第44話 モブ令嬢の学園生活

 昨日、捜査局にライオット様を訪ねた旦那様は、屋敷に帰りましたあとセバスに、ライオット様から聞いた話を伝えておりました。

 リュートさんとマリーズが襲われるかも知れないという可能性については、既に伝えてあったらしく、さらに貴宿館の警備を強化するのだそうです。


 今日、旦那様は、軍務部にて先月から準備しておりました軍事演習が、明日から始まるとのことで騎士団で行われる最終調整のために、ご実家から連れてきた愛馬、フォルクに乗って私たちよりも早めに出掛けて行きました。

 どうも旦那様は、この演習期間に我家で何かあってはいけないとの思いがあり、演習前にディクシア法務卿かライオット捜査局長に話をしておきたかったらしいです。


 いまは昼前、常在学の授業の最中でございます。

 常在学などを受ける基本教室は、高等部では六つの教室が使われております。一つの教室が最大五〇名、一学年三〇〇名まで受け入れられております。


 各学年定員が全て埋まるわけではございませんが、生徒はオルトラント王国全土から貴族の子供たち――特に長子はほぼ確実に学園にやってまいりますので、およそ三分の二は貴族の子弟や子女が通っております。後は、上級市民の子やマリーズのような他国からの留学生になります。

 学園という試みが大陸西方諸国でも珍しいものですので、年に一度ほどは他国からの視察も訪れます。


 今日の授業は、オルトラント王国と友好関係にある西方諸国の国々が、どのようにして現在の友好関係を築いたのかということを、歴史をたどりながら詳細に説明しております。

 私は、トルテ先生から物語として教えて頂いた話が多数含まれておりましたので、少々手持ち無沙汰になってきてしまいました。


 ちなみに私の席は教室の窓側後方になります。決まった席というものはないのですが、以前、私がいると髪と瞳の色の関係で、出入りの際に目障りだと言われてしまいましたので、廊下側には座らないようにしております。

 そして、いつも私の隣にはアルメリアが座ります。さらにここ最近は私の後ろにマリーズが座っております。


 マリーズが「私とフローラが一緒にいれば、どちらにもおかしな方が近付いてこないので丁度良いですよね」と、悪戯めいた笑顔を浮かべて言っておりました。


 隣の席で授業を受けているアルメリアは、昼後から騎士就学部で始まる、演習の説明会が楽しみらしく気もそぞろな様子です。


 授業前にも、「演習は、本当の戦争と違って成人云々は関係ないからね! 甲や盾に荷物など、二十五ダインキロ近い重量を負って、二十ベルタも歩く行進訓練とか、とても苦しい訓練らしいんだ! うん! それだけでも垂涎ものだけど、普段平らな場所でやっている集団戦闘を起伏の激しい場所でやるんだ。これは、とても過酷な訓練になるに違いない!」と、金色の瞳をさらに光らせて興奮しておりました。


 いつも思うのですがアルメリアは立派です。騎士就学生として過酷な訓練を率先してこなすのですから。私でしたら、直ぐに倒れてしまいそうです。


 教壇で先生が説明を続けておりますが、相変わらず私の知っている話が続いております。

 私は窓の外――修練場に目を向けてしまいました。

 修練場では騎士の皆様と、配下の兵士の方々が集団戦闘の陣形確認を行っているようです。

 遠目ですが、集団の中に旦那様の姿を見つけました。それだけで嬉しくなってしまって、胸が昂ぶってしまいます。

 旦那様は、愛馬に騎乗しておりその背後には五人の歩兵が付き従うように並んでおりました。


 私がそんな様子を見ておりましたら。目の端に、マリーズも私と同じように修練場に顔が向いているのが見えました。彼女は小さな声でブツブツとつぶやいております。


「今日は絡みはないのですね……いまひとつです。昨日は剣の修練をしたりしていて……あの、レオパルドさんとリュートさんの組み合わせはなかなかでした。レオ×リュー、今度ミームに絵にして頂きましょう。リュー×グラのヘタレ攻めも面白そうですけれど……。そうでした! グラードル様の配下の歩兵の方。レオンさんと仰いましたっけ? あの方もなかなかの美形でした。そちらのレオ×グラも捨てがたいですね……美男と野獣。クフッ、しかし……フローラもよくああして、訓練を見ておりますけど……もしかして同好の士なのでしょうか? 結婚しておられても衆道好きの方はいますものね……」


 側頭部に、マリーズの強い視線を感じます。

 私、旦那様と結婚してから、旦那様のつぶやくような独り言を聞き続けておりましたので、結構小さな呟きでもかなり聞き取れるようになってしまいました。

 少し聞き取れない部分もありましたが、いまのマリーズの呟きもほとんど聞こえておりました。

 しかし、聞き取れはしましたが、マリーズの言っている事の意味はほとんど分かりません。もしかして神殿の隠語のようなものが使われていたのでしょうか?

