第45話 モブ令嬢と旦那様の演習(前)

 本日より数日の間、旦那様は軍務部の合同演習に参加なされます。また、学園の騎士就学生も演習に参加いたします。

 アルメリアは若干興奮気味で、昨日の夜は軽装甲を装備してサロンをウロウロしていて、ロッテンマイヤーに注意されておりました。


 演習の場所は王都より馬で半日ほど東に位置するユングラウフ平野になります。平野とは付いておりますが十数ルタメートルの高低差のある丘陵地帯がそこかしこにある場所だそうです。

 広大な土地はあるのですが、そのような場所ですので農耕地にはあまり向いておらず、王国南方に広大な農耕地帯があるためにユングラウフ平野は放置されております。

 近隣を治めております貴族領地の牧人ぼくじんが羊や山羊、牛などを放牧していると聞いたことがございます。


 今日は私も、旦那様たちの演習への出立を見送るために朝早く起きました。

 旦那様は私よりも早く起きて、愛馬フォルクの装具などを準備しております。

 私が着替えを終えて階段を降りて行きますと、貴宿館付きの侍女、エミリー・クータルと顔を合わせました。

 薄い紫の瞳に、赤みの強い茶色の髪をしている彼女は、今年三十歳になるそうです。

 身長はお母様より少し低く、体格は少し骨太な感じがいたします。

 メアリーから聞いた話ですと、本当ならば彼女といま一人、貴宿館にいるヨハンナ・ミリムが本館付きだったそうなのです。


「エミリー、どうしたのですか? 本館に用事ですか?」


「いえ奥様。本日からご主人様がご帰還なされるまでの間、私がフルマとチーシャの代わりを務めることになりました」


 エミリーは軽く目礼をして、そう言いました。


「まさか……二人は演習について行くのですか?」


「補給隊が現地招集する炊き出しの人手に紛れ込む手筈が整っていると……」


「二人はまだ、旦那様の事を疑っているのですね……」


 私がそう言いますと、エミリーがクスリと笑いました。


「いえ、あれはもう意地ですね。ここでの生活で、ご主人様が善良な方であることは理解しているはずです。あのたちはまだ若いですからね。何か自分を納得させる切っ掛けがほしいのでしょう」


 そうなのです、フルマとチーシャは私と一つしか歳が違わないのです。一つ年上の十六歳です。彼女たちは一年ほど前、私と旦那様の婚姻話が持ち上がると直ぐに、あのお茶会が開かれたルブレン家の別邸に侍女として入り込んだのだといいます。

 つまりは、いまの旦那様になる以前のグラードル・アンデ・ルブレン様を、半年近く観察していたはずなのです。

 旦那様はその期間の記憶がございませんので、二人のことはまったく記憶には無いようです。そもそも二人は変装していたらしいので、記憶があったとしても覚えていなかったかも知れません。

