第129話 モブ令嬢と変わりゆく学園生活(前)

 貴宿館へ入居人の皆様が帰ってきた日、クラウス様たちは二台の馬車にて我が家へと乗り付けました。

 初めは、レオパルド様かレガリア様が、ご実家の馬車でやって来たのかと思ておりました。

 しかし、二台の馬車とも、クラウス様たちが学園に通うときに使っておられる、家の紋章がついていない馬車でございます。

 それに、皆様が館の部屋に持ち込んだ荷物を考えますと、二台で乗り付けるには大仰であるのでは?

 そのように考えておりましたら、クラウス様は少しもったいぶったご様子で口を開きます。


「グラードル卿。こちらの馬車は、必要なくなった竜舎の代わりだそうだ。これから先、エヴィデンシア家には必要なものであろう。最新式のものだぞ……まあ、この馬車を卸したのは、お主の実家、ルブレン家のようなものだがな」


 つまりは、ヴェルザー商会を通しておられるのですね。

 実のところ我が家でも、下賜される事となっている報償が手元に入りましたら、馬車を手に入れるべきではないかという話が持ち上がっておりました。


「しかし、これは……竜舎が何棟か立つほどの物だと思うのですが……」


 先日旦那様はお義父ドートル様に、馬車の見積もりをお願いして来たばかりだったのです……。

 この馬車は、私たちが見積もりをお願いした馬車よりも遙かに上質な物なのです。

 紋章など、飾りを付けておりませんので質素で重厚な佇まいですが、車体に利用されているのは堅牢でありながらも軽く、しかも火にも強いという上質な木材です。

 この木材を利用して作られた家具は、小さな物でもかなりの値がしたはずです。

 陛下との謁見のおりに王宮への行き来に乗せて頂いた物と同型の物ですので、乗り心地の良さは保証されたようなものです。


「お主たちはこれを受け取るに十分な働きをした。我もお主たちがトライン辺境伯領でなした功績はレオパルドより聞き及んでおるし、王都の上空での戦いはこの目で見ていた……あれほどの功績をなしたお主たちにできるのがこれだけでは……まったく足りぬ」


 クラウス様は、どこか悔しそうな表情を浮かべると、私から旦那様へと順番に視線を動かして言葉を続けました。


「……それにグラードル卿。そなたは奥方のため、そしてオルトラントの為に、その身に泥を被るのであろう。本来であれば、奥方には魔導爵の爵位を与え、さらにエヴィデンシア家は侯爵家へと陞爵しょうしゃくになっても誰も反対せぬであろうに……」


 そのように仰るクラウス様を、旦那様が小さな手振りで制します。


「クラウス様。それ以上は……何処に目や耳があるか分かりません。それにしても、あの場にいたレオパルド殿はまだしも、レガリア嬢もご存じの様子。陛下も存外に口が軽いですね」


 ……旦那様、目と耳は我が家に二人ほどおります。

 旦那様の言葉に、私がそのような戯れごとを思い浮かべてしまっておりましたら。

 何故かクラウス様は呆れたような表情を浮かべました。


「グラードル卿……お主、もしレガリアが何も知らずに、お主が考えておる事をやったとしたら、どれほどの暴発をするか分からんぞ。レガリアはそれほどにお主の奥方を気に入っておるのだ。たとえ男の力が強い大陸西方諸国の男でも、怒らせてはいかん女がいることはわきまえている。父上もノーラ妃母上とレガリアだけには話は通してある。でなければ最も危険なのは我らではなくお主だぞ、グラードル卿」


 その真剣なクラウス様の表情に、旦那様は顔をこわばらせ、その額からはツーッと冷や汗が流れ落ちました。





 王都での防衛戦に勝利してより一四日。

 赤竜の月およそ七月一八日、白竜の月曜日。

 本日よりファーラム学園の授業が再開されます。


「本当に良かったのかい私たちまで一緒で……」


「アルメリア……これまでも一緒に学園に通っていたのですし、それに私たちの仲ではないですか」


「いや……この真新しい馬車の内装に、腰が引けてしまって……」


 ああ確かに……、私も先日初めて、使用感のない綺麗に張られた毛織物の座面に腰掛ける事になった時には気後れいたしました。


「何を言っているのですかアルメリア。馬車は人を運ぶ為のものですよ。利用しなければ却って可哀想というものです」


 アルメリアの隣に掛けているマリーズはしれっとした態度でそのように言います。


「いやマリーズ。そもそも君には教会が遣わせてくれた馬車があるのに、なんでこっちに乗っているんだい?」


「まあ、アルメリアは私をのけ者にするつもりなのですか? これまで私も一緒に学園に通っていたというのに……私、悲しいですわ。それにあちらにはリラとミームが乗っているのですから無駄にはなっておりません」


