブ令嬢と茶会直前の喜劇

「奥様……よくお似合いです」


 お茶会の時間が近づき、ドレスの着付けと髪の結い上げを手伝ってくれたメアリーが、表情に薄らと優しい雰囲気を纏わせてそう言いました。

 私は姿見に映った自分のドレス姿を目にいたします。

 上半身は身体の線をすっきりと見せるように、身体にピタリとして腰のあたりが引き絞られ、腰から下は大きな花弁の花が下を向いて咲き誇っているような、最近流行の形をした青色基調のドレスです。

 実はこのドレス、ノーラ様より贈られた物です。

 あの王家の茶会のおり、以前のドレスは、吐血した旦那様を抱き支えたことによって大きく血に濡れてしまいました。

 さらにあの後、私が旦那様の手を取ったまま気絶してしまったことで、ドレスを脱がすこともできず、最終的に切断することとなってしまったのだそうです。

 私が目を覚ましたときには、王宮の侍女たちによって血に濡れた身体は、旦那様共々拭き清められておりました。

 ……あの時は私、旦那様の容態にしか意識が向いておりませんでした。

 旦那様と手をつないだ状態でベッドの中に裸で並んでおりました事を思い出して、いまになって頬が熱くなってしまいます。

 あの時の事は、私が目を覚ました後、旦那様には夜着を着せましたので、彼はご存じありませんけれど……。

 きっとお知りになられたら、その赤面具合は私の比ではないかもしれません。


 このドレスは、その時の事を気にしてくださったノーラ様が、あの後、我が家に王家お抱えの服飾師を寄越して、私の身体に合わせて仕立てて下さったのです。

 このドレスはそのような経緯がございますので、今回の茶会に間に合うように数日前に届けてくださいました。


「フローラ、本当に……よく似合っているわ。これまで、ずっと私の物を仕立て直していたので、流行からは外れていましたし……」


 お母様が僅かに瞳を涙に濡らしております。

 ご自分のことにはおおらかで、あまり頓着のないお母様ですが、私の事になると時折このように感情を揺さぶられてしまうようです。


「私、あまり最近のドレスが似合う体型ではございませんし、お母様の仕立て直してくださったドレスは安心して着ていられました」


 その……お母様もメアリーも似合っていると言ってくれましたが、胸元と肩口のあたりが広く見えておりますし、少々露出が多くてドキドキしてしまいます。


「フローラ、そろそろお客様たちが到着する時間だけど準備は…………」


 そのようの仰りながら騎士の礼服へと着替えた旦那様が化粧室へと入ってまいりました。


「……旦那様?」


 そう声を掛けたのは、私を目にした途端旦那様が固まってしまったからです。

 旦那様は、まじまじと私のドレス姿を見つめてきます。

 私、彼の視線を受けて、全身が熱くなってきてしまいました。肘のあたりまである長手袋から外れている素肌が、赤く色づいていくのが自分でもハッキリと分かります。


「…………綺麗だ……」


 旦那様はぽつりとそう仰いますと、私に近付いてきて私の頬に愛おしそうに手を添えます。

 この流れは……旦那様……、あの、嬉しいですが、お母様とメアリーが……。

 旦那様は私しか目に入っておられないご様子で、クイッと私の顎を持ち上げました。


 ……そうして旦那様のお顔が近付いてきます――が、「オワォッ!」と、そう飛び跳ねるようにしてズザッと背後に下がりました。


 それは、メアリーがわざとらしく咳払いをしたからです。


「ご主人様……辛抱たまらんのは分かりますが、化粧直しの時間はもうございませんのでご自重ください。大奥様も居られますし……」


「はっ、母上……そっ、その……お見苦しいところをお目にかけてしまって……申し訳ございません」


 メアリーに言われて、旦那様はお母様に振り返りますと、それはもう身が縮むのではないかと思われるくらい恐縮してしまいました。

 ですがお母様は、それはそれは優しい光を湛えた瞳で、おおらかな微笑みを浮かべます。


「いえいえ……二人の仲睦まじいところを目にできて嬉しい限りです。フローラ……貴女はグラードルさんに愛されて、本当に幸せね」


「……はい、お母様。私、日一日と、旦那様と夫婦になれたことの幸せがつのるばかりです。……旦那様とのこの出会いを与えてくれた七大竜王様に感謝してもしきれません」


「フローラ……俺も同じ気持ちだよ」


 私の言葉に追従するようにそう仰って、旦那様は私に優しく笑顔を向けてくださいます。

 すると化粧室の入り口からシュクルが飛び込んできて、私にポフリと抱きつきました。


「ぶぅぅぅぅぅぅーーーー。ママ、シュクルは? ――シュクル、ママとパパと一緒にいられて嬉しいの!」


 どうやら旦那様の後から付いてきていたようです。


「もちろん、シュクルを私と旦那様の元へと託してくださったクルーク様にも感謝しなくてはね。それに、シュクルもそのドレス、お母様が仕立て直して下さったのね。とても似合っているわ」


