第132話 モブ令嬢と悪縁令嬢の真実

「……い様! 満足ですか? 私がこのように排斥されて……。私、誘導された通りに……フローラさんに嫉妬して……馬鹿みたい……。そうして私の目を眩ませておいて……あの女の所へ行くおつもりなのでしょ? ……どうして? ねえどうして私ではダメなのですかお兄様!!」


 中学舎の裏庭、そこで絞り出すように吐き出されたメイベル嬢の言葉は、まるで私の心まで引き裂きそうなほどに痛々しいものでした。


「メイベル……お前は誤解しているよ。お前が言っているのは、多分――お前たちが学園の中学舎に入ったばかりの頃の話だろ? あの頃、彼女はまだ学園には居なかったんだから。それに……俺は、お前がエヴィデンシア家のフローラ嬢にあのような事をしていたとは、つい最近まで知らなかったんだからね……」


 興奮したメイベル嬢を宥めるように紡がれた言葉は、静かですがどこか疲れたように響きます。

 その声の主はメイベル嬢の兄、オーランド様でしょう。

 私は、渡り廊下から外れた木陰まで足を進めたところで立ち止まりました。二人の姿は確認できませんが、その声は十分に届きます。

 ……私、ここから立ち去った方が良いのでしょうか……?

 そのような思いが胸に湧いてきます。ですが、話の流れを考えますと、今お二人が話している事の中に、メイベル嬢が私に対して行っていた嫌がらせの理由があるのを感じて足が動きません。


「それに、何度言ったら分かってくれるんだ。……百年前ならばいざ知らず。今では近親による婚姻は忌避されている。そのくらいお前だって知っているだろ」


 オーランド様の仰るように、百年ほど前までは近親者による婚姻も珍しいことではなかったそうです。

 ですが、その百年程前。貴族家の家系編纂をしていた研究者が、王国貴族の家系図の中に不可思議な類似点を発見いたしました。それは……家系が絶えた家に、近親婚が多数見受けられたという事実でした。

 詳細を調べた研究者によると、近親婚を繰り返していた家系には、障害を持った方が多く生まれていたのだそうです。

 その事実が世に公表されてより五十年ほど経った頃……特に貴族の間では近親婚は家系を滅ぼす忌むべきものだとして定着いたしました。

 しかし、いまのところ近親婚を禁ずる法はできておりませんので、兄弟での結婚ができないわけではございません。ただ、先の経緯がございますので、相当に後ろ指を指される事となるでしょう。


「……お兄様は、ずっと――ずっと私を守ってくれると仰ったではございませんか! 私をお嫁さんにしてくれるとおっしゃいました!」


 いつもは冷徹な感じすらするメイベル嬢の声は、今は親とはぐれた幼子のように響きます。

 私は、今朝私に縋り付いてぐずっていたシュクルの顔が頭に浮かんでしまいました。


「いったい……いつのことを言っているんだ。幼い子供の頃の言葉を……メイベル、俺たちはもう子供では居られない年齢なんだよ」


 オーランド様の言葉には憐憫の響きが滲んでいます。

 彼の言葉には、中学舎入学した頃に私をからかったあの傲慢さは微塵も感じられません。

 この三年近くの間に、いったい彼に何があったのでしょう……それとも、あの時の態度は装われたものだったのでしょうか?


「メイベル……俺たちレンブラント家は、いま首の皮一枚で生き残っているんだよ。父上の、あの冷徹な判断によって縁戚を切り捨てて生き残っているんだ。それにこの先――きっとお前には政略結婚の相手が宛がわれるだろう。レンブラントの爵位は、お前の夫となる者が継ぐこととなるはずだ。……お前も、その覚悟は定めておかないといけない」


 言い含めるようなオーランド様の言葉は驚きを与えるものです。


「嫌です!! 私……それでも、それでも、私はお兄様以外の方となど結ばれたくございません!! それになんで、お兄様が爵位を継がないのですか? おかしいではございませんか!」


 メイベル嬢は駄々を捏ねる子供のように言い放ちます。

 彼女の言うことも尤もでしょう。我が家のように男児に恵まれなかったわけでもなく、健在な男性が居られるのに、爵位を娘婿になる方に譲るなど、そうそうある事ではございません。


「父上は俺に愛情を持ってはいない。父上がその愛情を注いでいるのはお前だけだ……メイベル。反抗的な俺の事など父上は邪魔者としか見てはいない。……それに母上でさえそうだ。その腹を痛めてお前を産んだ母上でさえ、父上はまるで使用人とでも接しているようで……俺たちには金だけ与えておけば良いとでもいうように、まるで愛情を与えようとしないではないか」


