第138話 モブ令嬢と癒やしの巫女と魔導爵の過去
私、教室に入ってから気が付いたのですが……、馬車での移動を考えてあの時間に待ち合わせていたのでした。
つまり……、屋敷から歩いてきたアルメリアは見事に遅刻いたしました。
教諭に二日連続で絞られることとなってしまいましたが……頬を紅潮させて――その、少し呼吸も浅くなっているように見えます……彼女のあの様子は……。
状況を考えましても、ワザとではないはずです……ですよね!?
……ああ、このように考え込んでしまうので、旦那様はとりあえず
その後は厄介ごとも起こらずに授業を終えて、本日は旦那様と待ち合わせて七竜教の神殿へと向かいました。
それは昨日、ライオット様が旦那様に、盗難された黒竜の邪杯探索への協力を要請されたからです。
ライオット様は、旦那様の秘密をご存じではございません。ですがアンドリウス陛下が旦那様の見識を買っておられることを鑑みられたのでしょう。
この調査にはアンドゥーラ先生もご一緒で、ライオット様と旦那様の三人はボーズ神殿長の案内で、地下にあるという封印の間を調べております。
さすがに学生の身である私を調査に加えるわけには行かず、ライオット様は『なになに、奥方ならば、グラードル卿からの話を聞くだけでも何かしらの力になるだろう』仰って、地下室へと向かわれました。
「フローラさんも大変ですね。あのように騒がれては一人で外を歩くこともままならないのではございませんか?」
私は、旦那様たちを待つ間、巫女長であるサレア様の応接室に通されて、お茶を頂きながら彼女と向き合っております。
オルトラント王国建国以前より存在する古い神殿の部屋は、それは厳粛な雰囲気に包まれていて大きな声を出すのがためらわれます。
「はい……、あれから半月ほど経ちましたが、いまだに我が家の周りにやって来る人たちの数が減らず、それどころか増えているかも知れません。どうも白竜の愛し子であるリュートさんや、聖女であるマリーズが、貴宿館に滞在なされていることが知れてしまったようなのです。第二城壁内の方々だけでなく、第三城壁内の方々まで足を運んでいるようで、周囲の館の方々に迷惑を掛けてしまい、心苦しく思っております」
「ああそういえば、マリーズがそのような事を言っておりました。ここ最近は私たちまで追い回されていると……。道の往来を封鎖するわけにもまいりませんし、市街警邏の方々も頭を悩ませているかも知れませんね」
「クラウス様付きの近衛騎士の方々が門を見張っていてくださるので、幸いにも敷地内に侵入なさる方はおりませんが少々気疲れいたします」
ですがその気疲れは、シュクルのおかげで少しは癒やされております。
ただ、肉体的な疲労はそれ以上であるかも知れません。
特に旦那様は……。
「そうですね。私もクルークの試練を達成した後、しばらくの間は一目その顔を見ようという人たちが神殿にやって来て、往生したことがございました。フローラさんはそれ以上の活躍をなされましたし、考えてみればクルークの試練達成者全員が屋敷に居るのですから、しばらくは耐えなければならないかも知れませんね」
考えてみるとサレア様の仰るとおりなのですが、私以外のクルークの試練達成者は、いまだに一部の方しか知らないはずなのでそれで人が増えているわけではないと思います。ですが、報償式典では発表される事となるでしょうから、そうしますと……ああ、頭が痛くなってまいりました。
私はその思いを振り払うようにして、話題を変えることといたしました。
それは、以前よりサレア様に聞いてみたいと思っていた事柄です。
「ところでサレア様。私、お伺いしたい事があったのですが、よろしいでしょうか?」
私のその言葉に、サレア様は何やらその発言を待ってでもいたように微笑みました。
「もしかして……アンドゥーラとライオット様のことかしら?」
「……お分かりでしたか」
サレア様は静かに頷きます。
「ええ、二人と面識があって、アンドゥーラのあの様子を見ていれば疑問に思うのはしかたございませんもの」
「何で――アンドゥーラ先生は、あのようにライオット様を毛嫌いしておられるのでしょうか?」
サレア様は、右の頬に軽く手を添えて、少し考え込みました。
「フローラさんは、アンドゥーラと私たちが出会ったのが、前回のクルークの試練のときだったことは知っているかしら?」
「はい、先生より伺っております」
「それなら話は早いわね。……あの頃のアンドゥーラはまだ、痩せぎすで今のような艶やかな感じではありませんでした。それに、とても頭が良いものだから少し周りを見下しているようなところがありました。……あの時の私の第一印象は、なんて生意気な娘でしょうというものでしたしね」
サレア様は、少し冗談めかした笑い方をいたしました。
「ただ、アンドゥーラも根はあのような性格です。……ライオット様は、当時から今と変わりありませんでしたけど、あのとおりとても頭の回転の速い方でしょう……ですから初めは、私よりもずっとライオット様に懐いていたのですよあの子……。それは意気投合していて、試練の迷宮攻略のなか、二人の戯れた様子に皆、救われたものでした」
確かに、迷宮の探索は薄暗い地下で長い時間過ごしますので気の滅入るものでした。あのお二人が戯れた様子で居られたのならば、それは微笑ましい光景だったのではないでしょうか。
「いったい……何があって今のようなご関係に?」
私のその問いにサレア様は、また頬に軽く指を添えて、過去を思い出すように部屋の一点を見据えました。
