第83話 モブ令嬢家の家族会議と訪問者(中)

「まったく……王宮を訪ねたら、既に館へと戻ったと聞いて、私は耳を疑ったよ」


 私の斜め手前で、アンドゥーラ先生がそのように仰いました。


「せっかく取り留めた命をあたら無駄に散らせてはいないかと、訪ねてくるまで気が気ではなかった。……まあ、呼吸をしているのなら生きてはいるのだろうがね」


「本当に……そちらの侍女の方にご無事だと伺って一安心いたしました」


 アンドゥーラ先生の隣に座るサレア様が、チラリとメアリーに視線を送ってそのように仰います。


「サレア様には、旦那様のお命をお救い頂いた上に、さらにそのようにご心配までして頂いて、本当に……なんとお礼を申し上げたらよいのでしょうか」


「お礼など、私は神殿にて癒やしを司る巫女なのですから、当たり前のことをしたまでです……」


 私の言葉にサレア様は何故かその表情を曇らせました。


「……しかし……アンドゥーラが造ったという魔法薬のおかげで、即死性の毒は効力を失ったようですが、内臓に致命的な損傷を与える遅効性の毒は、僅かに力を削がれただけだったようなのです……私、バジリスクの毒を受けた方を目にしたことがあったというのに……そのことに気づくのが遅れてしまい、心苦しく思います」


 サレア様は、申し訳なさそうにそう仰います。


「いや、サレア殿。バジリスクの毒が複数の特性を持っているなど、普通ならば判りはしない。貴女がいなければ、彼は間違いなくあの場で亡くなっていただろう。貴女は最善の処置を行った」


 サレア様の隣に座る騎士服姿の男性が、彼女の手を取らんばかりの勢いでそのように仰います。彼は、絵で見たことのある砂漠の砂のような淡い橙黄色の髪を、短く角張ったように刈りそろえていて、深みのある青い瞳を持っております。

 線の太い男らしい顔立ちをしておられますが、瞳の色合いのせいでしょうか、とても涼やかな印象です。

 背が高く、旦那様よりも頭ひとつは大きいかも知れません。

 また彼は、左手の甲に青竜バルファムート様の神器を思わせる、盾のような形をした手甲を付けています。それが妙に目に残りました。


「セドリック卿、君はエヴィデンシア家の方々に挨拶はいいのかい? 私たちは知己を得ているからいいが――君は初対面だろう」


 アンドゥーラ先生が、どこか呆れたような表情でそのように口にいたしました。

 ……この方がセドリック様だったのですね。茶会の会場ではよろいを纏っておられましたし、軍務部の修練でも、私は旦那様やアルメリアなどの知り合いしか見ておりませんでしたので、お顔を存じ上げておりませんでした。

 先生の言葉に、セドリック様は席から立ち上がります。


「いや、確かにそうでした。失礼しました。私は白竜騎士団を任されております、セドリック・カラント・サンドビークと申します。王国より子爵の爵位を賜っております」


「おおっ。貴男があの高名なセドリック卿ですか。私はロバート・アクエス・エヴィデンシアと申します。既に爵位は婿グラードルに譲った身ではありますが、お目にかかれて光栄です」


 お父様が、セドリック卿を見る瞳には、僅かに光がちらついて、騎士に憧れる少年のように見えました。やはり男性は、逸話に残るような活躍をなされた騎士には憧れるものなのでしょうか。

 そのお父様に紹介されて、お母様も軽く目線を伏せて挨拶をいたしました。

 それに続いて、私が口を開きます。


「セドリック卿、丁寧な挨拶痛み入ります。私はエヴィデンシア伯爵家当主グラードル・ルブレン・エヴィデンシアの妻、フローラ・オーディエント・エヴィデンシアと申します。この場に居られぬ夫に代わりご挨拶させて頂きます」


