第36話 モブ令嬢とルブレン家(後)

 オルバン・バレンシオ・レンブラント伯爵。


 彼は艶のある黒に近い緑の髪を、撫でつけるように後ろに流して首の後ろで束ねております。少し青みの入った銀色の瞳は深い知性を湛えておりますが、その瞳に灯る光が、私には冷たいものに見えました。

 筋肉質な印象がございますが、均整の取れた体格で、身長はお義父様よりも若干高いようです。

 たしかまだ四〇歳にはなっておられないはずです。


「この度は、財務部配下のボンデス君にお招き頂き、まかり越した次第ですルブレン侯爵」


 レンブラント伯爵は悠然と目上の方に対する礼をいたしました。


「おお、もういらしていたのですかレンブラント伯爵。いやあ、遅くなって申し訳ございません」


 そう言いながらレンブラント伯爵の後ろからやって来ましたのはボンデス様でした。


「いかがですか父上。私の人脈は――財務部の経理局の局長のオルバン卿ですぞ。私、日頃から目に掛けていただいているのです」


 ボンデス様は自慢げにそう言いますが。このサロンの空気をご理解なさっておられるのでしょうか……

 私の隣では、お義姉様が眉間を押さえて顔をしかめております。

 お義父様は、今にも怒鳴り散らしそうなほどに顔を真っ赤に染め上げております。

 そんな雰囲気の中、レンブラント伯爵はこの会場の居並ぶ客たちをゆっくりと見回しております。

 彼の瞳に映った客たちは、顔を青く染めてうつむいたり、柱の陰に隠れたりと、先ほどまで会場を満たしていた高揚は完全に消し去られてしまいました。


「おお、これはこれは。あなた方がここ最近話題に上がっておられる白竜の愛し子様と聖女様ですね。初めてお目に掛かります。オルバン・バレンシオ・レンブラントと申します。七大竜王様のお導きによりお目にかかれましたこと慶賀の至りに存じます。私、オルトラント王国において伯爵位と財務部経理局の局長の職を預かっております。以後お見知りおきを」


 マリーズとリュートさんが、伯爵の側にいた私を心配して来てくださったのでしょう。

 それを目に留めたレンブラント伯爵は、如才なくお二人に挨拶と礼をいたしました。

 その挨拶に、マリーズは優雅に、リュートさんは若干緊張を表しておりましたが、礼を返しました。

 続けてボンデス様もお二人に挨拶をなさるかと思ったのですが、彼は二人を無視するように視線を外しております。もしかすると、我家が関係しているからかも知れませんが、褒められた態度ではございません。


「それにしても皆さん、どうなされたのですか? せっかくの茶会です楽しまなければ勿体ないではありませんか」


「そうですぞ皆さん、一体何を固まっておられるのですか? ああ、そうですな。さすがに次期財務卿と言われておられるレンブラント伯爵を前にしては、驚かれるのも無理はないですかな」


 そう言ってガハハハと、お義父様とよく似た笑い声を上げます。

 えッ、えええっ!? あっ、あの……もっ、もしかしてですが……ボンデス様は、お義父様が財務卿の座を狙っていることをご存じなかったのですか!? 私、ご家族は皆さん承知しておられるものと思っておりました。


「まさか……ここまで、状況を把握できなくなっておいでとは……」


「お義姉様!」


 私は、よろけたお義姉様を支えるように寄り添いました。

 お義姉様――よく卒倒なされなかったものです。私でしたら自信がございません。

 我がエヴィデンシア家でさえ、グラードル様と私の縁組みの話が出たときに、その可能性を考えておりましたのに。

 不意に、レンブラント伯爵の瞳が私を捕らえます。

 ぞくりっ、と私は身体の芯が凍り付くような悪寒に襲われました。


「これはこれは、フローラ嬢。娘のメイベルからよく話を聞いております。我が娘としていただいているようで、何よりだ。ああ、今はエヴィデンシア夫人と呼んだ方が良いのかな?」


 そう言いながら、レンブラント伯爵は私に近付いてきます。

 視線をそらさずに近付いてくる伯爵。その視線を外せずにいる私は、我知らず後ろに一歩下がってしまいそうになりました。

 そんな私の視線を、横合いから大きな背中が塞ぎました。


「いや、これはレンブラント伯爵、初めてお目に掛かります。……私、先だってエヴィデンシア伯爵家の当主の座を引き継ぎました。グラードル・ルブレン・エヴィデンシアと申します」