 マリーズはアルメリアに悲しげな表情を作って言いましたが、その後すぐ少しおどけたような表情になってしまったので、演技していることがバレバレです。

 今朝、王家より贈られた馬車で学園へと通っているのは、少しは減ったものの、相も変わらず我が家に、私たちを一目でも見ようとやってくる方々から身をかわすためです。

 私たちの馬車の前には、クラウス様たちの乗った馬車も街路を進んでおります。


「まったく……君には口ではかなわないよ。……それにしても、シュクルは良かったのかい。私は見るに堪えなかったよ」


「仕方ないではございませんか……私とてシュクルと離れるのは寂しいですが、学園に連れて行くわけには行かないのですし、あの子も少し、我慢することを覚えませんと」


 今朝――厳密には昨日から、明日より学園があるので、私は半日ほどシュクルと一緒にいられないと諭したのですが、シュクルはぐずってしまってなかなか離れようといたしませんでした。


「生まれてからこれまで、フローラとはずっと一緒にいたからね。でも俺の知識をある程度持っているはずなんで、フローラが学園に通っていることは知っていたと思うんだ。シュクルの意識はあの外見通り、五歳程度の幼子だからね。理解はしていてもなかなか納得することはできないんだろうね。まあ義母上が何とか取り成してくれたし大丈夫だろう」


 私の隣に座る旦那様が、寂しげに仰いました。

 実際のところ、所用で出かけた時以外は、ずっとシュクルと遊んでおられたので、シュクル以上に旦那様の方がお辛そうだったのは、この際見なかったことにしております。

 昨日はマリーズとリュートさん、果てはクラウス様まで巻き込んで、貴宿館でかくれんぼをしていて、ロッテンマイヤーに大きな雷を落とされておりました。

 サロンでアルメリアと読書をしていた私も、何故止めなかったのかと一緒に雷を落とされましたが……。

 黒竜騎士団は現在トライン辺境伯領の砦に詰めており、本来であれば旦那様もそちらへと赴かなければならないのですが、褒賞式典の件もあるので今回は駐留の任は解かれ、他の騎士団の方々と共に、軍務部にて鍛錬の日々を送ることとなったそうです。


 それにしましても、裕福な貴族の方々のように馬車で学園に乗り付けるなどと、そのような事態に自身がなるとは、ついぞ思ってもみませんでした。

 我が家から学園までの距離ですと、馬車ではすぐに着いてしまいます。

 車体の窓から見えてきた学園の門のあたりは、何故か人の群れができておりました。

 学園の門を守る衛士の方が懸命に声を張り上げておられるようですが、人が移動する様子はございません。


「あれは……まさか……」


 私、嫌な予感がしてまいりました。


「おそらくはそうだね。馬車で構内への侵入が許されているのは学園長様と教諭の一部、後は外部より用事がある方々だけだから、君を見たければ門の前で待っているのが一番だ」


 アルメリアが私の嫌な予感を肯定します。


「本当に……想像以上の人気ですねフローラは。神殿にやって来る市民の方たちから少し耳にいたしましたが、既に吟遊詩人が貴女のことを唄にしているようですよ」


 不意に思い出したような様子で、マリーズがそのような事を口にいたしました。

 マリーズ……、いつ聞いたのかは存じませんが、できれば事前に教えておいて欲しかったです。

 私は、マリーズの好奇心がきらめく虹色の瞳を、恨みがましく見つめてしまったかも知れません。

 そんな私の手の上に、旦那様が優しくご自身の手を置きます。


「おれも一緒に降りるから、門の中に入ってしまえば市民は追ってくることはできないからね」


「ですが、グラードル卿。――生徒の中にも軽薄な方はおりますよ。まあ私が一緒に居れば、さすがに殺到してくるようなことは無いと思いますが……興奮した人間は何をするか分かりませんし少々心配ではございますね」


「私が、フローラの事はきっと守ってみせるから」


 マリーズは、人に囲まれることには慣れているのでしょう、いつもとあまり変わらないご様子ですが、アルメリアはまるで、クルークの試練で守護者の間に入ったときのように、覚悟を決めた表情になっておりました。

 そのようなやり取りをしている間に、前を進むクラウス様達の乗る馬車が学園の門の前へと乗り付けます。

 このあとどのような騒ぎになってしまうのかと、私は暗澹たる心持ちになってしまいました。

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