 セドリック卿は、私の挨拶を受けて、僅かばかりの間私の顔を眺めると――ニコリと微笑みました。


「いやいやご丁寧に。それにしても……エヴィデンシア家の農奴令嬢などと陰口を叩く輩がおりますが、何々、可憐な方ではございませんか。それに――レガリア嬢とのあの協奏は見事でした。遠目ではありましたが、お二人の間で、風の精霊王ウィンダルが歓喜の舞を踊り出すのではないかと……そのように思える演奏でした」


 涼やかな笑顔で私に向かってそのように仰るセドリック様に、アンドゥーラ先生がげんなりした様子で口を開きました。


「……君はそのように口が軽いから要らぬ女性に言い寄られるのだぞ。その滑りのよい口は本命のみに使うようにするべきだな……まあ、本命が気付くかどうかは別問題だがね」


「いや、何を……アンドゥーラ卿。君は本当に相変わらずだな。それに、私をここに連れてきたのは君たちだろう」


「そういえば――セドリック卿を、どうして我が家へ?」


 私も疑問に思い、先生に視線を向けました。

 私のその視線を受けて、先生は少し人の悪い笑みを浮かべます。


「先ほどサレアが言った、以前バジリスクの毒をくらった本人だからさ。かの毒がどのような事態を身体に引き起こすのか、体験した本人に語ってもらおうと思ってね」


 ええっ!? 私、今回の件でバジリスクの毒は即死の強毒と聞き及びました。その毒を受けてセドリック様はこのように生きておられるのですか……。


「まあ、この男は人間の範疇を超えた、異常な耐久力の持ち主だからね。ただ、今回同じように生き残ったグラードル卿の容態が、あの時のセドリック卿と近いとは感じたのだ。それで参考にはなると思ったのだよ」


 アンドゥーラ先生にそのように言われたセドリック様は、なんともやるかたなさそうなご様子で口を開きました。


「人外のように言わないでくれないか。私は、青竜王バルファムート様より賜ったこの甲のおかげで助かったのだよ」


 彼は左手の手甲を私たちに示します。


「これは、私が冒険者をしていたときにバルファムート様に関わるとある事件に巻き込まれてね。その事件を解決したときに賜った魔具マギクラフトなのだ。このように……」


 そう仰いますと、セドリック様は私たちの目の前で騎士服姿から瞬時に会場で目にした白い甲冑姿へと変じました。


「この甲には、毒を軽減する力もあるんだ。この状態の時ほどではないが、先ほどのように手甲のままでもそれなりに力を発揮しているんだよ」


 セドリック様は甲姿から騎士服姿へと戻り、席に座ります。


「アンドゥーラ。アンタらが訪ねてきたのはそれだけじゃないだろう。そっちを先に片付けた方が良いんじゃないのかい?」


 お父様の隣に座っておられたブラダナ様が、少し呆れた様子で仰いました。


「そういえば、ブラダナ様はどうして我が家に?」


 アンドゥーラ先生に話を進めるように仰ったブラダナ様には申し訳ございませんが、私は何故ブラダナ様が我が家にいらっしゃったのか気になっておりましたので、疑問を口にしてしまいました。


「嬢ちゃん、アンタ以前、今度アタシが王都に来たときには、この館で世話をしてくれると言っていたじゃないか。王宮泊まりは息が詰まるからね。弟子がこれから嬢ちゃんのところへ行くって言うからさ、やっかいになりにやってきたのさ」


 確かに……以前そのような約束をしておりました。

 ブラダナ様はリュートさんを溺愛しているご様子ですし、彼の生活ぶりを見てみたいのでしょうか?