 この話は、フルマとチーシャ、二人との約束ですので旦那様にも話しておりません。

 私、旦那様にはあまり秘密を作りたくないのですが、こればかりはしかたありませんね。


 エミリーと話をした後、私はフォルクの準備を整えた旦那様と、両親と一緒に食事をいたしました。

 食事を終えた後、エントランスに出たところで私は意を決して、旦那様に声を掛けます。


「旦那様……私、旦那様に差し上げたいものがあるのです」


 表情を改めてそう言いますと、旦那様が軽く驚いたように目を見開きます。


「あの――これを。お守りとしてお持ちください」


 私は、隠しから首飾りを取り出し旦那様に差し出します。

 首に回す鎖の中程に盾のような形をした飾りが付いた首飾りです。


「アンドゥーラ先生に造っていただきました。飾りの中に回復の魔法薬と毒消しの魔法薬が入っております」


 旦那様は、私からその首飾りを受け取ると、優しく笑い掛けてくださいました。

 そうして私の頬に手を掛けると、軽くキスをしてくださいました。

 初めてのキスとしたあの日から、時折こうして軽いキスをいたしますが、何回されても胸がドキドキといたします。


 そうして、私が頬を赤くしておりますと、旦那様が「……ありがとうフローラ、嬉しいよ」と、言ってくださいました。


 旦那様は、ゲームという物語の記憶で、アンドゥーラ先生が魔導師として魔法だけでなく、魔具と魔法薬の制作においても一流であるということ知っておいでです。


「でも、フローラが造ってくれたんじゃないんだな」


「申し訳ございません……私、その、少し不器用らしいのです。アンドゥーラ先生には魔具と魔法薬の作成はやめておいた方が良いと……そう言われてしまいまして……」


 そう言う私の挙動に、旦那様は何か感じられたのか、軽い調子で口を開きます。


「まさか、火を噴いたり、爆発したわけじゃないよね」


「なっ――、そっ、その…………三回ほど……」


 私が、そう言いましたら、旦那様が目をむいて驚きの表情を浮かべました。


「『マジで!? まさか……既に、ドジっ子属性を獲得していただと……!?』」


 そう日本語でつぶやきましたが、残念ながら私にはまだその意味が分かりませんでした。

 内容は気になりますが、このような感じで日本語をつぶやいたときに、その内容を問いかけますと、旦那様はとても恥ずかしがりますので無理強いはできません。


 そんなやり取りのあと館を出ますと、軽装甲を装備したアルメリアがソワソワしながら待っておりました。

 彼女の隣には、ハンスに伴われたフォルクが大人しくたたずんでいます。

 フォルクの面倒はハンスと下働きの方が、持ち回りでしていてくださっているようです。


 最初、フォルクがやって来たとき、私が面倒を見ようとしたのですが、「立場というものがございます」と、セバスとメアリーに丁重に断られてしまいました。馬の面倒を見るのは好きなので少し残念でした。

 アルメリアもおりますので、旦那様はフォルクの手綱を握り、私たちと一緒に徒歩で軍務部の兵舎へと向かいます。


「おそらく一週間ほどになると思うけど、その間、屋敷のことは頼んだよフローラ。何かあったらセバスと相談して、それでも対処できないような問題が起きたら、法務部のディクシア法務卿やライオット局長を頼るんだよ」


「グラードル卿、なんだかエヴィデンシアの屋敷が襲われでもするような言い草じゃないか。これまでの行いで貴男が襲われるなら話は分かるけど、なんで屋敷の心配なんかしてるのさ」


 アルメリアが、旦那様が私に掛けた言葉にそう言いました。アルメリアは我家の事情を知らないのでしかたがございませんが、彼女はいまでも旦那様の事を嫌っているのでしょうか? 最近は貴宿館などでもたまに言葉を交わしているのですけれど……。


 学園や各種行政館のある大通りに出ますと、多くの兵士が歩いていたり、騎士が馬の背にゆられて修練場に向かっておりました。

 学園の門を通り過ぎて軍務部の兵舎の辺りまで歩いてきましたら、アルメリアがもったいぶった調子で、口を開きます。


「実はね、グラードル卿……この演習中、貴男の配下として付くことになった騎士修練士は、なんと私なのさ」


「え゛ッ!?」


 胸を張ってそう言ったアルメリアに、旦那様は目を見開いて絶句いたしました。

 昨夜、旦那様が、この演習の間、騎士の方々に一名、騎士修練士が小間使いとして配されると仰っておりました。

 それは、騎士修練士に、騎士の身の回りの世話をさせながら、その仕事を覚えさせるためだとか。

 しかし、いまの旦那様の反応を見ますに、旦那様は彼女が配下として付けられるとは知らなかったようです。


「ふふん――、配下の小間使いは騎士修練士の意思が尊重されるんだ。この演習の間、私は貴男の素行をじっくりと観察させて頂くよ」


 アルメリアが、フンスと鼻息荒く胸を張りました。やはり彼女は、まだ旦那様を信用してくれていないようです。


 旦那様が、頭を抱えて「『チョット待って、何で俺のところに来る!? そもそもこの娘、この演習参加してたっけ? ゲームだと、最近大きな演習があった。くらいのテロップだったけど』」と、小さく日本語でつぶやきました。


 内容は分かりませんが、不測の事態が起きたのだろうということは分かります。

 旦那様が、悩んだ様子で歩いておりますと、突然前方から大きな声が響きました。

 

