第130話 モブ令嬢と変わりゆく学園生活(中)

 学園の門前、馬車より人混みの中へと降りなければならないと覚悟しておりました。

 しかし私たちの前にいたクラウス様たちが乗っておられる馬車。その御者を務めていた近衛騎士が、門を守る衛士と言葉を交わしますと、クラウス様たちの馬車はそのまま門の中へと進んでゆきました。

 続いて、私たちの馬車が衛士の前へと進みますと、衛士は前の馬車に続くように御者を務めるハンスへと言葉を掛けます。

 結局、私たちの馬車はクラウス様たちの馬車を追い、高学舎の玄関前へと乗り付けることとなってしまったのでした。

 どうやら、ファーラム学園長様がこのような事態を想定して、クラウス様と私たちの乗る馬車を学園の中へと通すように衛士の方々に通達してあったようです。

 私たちの馬車が門の中へと入りますと、その周辺に集まっていた学生たちが、私たちの馬車を追いかけて玄関前までやって来ました。


「それではマリーズ様。後の事はよろしくお願いいたします。アルメリア嬢も……。フローラ、学園の中ならばおかしな事は起こらないと思うが、できる限りマリーズ様かアルメリア嬢と一緒にいるんだよ」


 旦那様は、馬車を降りる直前にそのように仰って、私たちより先に馬車から降りました。

 慣例として女性が先に降りてくると思っていたのでしょう、馬車の周りに集まっていた物見高い生徒たちの間からザワリと戸惑いの喧噪が広がります。

 その生徒たちを、旦那様はことさらに凶悪そうな表情を作って、ギロリと周囲を見回しました。

 彼の視線を受けた生徒たちは、気圧されたように後ろへと下がります。このような時には、旦那様のお顔の傷は恐ろしげに見えますので、とても効果を発揮いたします。

 その……いつもはお優しい雰囲気を全身に纏っておりますし、気の抜けておられるときなどは、可愛らしく見えるときもあるのですよ……本当ですよ。

 私は心の中で、誰ともなくそのように言い訳してしまいました。

 学園の修練場は軍務部と共用されておりますので、彼はそのまま兵舎へと向かいます。

 旦那様の進路からは、波が引くように生徒たちが退いてゆきました。


「フローラ……愛されておりますね」


 旦那様が馬車を降りた次に、アルメリアが馬車を降り、その後に私が続きましたら、降りぎわに少しニマニマした表情のマリーズにそのように言われてしまいました。

 その言葉に少し頬を赤らめて私は馬車から降ります。

 その途端、周りを囲む生徒たちから喧噪が立ち上りました。


「ああッ、彼女! 彼女がエヴィデンシア家のフローラ嬢だ!」

「クルークの試練達成者にして、救国の女神……」

「おっ、おい。あれが救国の女神だろ? ……本当に茶色い髪に瞳なんだな」

「ああそうだ……だから、農奴娘などと蔑んでいた輩もいたがな。俺は分かっていたぜ。彼女はいつか美しい花弁はなびらを広げる蕾だってな……」

「何言ってやがる。お前、『あんな土臭そうな農奴娘と結婚するバカが居るなんて、俺なら爵位付きでもお断りだ』って言っていたくせに……」

「……なッ! 誰がそんなこと……」

「しかし、レオパルド様はまだ分かるが……あのアルメリア嬢もクルークの試練達成者になったとか……。ああそうだ、白竜の愛し子であるリュート様も、聖女マリーズ様も達成者になられたと聞いたぞ」

「何、それは本当か……皆学園の生徒じゃないか!? 前回のクルークの試練、あのアンドゥーラ先生が学生の時に達成者になっただけでも伝説になると言われていたのに……」


 そのような言葉が私の耳を打ちます。

 私は不思議に思いました。皆様何故クルークの試練、その達成者のことを知っているのでしょうか?

 王都へと駆けつけたおりに、私の拡声の魔法によって、旦那様が金竜騎士団の方々にクルークの試練を達成したことは伝えましたが、あれは地上へは聞こえていないはずですし、あの時の旦那様の仰りようですと旦那様と私の事を達成者と思うことはあっても、他の方々のことは知りようもないはずです。

 そのように不思議に思っておりましたら、私に続いて馬車より降りたマリーズが、背後より囁くように声を掛けてまいりました。


「私たちの事を広めれば、僅かでもフローラに向く好奇の目を分散できるのでは……と、クラウス殿下が提案なされたのですよ。……レオパルド様とレガリア様が、友や派閥を使って噂を広めてくれたのです。私、クラウス殿下のことを少し見なおしました。つい一月半ほど前までは、ただの我が儘な子供でしたのに……まあこれも、フローラやグラードル卿からの影響でしょう。……殿下も、貴方たちに何かを返したいのでしょうね」


 大人びた調子で言葉を紡ぐマリーズは、このように申してはいけないのかも知れませんが、本当に聖女なのだなあと思います。その……いつもは好奇心旺盛で、お付きのリラさんを振り回しておりますので、私、最近は転婆な女の子にしか見えなくなって来てしまっております……。

 昨日も、シュクルと同じようにはしゃいでかくれんぼをしておりましたし……。


「皆さん、これで私が言っていたことが真実であると分かったでしょう? フローラお姉様は誠に素晴らしい女性なのです。……ええ、女神と呼ばれても決して過大評価ではございません!」


 聞いたことのある声音が私の耳を打ちました。

 これは……フランマルク家のカチュア嬢……。


「……いえ、別に私たちカチュア様の言葉を疑っていたわけではございませんわ」

「ええそうですわ! あのアンドゥーラ先生の秘蔵っ子であるというのは、私、お姉様より聞き及んでおりましたし、何よりあのレガリア様が、年下であるフローラ様を『私の友』と公言しておられるとか」