 私は、斜め後ろに控えていたメアリーに声を掛けます。


「分かりました。メアリー、ブラダナ様のお部屋の準備をお願いしますね」


 そのように指示してから私は、ブラダナ様の隣で、少し手持ち無沙汰そうな顔をしていたマリーズに声を掛けました。


「……それで、マリーズはどうしてこちらへ?」


「ああ、私の話は一番最後で良いですよ。皆様の話を聞いてからお話しした方が良いと思いますし」


 マリーズは私にニコリと笑みを浮かべてそう言いました。

 彼女は、急ぎの用事であれば、こちらを言いくるめてでも話し始めるでしょうし、そのように言われるのなら、アンドゥーラ先生たちの話を聞いた方が良いでしょう。


「それでは、アンドゥーラ先生。――今ブラダナ様が仰った事はいったい?」


「ああ、とりあえず、これを最初に渡しておいた方が良いだろう。これをグラードル卿に……」


 アンドゥーラ先生が隣に座るサレア様に目配せいたします。サレア様は、膝の上に抱いていた包みを、テーブルの上に出しますと、それを開きました。


「これは……?」


 包みの中からは三つの……これは、腕輪? でしょうか。何らかの貴石で作られているように見える青い腕輪です。


「これは先ほどセドリック卿が見せた手甲から、着想を得た魔具マギクラフトでね。サレアと協力して作り上げた物だ。痛みを和らげ、毒による肉体の損傷を抑える効果がある。まあ流石に青竜王バルファムート様から授けられたものとは比べるべくもないのだが、彼の症状の悪化を幾何いくばくかは抑えられるはずだ」


 しかし、何故三つあるのでしょうか? 私の疑問に気付いたのでしょう、先生が続けます。


「コイツは左の腕に付けるのだが、三つあるのは、永続する魔具マギクラフトではないからだよ。一つの腕輪でおよそ四日間利用できるが、三日で交換する方が良いだろう。蓄放ちくほう石と言う、魔力を溜め込む貴石を元にして作られていてね、サレアの癒やしの力が溜め込まれている。その力が減るとこの色が抜けて行くので、効果のある時間は、おおよそ見当が付くだろう」


「癒やしの力が抜けた腕輪は、私のところへ持ってきて頂ければ力を込め直します。時間の猶予を考えて三つ用意しました」


 サレア様が、そのように先生の言葉を引き継ぎました。


「しかし……、これは相当に高価な物ではございませんか? 確かに旦那様の事を考えますと我が家にとってはこの上もなく有り難いものですが……」


「ああ、代金のことは心配要らないよフローラ。この魔具の製作を依頼してきたのはアンドリウス王だからね。おそらくは今回の件の詫びのつもりだろうね。サレアの癒やしの力も、かの御仁が神殿にその分の寄進したそうだよ。あれだけのことに巻き込まれたのだ、胸を張って受け取っておきなさい」


 先生は、さも当たり前のことのように仰いました。

 しかし……これは、私が先生にお願いして造って頂いた魔法薬とは、桁が段違いだと思うのですが……。下手をすればワンド級の品物ではないでしょうか?

 お父様もお母様も、あまりのことに息を呑んでおります。

 それにしましても……


「あの……お二人は、まさか三日でこれだけのものをお作りになったのですか?」


「いや……まあ、天才の私だ。サレアも手伝ってくれたし、たいした苦労ではなかったよ……」


 先生はそのようにうそぶきます。

 私は、瞳から涙が溢れだしそうになりました。

 食堂内は、燭台に灯された蝋燭による光で薄暗いですが、よくよく見れば、先生とサレア様の目の下には薄らとクマが浮いております。


「ありがとうございます。サレア様、アンドゥーラ先生」


「私たちは、代金を頂き頼まれたものを作っただけです。ですからエヴィデンシア家の皆さん、私たちに遠慮は要りませんよ。それよりも、こちらを早くグラードル卿へお渡し下さい」


 サレア様にそのように促されて、私は呼び鈴を手に取って鳴らします。

 少しの間を置いてやってきたのはセバスでした。彼の後ろにはチーシャが食事を運ぶ保温用のワゴンを押して付いてきておりました。

 私は、事の次第を告げて、セバスにこの腕輪を渡します。セバスが食堂から出て行くのを見送って私は口を開きました。


「皆様、僅かばかりではございますが食事の準備が整ったようですので、差し支えなければ食事をしながらのお話でもよろしいでしょうか?」


「とりあえず私たちの一番の用事は済んだからね。後はこのセドリック卿の体験談を語らせるだけだよ」


「私は、その後で大丈夫です。それよりも私、貴宿館で既に夕食を頂いておりますので、気を遣わないで下さいね。こちらでまた食事を頂いては、貴宿館の皆さんに申し訳ございませんわ」