「グラードル・ルブレン・エヴィデンシア! 貴男に決闘を申し込む!!」


 決闘!? その不穏な叫び声に、声の主を探しますと、多くの騎士や騎士修練士、さらには兵士たちが既に大勢集まっている修練場の入り口付近にレオパルド・モーティス・デュランド様が立っておりました。

 緑の上に赤を乗せたような色合いの髪を短く角張ったように刈り揃え、濃い緑の瞳に怒りの色を浮かべて旦那様を睨んでおります。

 背は、旦那様より顔半分ほど高いようです。


 修練場に集まっている方々が、レオパルド様の言葉を耳にして、好奇の色を浮かべてこちらに視点を向けました。


「いや、レオパルド君。なんで俺が君と決闘なんぞしなければならないんだ。理由を教えてくれないか?」


 旦那様はこの突然の出来事に対して、意外なほど冷静にそう答えました。いえ、その前のアルメリアの告白の衝撃に、さらに決闘などという衝撃的な申し出を受けて、逆に思考が止まったのかも知れません。

 しかし、レオパルド様はその旦那様の冷静な態度に、怒りを触発されたように叫びます。


「グッ、グラードル卿! きっ、貴様はッ、そっ、その……騎士にあるまじき、アル、アルメリア嬢を手籠めにして、己の意に添わせているのだろう!!」


「へっ!? ――いや、どこからそんな話が出る!」


 顔を真っ赤にして、そう叫んだレオパルド様に対して、旦那様は一瞬、キョトンとしたお顔をした後、彼の言葉を呑み込んだのか、目を見開いて慌てます。


「えっ、てっ、手籠めなんて……そんな、ウフッ、フフフフフ……」


 アルメリアは、何故か両の手の平を頬に添えてクネクネしています。

 えッ? アルメリア? アルメリアは何でそんな反応なのですか!? 恥ずかしがるよりも否定しなければ……ほら、アルメリアの反応を見たレオパルド様が……。


「クッ、ぬぅ、やはり貴様。栄誉あるオルトラント王国騎士団の一員に貴様のような男がいるのは許せん! 我が身は未だ騎士修練士ではあるが、武門の一族デュランドの血に架けて、貴様を掣肘せいちゅうしてくれる」


「いっ、いや……だから俺はそのようなことはしていない……おわッ」


 レオパルド様が、腰に差した剣を抜き放ちその切っ先を旦那様に向けます。


「問答無用!」


「いや、問答はしろよ! 俺は決闘を受けるとも言ってないんだから!」


 旦那様が、必死にそう呼びかけますが、レオパルド様はその言葉を無視して、斬りかかります。

 演習のための刃引きした剣のはずですが、当たれば骨折は免れないでしょう。

 レオパルド様の剣は、旦那様の鎖骨の辺りを狙って振り下ろされようとしました。私は、思わず目を瞑ってしまいましたが、キンッ――と、金属同士がぶつかる音がします。

 私が目を開きますと、レオパルド様の剣を下から打ち上げるようにして剣が合わせられておりました。

 それを成したのは、今回の演習から旦那様付きの兵士となったというレオンさんです。


「落ち着きなさいな――レオパルド騎士修練士。武門の一族デュランドの名を汚したくないなら、そんなふうに感情にまかせて剣を振るっちゃあいけない」


 剣を合わせ止めたレオンさんは、大人の余裕をみせてそう仰いました。


「平民の兵長風情が、公爵家の人間に諫言するか! 貴様――名を名乗れ!」


 剣を止めたレオンさんを睨み付けて、レオパルド様がそう命令します。

 レオンさんが、少しやれやれといった表情を浮かべて、口を開こうといたしました。

 その時、レオンさんを制してレオパルド様の前に旦那様が進み出ます。彼の顔には静かな怒りが浮かんでおりました。


「待ちなさい――レオパルド君。……それはいけない。それはダメだ。いくら怒りに呑まれていたとしても、貴族として取っていい態度じゃない…………分かった。その決闘を受けよう」


 旦那様はそう言って、本当に冷静にレオパルド様と視線を合わせました。

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