 オーランド様の言葉は苦々しく響きます。

 私の頭の中に、レンブラント伯爵のあの氷のように冷徹なご様子が浮かびました。


「そんな……私そのようなお父様を目にしたことはございません……」


 メイベル嬢の声には、驚きの響きがございます。彼女にとっては信じがたい事なのでしょう。


「……まさかそれで、それでお兄様は館にお帰りにならないのですか? お父様は、お兄様がお父様に反発しているのは、そういう年頃なのだと仰っておりました。男というのは親に逆らう時期があるのだと……」


「お前は本当に……真っ直ぐで、そして愚かなんだねメイベル。エヴィデンシア家のフローラ嬢のこともそうだ。バレンシオの大伯父上の言葉をそのまま真に受けて……そして、お前をおだて上げて媚びへつらっていた令嬢たちに、良いように操られて……」


 とても悲しそうに、そうして哀れんで……

 その言葉には、強い憐憫の響きが込められておりました。


「メイベル……お前たちが学園に入学してきたとき。俺は、大伯父上を陥れたと言われている家の娘が学園に入ってきたと、しかもその娘が、農奴のごとき髪に瞳をしていると聞いて、不憫に思いどのような娘か見に行った。もしも心の弱い娘であったら蔭から助けるつもりでね。でも彼女は、とても芯の強い女性だと俺には感じられた。俺の助けなど必要ないほどにね。だからあの後俺は彼女のことなど忘れていたのに……まさか、お前が義憤と嫉妬に駆られて彼女を貶め虐めていたと知ったときに、どれほど驚いたか。ただ、俺がそのことを知ったときには、既にフローラ嬢はあの頼もしいグラードル卿に守られていて、彼女に俺の力など必要なかったが……」


 その言葉に私は驚きました。

 まさか、あの時のオーランド様の行いは、私を試すためのものだったのですか!? ……私には、からかわれたとしか思えませんでしたが。

 それにしましても、表現が素直ではございません。どこか捻くれているとでも申しましょうか。

 不器用……という言葉が、私の頭の中に浮かびます。

 正直申しまして、先ほどからの話を聞いておりますと、オーランド様もメイベル嬢も、本来の気性は真っ直ぐなのに、不器用で、その表現がどこか捻くれている似たもの兄妹ように感じます。


「メイベル――ねえメイベル。お前はもう分かっているんだろ。本当に悪事を働いていたのは大伯父上で、フローラ嬢の家は正義を行っていたのだと……。メイベル、誇り高いお前には辛いことかも知れないけれど、父上とて大伯父上の行っていたという悪事にまったく手を貸していなかったということは無いはずなんだよ……。だから、お前はフローラ嬢に謝るべきだ」


 オーランド様は、そのように優しく言い含めます。


「……どう謝れというのですか……私、あの方にこれまでどのような仕打ちをしてきたと思うのですかお兄様! しかもついこの間まで私の周りにいた方々は皆、フローラさんに媚びへつらっておりましたわ、私の言葉など彼女に届くはずが無いのです。……ええ、ええ分かっておりますわ。全て自業自得ですもの。私覚悟はできております。この先、フローラさんからどのような仕打ちを受けたとしても、それを受け止めますわ。……それ以外に贖罪のしようがございませんもの……」


 ……私、彼女から復讐するような人間だと思われているのですね。


「本当に……不器用な妹だね。俺が間に入っても良いんだよ」


「およしくださいお兄様。それではお兄様まで私の罪を被ることになってしまいます。私のことは良いのです。私の犯してしまった罪で、お兄様に迷惑を掛けるなど私には耐えられません」


「まったく……お前は……」


「ですが、お兄様。私、あの女のことを忘れたわけではございませんよ。平民のあの娘と私では、お兄様は私を選ぶべきです。どちらにしても後ろ指を指されるのならば、お兄様は私を選ぶべきです。そうすればお父様とてお兄様に爵位を譲るはずです」


「メイベル……もし俺が、父上が汚れた手で得たレンブラント家の資産を手にしたら……全てを無にしてしまうかも知れないよ。それに、別に俺は彼女のことを好きなわけではないよ。彼女は辺境領の奨学生として学園に通っているが、王都に滞在する資金にはいつも汲々としている。それに先のトーゴの空襲で、彼女が滞在していた家が潰れてしまったから、俺はその手助けをしているだけだよ」


 二人の話は私の話から他の方の話へと移りました。

 私はこの場から去る頃合いだろうと、移動しようとしましたが、そのとき渡り廊下のあたりから声が響きました。


「フローラ、何処にいるんだい! そろそろ授業が始まる時間だよ!」


 声の主はアルメリアです。

 その声に、私の前方で慌てたような気配がいたしました。


「きゃう!」


 私が、渡り廊下のあたりで声を上げているアルメリアに気を取られていた間に、その声で会話を終えたレンブラント兄妹がこちらへとやって来ていて、私は振り向いた瞬間にオーランド様とぶつかってしまったのです。