「あたしゃ、まだ食事を取っていないんで、その方が助かるね」


 皆さんの了承を頂きましたので、チーシャに配膳するように目配せいたします。

 チーシャがワゴンから食事の配膳を始めますと、すぐにセバスとメアリーが戻ってまいりまして、素早く残りの料理もテーブルに並べられました。食事を辞したマリーズには紅茶を用意いたします。

 しかし……厨房にとっては急な話であったはずですが、テーブルに並べられた料理は、まるで初めから皆様の来訪を知ってでもいたように豪華な晩餐でございます。


「まあ、こちらではいつもこのような料理がきょうされているのですか!?」


 目前の料理に目を輝かせて、サレア様がそのように仰いました。


「いつも、というわけではございませんが、どうぞお召し上がり下さい。我が家の料理人が丹精込めて作った料理です」


 私がそのように促しますと、皆様それぞれに料理に手を付けました。


「「「……これは!?」」」


 料理を口に運んだ皆様が一様に目を見開きました。

 特にサレア様の反応はすさまじく、斜め前方に座るマリーズにグンッっと、顔を向けて口を開きます。


「マリーズ様……もしかして貴女のお住まいになっている。その、貴宿館――ですか? そちらでもこれと同じ料理が饗されるのですか!?」


 そんなサレア様にマリーズは、キョトンとした様子で答えます。


「貴宿館の厨房は、基本的に徒弟の皆さんにまかせておられるようですけど、本館の料理長さんが頻繁に足を運んできているとのことですし、多分遜色ないと思いますよ」


 その言葉を聞いたサレア様は、まるで、目を白くしてお顔に黒い斜線でも引いたようなお顔をなされて、ガーンとでも言いたくなるような衝撃を受けておられるように見えました。


「……あっ、あの、もしかしてですが、マリーズ様のお付きの方々も同じ食事を……?」


「はい、同じ館に住んでいるのですから食事も同じですよ」


 マリーズは屈託ない笑顔を浮かべて答えます。

 それを聞いた、サレア様の衝撃度がさらにましたように見受けられました。

 隣でその様子を見ていたアンドゥーラ先生が料理を吹き出しそうにして笑い出します。

 ひとしきり笑ったアンドゥーラ先生が、何とか笑いを収めて口を開きました。


「……サレアはね。最近では癒やしの聖女などと皆から言われているようだが、それは食いしん坊でね。このように食事への執着が強いのだよ。クルークの試練の折にも、彼女が他の連中の倍近く食べてしまうものだから、私たちは洞窟内に現れる化け物モンスターよりも、食事の心配をしたものさ」


「なっ、何を言うのですかアンドゥーラ! あれは、その……巫女兵モンクの闘法は肉体を活性化するものですから、だからお腹が空くのです! 決して食いしん坊なわけではございませんよ。皆様、誤解しないで下さいね」


 サレア様はそう弁明いたしますが、目が泳いでおりますのでいま少し説得力がないように見受けられます。

 茶会の折にも少し感じましたが、清楚で大人の女性らしい落ち着いた雰囲気を漂わせているサレア様が、だんだんと残念な方に見えてきてしまいます。

 いえ、確かに立派な方であることには間違いないのですが……。

 そのような遣り取りを眺めておりましたら、食堂のドアを開けて従僕のトニーが顔を見せました。


「奥様、お客人がお見えです。その……以前お越しになった捜査局長様ですが、お通ししてよろしいでしょうか?」


 トニーがそのように言う背後から、その方はひょこりと顔を見せました。


「やあやあやあ、かって知ったる他人の家だ、了承を得ずに上がり込んでしまったが別に構わないだろう? ……おやおや、なんとなんと、珍しい。懐かしきお仲間が顔をそろえているではないか」


 オルトラント王国第二王子ライオス・オルトラント様……この場合はライオット・コントリオ・バーズ様と言った方が良いのでしょうか?

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