 ただ、呟きの中に出てきたミームさんというのは貴宿館に入居しておりますマリーズ付の巫女の一人、若い方の方ですね。絵の上手な方で、私も少し前に旦那様の肖像を描いて頂きました。

 ですが彼女は、若干男性を美化して描く癖がおありのようで、旦那様が本来よりも線が細く、美麗に描かれておりました。さらに大輪の花を背後に背負っておられましたので、見ていて何やら恥ずかしくなってしまい、棚の奥へと仕舞い込んでしまいました。


 あと、レオ×リューとか、リュー×グラのヘタレ攻めが面白いとかおっしゃておりましたが、ヘタレ攻めという戦法でもあるのでしょうか? それに旦那様とレオン兵長の名前も聞き取れましたが、美男と野獣が何とか言っておられました……旦那様は確かにお世辞にも美男とは言えませんので、野獣が旦那様なのですよね? その、見慣れればなかなかお味のある顔なのですよ……時々、とても格好良かったり、無性にかわいらしく見えるときもあるのですから。

 そのようなことを考えておりましたら、いつの間にか授業が終わっておりました。


 授業が終わった後、マリーズにジッと虹色の瞳で見つめられて、「フローラ。私、分かっておりますわ。共に至高の愛をでる士として、研鑽してまいりましょう」と、言われましたが、一体何のことだったのでしょうか?





 昼後になりまして、マリーズは、奏楽学部の授業を受けると言いましたので、一緒に教室まで向かい、レガリア様にマリーズの事をお願いしてから、私は魔導学部の教室へと移動いたしました。

 魔導学部の教室には、魔法薬調合のための試薬や触媒などが並べられておりました。今日は魔法薬調合の基礎を学ぶことになっております。

 ちなみに失礼なことではございますが、『フローラには触らせないように』という張り紙が教室の書記版に貼り付けられておりました。


「あっ、あの……フローラさん。あれって……」


 その張り紙を指さして私に声を掛けてきたのはリュートさんでした。


「いつものことですので、お気遣いなくリュートさん」


 私が、ニコリと笑いますと、リュートさんは一筋の汗を頬伝いにたらりと垂らして、少し引きつった笑い顔を浮かべます。

 もしかすると、教室の誰かから以前の話を聞いてたのかも知れません。

 三回だけですよ、失敗したのは。……あれからアンドゥーラ先生は触らせてくれませんけれど。


「あら? リュートさんその首に掛けていらっしゃるのは?」


 昨日までリュートさんは、冬服を着ておられたので気が付きませんでしたが、今日は暖かく、薄手の服を着ています。

 その服の首元に鎖のようなものが光りました。


「ああ、これですか……」


 いつも明るい彼にしては珍しく、少し沈んだ顔をいたしました。もしかして私、聞いてはいけないことを口にしてしまったのでしょうか?


「ああ、大丈夫ですよフローラさん。これは、お守りなんです。両親がボクに残してくれた形見ってやつなんですけどね」


 私の様子を察して、彼がわざと明るく振る舞っているのが分かります。


「リュートさん、ごめんなさい」


「ああ、本当に大丈夫ですから。見てくださいほら、綺麗でしょう」


「まあ、これは……」


 彼が首元から取り出したのは、七色に輝く、鱗のようなものです。


「竜の逆鱗って言うんだってバッチャンが言ってました。もう一枚あるんですけど、それはバッチャンが持ってるんです」


 竜の逆鱗……初めて見ました。竜種の逆鱗は顎の下に三枚だけ逆向きに生えた鱗の事です。

 しかしこの逆鱗は通常、その竜の色と同じはずです。この鱗は虹色に輝いて見えますが、たしかトルテ先生が、「虹色の逆鱗を持っているのは、竜王様と第一世代の竜種だけなんだよ」仰っておりました。

 逆鱗は生え替わらないと言われておりますので、おそらく第一世代の竜種から取られたものではないでしょうか。

 どちらにしましても非常に珍しいものです。このように見せびらかすのはよくないかもしれません。


「リュートさん、それはあまり人に見せない方がよろしいですよ。おそらく、相当に高価なもののはずです」


 私は、リュートさんにそう、耳打ちいたしました。


「そこの二人、もう授業が始まるよ。それに……フローラ、浮気はいけないな」


 いつの間にか教壇に立っていたアンドゥーラ先生が、片方の口角を上げてそう仰います。

 冗談だとは分かっておりますが……私、先生がどうして学園に押し込められておられるのか、初めて本当に理解した気がいたしました。……先生、言って良い冗談と悪い冗談がございます。

 しかし、先生は私のそんな内心の思いなどに気付かずに言葉を続けました。


「フローラは私の手伝いだ。あと、フッフッフッ、リュート。やっと来たね。君は後で私の個室に来るように、別の場所にやっかいになっているとはいえ、君の保護者は私だからね。生活の様子を定期的に報告するように。さて、それでは授業を始めようか」


 アンドゥーラ先生はそう言うと、パンッと、手に持っていた指示棒で教卓を叩きました。


 結局その日も、私は、先生のお手伝いに終始して、魔法薬調合をさせては頂けませんでした。しかし、先ほどのリュートさんとの話で、一つ思いついたことがございました。

 明日から演習に参加する旦那様にお守りを差し上げたいと思ったのです。しかし残念ですが私には造れません。ですので、いつも魔法薬調合や魔具制作で先生のお手伝いをしているのですから、先生にお願いして、造って頂くことにいたしました。先生にはそのくらいのわがままは言っても良いと思うのです。


 初めのうち先生は面倒くさがっておりましたが、私が先ほどの冗談を引き合いに出して、「先生……言って良いことと悪いことがあるとは思いませんか?」と、微笑みましたら、先生は頬を引きつらせたあと、盛大に首を縦に振りまして、ものすごい勢いで造り上げて頂けました。

 ちなみに、そのとき同じ個室にいたリュートさんも、先生と同じように頬を引きつらせておりました。


 造ったお守りを私に手渡す際、アンドゥーラ先生が「普段怒らない人間を下手に怒らせるものではないとよく理解したよ……」と、まだ若干頬を引きつらせてそう仰いました。


 私、そこまでの反応をされるような事をした覚えはないのですが……。

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