 それは……この上もなく頼もしい旦那様の背中。

 私はその背中に飛びつきたい衝動を必死に抑えます。

 横に立つお義姉様が、そんな私を優しい表情を浮かべて見ておりました。そして、寄り添っていた私を、旦那様の横に並ぶようにと押し出してくださいました。


「レンブラント伯爵、初めてお目もじいたします。グラードルの妻、フローラ・オーディエント・エヴィデンシアでございます。メイベル嬢には学園において、それはをいただいております」


 私は、今度は臆することなく笑顔を浮かべ、その視線を見つめ返してそう挨拶をいたしました。

 レンブラント伯爵は、その底冷えのする瞳で私たち夫婦を見て、含みを持った笑みを浮かべました。


「これは、エヴィデンシア夫妻には丁寧な挨拶痛み入る。わが叔父であるモルディオとエヴィデンシア家の間には些かの不幸な縁があったが、我々は仲良くやっていきたいものだ」


「なっ、何ですか父上!? おっ、おいカサンドラも……」


 私たちがレンブラント伯爵とそのような遣り取りをしている間に、顔を真っ赤にしたお義父様と、額に青筋を立てたお義姉様によって、ボンデス様が引きずられるようにして奥の方へと引き立てられてゆきました。

 ……お義姉様、ご健闘をお祈りいたします。


「私どもエヴィデンシア家も新たな代となり、バレンシオ伯爵様との過去の因縁を越えてオルトラントの為に手を取り合いたいと願っております」


 旦那様は、レンブラント伯爵からの圧力など意にも介していないように笑顔を浮かべております。


「……ふむ、噂話というのはやはり当てにはならぬものだね。ルブレン家に君のような人間が居るとは思っていなかった。これは私も、気を引き締めなければ足をすくわれそうだ。それにしても、私のせいでこの場がしらけてしまったようだね。残念ではあるが、今回はこれで失礼させていただこう。……グラードル卿。お父上にはよろしく言ってくれたまえ」


「レンブラント伯爵……私は、あくまでもエヴィデンシア伯爵家の人間です。……そのことだけはご承知おき願いたい」


 最後まで氷の圧力を発し続けるレンブラント伯爵に対して、旦那様も一歩も引かずにそう仰いました。

 しかし、私は気付いてしまいました。彼の指先が僅かに震えていることに。旦那様も、伯爵からの圧力に必死に耐えていらっしゃるようです。


「………………」


 レンブラント伯爵は、最後に今一度だけ私たちを凝視いたしますと、踵を返して去って行かれました。


「ふぅーーーー」


 伯爵が完全に視界から見えなくなりますと旦那様が大きく息を吐きました。

 私も、旦那様の腕に手を回しました。


「旦那様……」


「あれは、化け物だな……『まったく、何なのあれ。魔王なの!? ゲームに名前くらいしか出てなかったくせに……セガールかよ!』」


 気が抜けたのか、旦那様の口からいつもの不思議な言葉の独り言が漏れました。


「フローラ、大丈夫ですか? 私、出て行こうかと思いましたけど、グラードル卿の方が一歩早かったですね。流石フローラの旦那様です。それにしましても、この国にもあのようなお方がおられるのですね。教皇様級の威圧感でしたわ」


「そうですね。怒ったときのバッチャンもあれくらい怖いですけど。怒ってないのにあんなに怖い人は初めてです」


 マリーズとリュートさんもそれぞれの感想でレンブラント伯爵を評しました。


 その後、戻ってきたお義父様が懸命に場を盛り上げようとしておりましたが、結局最後までルブレン侯爵家のお茶会は、盛り上がりに欠けたまま終了することとなってしまいました。

 ちなみに、ボンデス様も青いお顔をしてお戻りになりましたが、その後は最後までピタリとお義姉様に伴われておりました。


 メルベール様とアルク様は、レンブラント伯爵がお帰りになってからそう時を置かずに、奥へと引き上げてしまいましたので、私は結局メルベール様と言葉を交わすことが叶いませんでした。

 お義母様とは、婚姻の義の折りに挨拶を交わしただけですので、今回は少しはお話ができるのではと期待していたのですが……。

 ですが今回のお茶会でカサンドラお義姉様とお近付きになれたことは、私にとって黄金にも勝る宝となりました。

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