「ええ、ええそうです! フローラお姉様はかように素晴らしい女性なのです! ですが、良いですか皆さん。フローラお姉様を困らせてはいけませんよ。お姉様は奥ゆかしい性格なのですから。今回王都を襲ったトーゴ軍を、神のごとき力で撃退せしめた事で、このように注目を集めてしまい、きっと困惑しておられるはずなのです」


 そのように言いながらもカチュア嬢は、まるで七竜教の敬虔な信者のように恍惚とした表情を浮かべて、今にも祈りだしそうな様子です。

 私たちの周辺を囲む生徒たちより数歩背後に引いた場所で、彼女の周りに集まっているのは中等部の生徒でしょうか? 見たところ一年の生徒から三年の生徒までいるようですが、皆、カチュア嬢と大差の無い様子です。

 カチュア嬢は今年学園に入園したばかりだと言っておりましたので、一年生のはずですが……さながら神殿の巫女のように、信者生徒たちを導いているように見えてしまいました。

 申し訳ございませんカチュア嬢。貴女が私の事を過大に評価してくださっているのは分かっておりましたが、私、カチュア嬢たちにこそ困惑してしまっているかも知れません。

 ちなみに、男装の麗人のごときアルメリアにも、女生徒より熱狂的な黄色い声が掛っております。

 アルメリアは元々、その端麗な容姿と立ち居振る舞いで、女生徒たちからは人気がございました。

 ですが私を守る騎士のように、学園では私の側におりましたので、メイベル嬢を筆頭に一部の力ある生徒たちに睨まれてしまっており、その人気は蔭ながらのものでした。それが、クルークの試練達成者となったことではばかる事が無くなったのでしょう。

 マリーズの人気は改めて申し上げる事もございませんが、彼女にも生徒たちより惜しみない賞賛の声が上がっておりました。


 私たちより先に馬車から降りて学舎の玄関へと入ったクラウス様たちもそうですが、騎士就学生であるレオパルド様やアルメリアが、少しぴりついた緊張感を滲ませておりますと、さすがに私たちの元に駆け寄ってくるような方々はおりませんでした。

 私たちはクラウス様たちの後を追いかけて玄関へと入りました。

 学舎の中に入りましても廊下の両端には、好奇心を湛えた瞳を輝かせた学生たちが立ち並んでいて、これから学園でこのような日々を送らなければならないのかと考えてしまいましたら、学園に登園したばかりだというのに、一気に気疲れが溜まってしまいます。

 旦那様が、人の噂も七十五日と、前世の世界の言葉を仰っておりましたが……私、七十五日も耐えられるでしょうか……。

 私を守るように斜め前方を歩くアルメリアからも、どこか疲労感が漂っているように見えます。

 ただ一人、私の横を歩いているマリーズだけが、このような視線は慣れっこだとでもいうように、静かに微笑みを浮かべておりました。


 常在学を学ぶ教室へとまいりますと、私たちが入室した途端、それまでざわざわしていた教室内はシーンと静まりかえってしまいました。

 そうして、室内にいた皆様の視線は私たちへと集中いたします。

 私とアルメリアは緊張を隠しきれませんでしたが、マリーズはいつもの様子で教室の背後、窓寄りの定位置の席へと進んでゆきます。私たちも彼女に遅れないようにして席へと着きました。

 私とアルメリアができるだけ平静を装って、普段通に授業の準備をしておりましたら、一人の女生徒がおずおずと声を掛けてまいりました。


「あっ、あの……マリーズ様がた。皆様がクルークの試練を達成なされたと伺ったのですが……」


 彼女は確かレガリア様の派閥に入っておられる方で、私がレガリア様より目を掛けて頂けるようになってから、時折教室でも声を掛けてくださる方です。


「はい。私たち白竜の愛し子であるリュートさんとは、同じ屋敷で生活しておりますし、その縁とでも申し上げたら良いのでしょうか。そのような仕儀になってしまいました」


 マリーズは彼女にニコリと笑って答えました。

 マリーズがことさらリュートさんの名前を挙げましたのは、おそらく私に向く興味を少しでもリュートさんの方へと向けようという彼女の計らいでしょう。


「まあ、本当であったのですね! それでは、あの王都が恐ろしいトーゴの飛竜たちから解放された日……。あの時、王都の上空で彼らを退けたのは、本当にフローラ様でしたのね! 私、飛竜たちが襲ってきたあの四日間……生きた心地がいたしませんでした。でもあの日――王都の空に金色の羽を背にして、あの恐ろしい飛竜を一撃の下に打ち落とされたのを目にして、神話に語られる神が現れ、私たちを救ってくれたのだと思いました……ああっ、フローラ様。貴女はオルトラントの女神です。私たちを救ってくださって本当にありがとうございます」


 彼女はそのように仰りながら、涙を流して私の手を取りました。 

 マリーズの計らいは、彼女が実際に目にした事実の前にあっけなく崩れ去りました。

 彼女が私の手を取って泣き出してしまったのが切っ掛けなのかは分かりません。しかし、同じ教室で授業を受ける気安さがあるからでしょうか、教室の皆さんが私たちの席の周りへと集まってきて、私たちは賞賛や感謝の言葉を皆様から掛けられることとなりました。


「あっ、あの! フローラ様……少しよろしいでしょうか……」


 教室の皆様の喧噪が少し収まりかけたとき、不意に緊張感を含んだ声が私に掛けられたのです。

 声の主は……この方……たしかメイベル嬢の取り巻きの……

 そこにいたのは、メイベル嬢といつも一緒にいた取り巻きの方々でした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る