「……私は、直接目にしたわけではないのですが、そうですね……。以前エヴィデンシア家にセドリック様たちと伺った時に、バジリスクに襲われた話をいたしましたでしょう。……その切っ掛けを作ったのがライオット様らしいのです。アンドゥーラはその折りに、ライオット様の中に何かを……そう、彼女にとって、とても恐ろしく感じられる何かを、目にしたらしいのです。……あの後、毒を受けたセドリック様たちに癒やしの術を掛けて、以前話したようにバジリスクが即効性と遅効性の二種類の毒を持っていることが分かったわけですが……、あの
サレア様は過去を懐かしむように、涼やかな水色の瞳が納まる目を細めて微笑みます。
それは、ご結婚なされていない女性に言うのは失礼かも知れませんが、とても母性を感じさせる表情でした。
私がそのように感じながらサレア様を眺めておりましたら、私の視線に気付いた彼女は言葉を続けます。
「……ああ、ごめんなさいね。でも本当にあの時のアンドゥーラは可愛かったのよ」
もしかして、その時の思いからお二人の今の関係が築かれているのでしょうか。お二人は友人ではありますが、その、失礼ながら時折母親と娘のように感じられるときがございますし……。
「それで……サレア様は、アンドゥーラ先生はその時にライオット様に何を見たと考えておられますか?」
「私も、考えましたが……それについては未だによく分かりません。ただあの時、あの子がぽつりと吐き捨てたことを覚えています。『自殺志願者の介添えなんぞできるか。それに巻き込まれるのもまっぴらごめんだ』と……。とても信じられませんが、その自殺志願者というのがライオット様であるのなら、あの方は私たちには見せない一面を隠し持っているのかも知れませんね」
ライオット様が自殺志願者? 確かに、とても信じられません。
ですが、アンドゥーラ先生が以前ライオット様のことを話されたときに、あのような人間が、仕える主筋に居ることに悲嘆に暮れた。とか仰っていたことがございました。それは、そのことを指していたのでしょうか?
「あの後から、アンドゥーラは決して自分からライオット様に近付こうとはしなくなりました。そしてクルークの試練を達成して王宮での報償授与の式典以降は、ライオット様との接触はなかったのではないでしょうか。私にはアンドゥーラが意図的に避けていたように感じられました」
「そのような事があったのですか……。それでは、あの王宮でのお茶会でお二人は久しぶりに顔を合わせたのですか?」
「……ええ、そうですね。私は、捜査局のお仕事の関係で神殿を訪れたライオット様と何度か顔を合わせたことがございます。ですが、アンドゥーラは殆ど学園の個室か館に籠もって研究に明け暮れていたようですし……あれから六年。彼女ももう完全に大人の女性ですが、今でもあのような接し方をするということは、心の内では未だにライオット様の事を恐れているのかも知れませんね……」
アンドゥーラ先生の、あのライオット様へのつっけんどんな態度が、恐れを誤魔化すためのものだとサレア様は仰います。
先生の心の内は複雑すぎて、いまの私には、まだ理解できたとはとても申せません。ですが……
「サレア様のおかげで、僅かですがこれまで感じていた疑問が氷解したような心持ちです」
「そうですか、力になれたのでしたら何よりです」
サレア様はそのように仰って、優しく微笑みかけてくださいました。
その後すぐに、封印の間の調査を終えた旦那様たちが戻られ、私たちはマリーズの馬車に相乗りさせて頂いて、屋敷へと帰る事となりました。
マリーズの馬車は六人乗りですので、旦那様と私、そしてミームさんが同じ席に座り、対面にリラさんとマリーズが座っています。
「……旦那様? 袖口に何か付いておりますが」
黒竜騎士団の軍装である騎士服の袖口に、何やら黄色い粉末のようなものが見えました。
「ああフローラ、ちょっと待って、払わないで」
私が、袖口の汚れを払おうと致しましたら、旦那様に止められました。
「……聖櫃が置かれていた台座を調べていたときに付いたのかも知れない……。こんなものでも何かの証拠になるかも知れないからね」
旦那様はそのように仰いますと、手巾を取り出して袖口に付いた粉末を手巾の上に落としました。
彼はその手巾を大事そうに折りたたんで胸の隠しへと納めます。
「グラードル卿は、騎士よりも捜査官のほうが向いているように見えますね。外見は軍人っぽいですけれど、いつも、とても細やかに周囲を見ておられますし」
今の様子を見ていたマリーズが何気なく言い、前世で、警察官という捜査官のような職業に就こうとなされていた旦那様は、少し嬉しそうにその言葉を受け取っておられました。
そのような遣り取りがあった後は何事もなく、馬車は屋敷へと到着いたしました。
「お帰りなさいませご主人様、奥様。……お客人が訪ねておいでです。――その、学園の生徒さんらしいのですが、ファーラム様よりのご紹介と申しておりました。オーランドと言えば奥様はお分かりになるだろうとのことです」
マリーズの馬車から降りて、本館の玄関へとまいりましたら、待ち構えていたメアリーがそのように言いました。
私の隣では、目を大きく見開いた旦那様が、顎が外れでもしたようにあんぐりと口を開いてしまっております。
「……まさか、……言うんじゃなかった……」
旦那様……別に、口になされたからやってきたわけではないと思いますよ。……もうこれは、運命であったと諦めるより他ないのではないでしょうか……。
予想した通り、応接室で私たちを待っていたのは、オーランド様と、赤茶けた金髪に金色の瞳を持った女性でございました。
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