 シュクルが身に纏っているドレスは、私が子供の頃に着ていた物です。

 子供用のドレスは大きく流行に左右されませんので、以前のままでも大丈夫だったのでしょうが、お母様は少しでもシュクルを可愛く見せてあげようと、頑張って仕立て直しておられました。


「むふぅ~~~~~~っ。シュクル似合ってる?」


「ああ、シュクルもとっても似合ってるし可愛いよ」


 旦那様は、シュクルの両脇を抱えて高く持ち上げるとその場でクルクルと回りますと、シュクルは笑顔でキャァ~~~~とはしゃぎます。

 そのような事をしておりましたら、化粧室の入り口にトニーがやってまいりました。


「旦那様、茶会の始まる前にリュート様がご友人を紹介したいそうです、エントランスの方に来ておられますのでご足労お願いいたします」


「リュート君の友人? ……って事はアイツか……」


 何故か、トニーの言葉を聞いた旦那様が、瞳に危険な光を湛えました。

 そういえば……以前旦那様が、リュートさんのご友人に対して、何やら不穏な事を呟いておられたような気が……。





「初めましてグラードル卿。データ・レドネー・ケントニスと申します」


 リュートさんに伴われてやって来たのは、リュートさんと同じ教室で常在学の授業を受けているケントニス男爵家のデータさんでした。

 乾いた土のような黄色っぽい髪に、明るい水色の瞳をした、少し――軽薄といいましょうか軽い感じのする方です。

 ケントニス男爵家は爵位の継承権を持つ男爵家ですが、データさんは次男で学園卒業後は、法務部か財務部への出仕を望んでいるそうです。それ以外にも見分を広めようと冒険者組合に登録しておられて、リュートさんとご一緒に依頼をこなしておられるそうです。

 サロンでの会話の中でそのような事を仰っているのを耳にした事がございます。


「うんうん、君のことはよく知っているよデータ君……」


 にこやかに挨拶をしたデータさんに、旦那様はさらに盛大に作られたような笑顔を浮かべて近付きますと、グイッとデータさんの肩に腕を回しました。


「それは光栄……え? ……あっ、あの……え!?」


「君のことはホ~ント、よく知っているよ。学園の女子の情報を、それはよく調べているらしいね……その中にはフローラの情報もあるのかな? ……ちょっとこっちで話をしようか」


 旦那様はデータさんの肩に回した腕をがっしりと固定して、ズリズリと彼を応接室の方へと引きずってゆきます。


「あっ……あの、グラードル卿……ちょッ。……リュート……たすけて…………」


 データさんは、涙目でリュートさんに手を差し出しました。

 当のリュートさんは、ポリポリと頬を掻きながら、呆れ笑顔を浮かべております。


「データ……そのことに関しては、ボクも、一度しっかり注意してもらった方が良いと思うよ……」


「リュートの裏切り者~~~~~~~~」


 そうして、データさんは旦那様によって応接室へと連れ込まれてしまいました……。

 その後しばらくして、いい笑顔の旦那様とうつろな目をしてグッタリとしたお顔のデータさんが応接室から出てまいります。


「……忘れました……忘れましたから……フローラ嬢の情報は二度と思いだしません。考えようともしませんから……許してください…………」


 うつろな表情のデータさんが、何やらブツブツと呟きながらこちらにやってまいります。


「ヒッ! ごめんなさい! 僕が間違っておりました、学園の女性の情報を探るなどという事はもう二度といたしませんから許してください!」


 私と視線が合った途端、データさんが顔を引きつらせて私にそのように謝罪いたしました。

 旦那様!? いったいデータさんに何をなされたのですか!? 犯罪になるようなことはなさっておられませんよね!?

 目を見開いて旦那様に視線を向けますと、旦那様は何かを成し遂げたような誇らしげな笑顔を浮かべて、握った手の親指だけを上にあげて私の方に差し出して見せました。

 あの旦那様!? ……本当に大丈夫ですよね?

 と、招待客の皆様がいらっしゃる少し前にこのような事がございましたが、その後、次々とやって来たお客様への対応で、私はその時の戸惑いをすっかり忘れてしまいました。

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