「きっ、君は……」


「フッ、フローラさん!? 貴女……」


 オーランド様とぶつかって、倒れた拍子に魔法が解けてしまいました。

 突然目の前に現れた私に、メイベル嬢たちは驚きと戸惑いの言葉を上げます。


「フローラ! 大丈夫かい?」


 私を見つけて駆け寄ってきたアルメリアが、私を助け起こしてくれました。

 その様子を見ていたメイベル嬢の瞳がキッと細められます。


「フローラさん、貴女……まさか、先ほどから私とお兄様の話を隠れて聞いていたのですか?」


 その声の温度は低いものです。

 ですがそれは当たり前でしょう、私とてあのような話をもし誰かに隠れて聞かれていたら怒りだしてしまうでしょう。


「申し訳ございません」


 私は素直に謝ります。


「メイベル嬢。貴女が私に嫌がらせをしていた本当の理由が分かるのでは……と、はしたなくも聞き入ってしまいました」


 しかし、怒り出すかと思えた彼女は、ふぅ、と、息を吐き出して、どこかすがすがしく口を開きます。


「聞いていたのなら話は早いわ。私が貴女にしていた行為は不当なものでありました。それに対して許してくれとは申しません。私はそれだけのことをこれまでの長きにわたってしていたのですから。ですが、私の行っていた行為に対して、このように謝罪いたします……」


 メイベル嬢は、教室でマリエルさんがしていたのと同じように、深々と頭を下げました。

 その姿を目にして、今この場に来たアルメリアは訳が分からずに目を白黒とさせて驚き、オーランド様は、それはそれはお優しい光を湛えた深い湖のごとき青い瞳で見守っておりました。


「フローラ嬢、兄として俺からも謝罪する。妹がこれまで行ってきたことは決して簡単に許してもらえるものではないだろう。だがこの子は決して性根の腐った人間ではない。どうか妹に、罪を償う機会を与えてくれないだろうか」


 そのように仰って、オーランド様までも頭を下げます。

 そのお二人を目にして、私はひとつの答えを出しました。


「メイベル嬢……私と友達になりませんか?」


 私の申し出に、メイベル嬢は驚きの表情を貼り付けた顔を上げます。


「なっ、何をいきなり……、貴女、馬鹿なのですか!? ご自分が何を言っているのか理解していらっしゃいますか?」


 ……友達になろう。と言ったのに、私、当の相手に馬鹿なのかなどと言われてしまいました。


「なッ、そうだよフローラ!? 君、さっきの取り巻きたちには、罪は許しても、今後友誼を深める事は無いと言い渡したのに……、元凶のメイベル嬢と友達になろうなんて……」


 アルメリアも驚きの連続に、最後には絶句してしまいました。


「私が先ほどのお二人の話を聞いてしまったお詫びの気持ちもあるのですが、私も貴女も、共にその心根を誤解していたように思うのです。それに、これは決してメイベル嬢には楽な提案ではないと思います。いま、アルメリアが言いましたとおり、メイベル嬢の取り巻きであった方々には、貴女方とは友誼を結ぶつもりはないと言い渡しました。それなのにメイベル嬢、貴女が私の友となれば、彼女たちの不満は貴女に向かうかも知れません。逆に、また貴女にすり寄ってくるかも知れません……」


 私はそこまで言って、ひとつ息を吐きました。

 メイベル嬢とオーランド様は、私の真意を探るようにその視線を外すことなく見つめています。


「……もしそうなっても、貴女の心根が、私が先ほど聞いてしまったとおりならば、貴女は決して彼女たちを受け入れられないと思うのです。そうすれば結局貴女は彼女たちに恨まれることとなってしまうでしょう。それでも、貴女は私の申し出を受けるつもりがございますか?」


 私の言葉を最後まで聞いたメイベル嬢は、元々少しキツい表情に、ことさら挑戦的な微笑みを浮かべました。


「フローラさん……いいでしょう、貴女のその挑発に乗って差し上げます。でも……貴女は甘い人ですね。……いまの貴女の影響力を考えれば、その友となった人間に、あの方たちが手を出せるわけがないではございませんか……」


 彼女の後半の言葉は、涙声で……震えておりました。

 私、これまでメイベル嬢はとても貴族的な方だと誤解しておりました。彼女は、ただまっすぐな気性で、それが、嫉妬と取り巻き令嬢の甘言によってゆがめられていただけなのかも知れません。

 正直申しまして、私の方が彼女よりよほど貴族的なものの考え方をしているのではないでしょうか。

 彼女と友となりたいという私の心も嘘ではございません。

 ですが、メイベル嬢を友とすれば、マリエルさんをあの令嬢たちから解放することができるかも知れない。そういう考えが、私の中には間違いなくあるのですから。


「フローラ嬢。やはり君はとても賢く、そして強い人だね。君の温情に感謝を……」


 オーランド様は、そのように仰って今一度私に礼をいたしました。

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