第33話 モブ令嬢と学園と新たな招待状

 マリーズとアルメリアと私の三人でお屋敷探訪をいたしました日より数日。

 本日よりマリーズが学園へと通うこととなりました。


 リュートさんは礼儀作法も少しは様になりまして、先週の中頃からは彼も学園へと通い始めております。

 登校初日はそれはもう大騒ぎになったようですが、ロッテンマイヤーの指導よろしく、今のところ大過なく過ごしておられるようです。


 その様子を見ておられた旦那様が「『あれ? もしかしてこれって、トラブルから始まるイベント潰しちゃった!?』」、不思議な響きの言葉でつぶやいておりました。


 旦那様も、リュートさんが厄介事に巻き込まれずにおられることに安堵しておられるのでしょう。


 私たちが連れだって学園へとまいりますと。

 思いのほか目立ってしまったようで、学園の生徒たちや、各行政館へと向かう方たちの声が遠巻きに響きます。


「……なんで、農奴娘が白竜の愛し子様と……」


「……おっ、おい、それよりも、あの一緒に歩いてるベールを被ってる娘。マーリンエルトで見たことが……」


「嘘! 聖女様じゃ…………」


「何で……強欲グラードルが、あのような貴人たちと……」


「フッ、私はどうせその他大勢さ。……でも、それもまた」


 遠巻きの声に、隣を歩くアルメリアのつぶやきも響きます。

 彼女は先日から沈み込んだままですので、少々心配になってきました。

 結局、私たちが学舎へと入るまで、そのような囁きを耳にしたままでした。


 マリーズが「私、馬車通いにした方がよろしいかしら? でも、オーラスの神殿は学園の向こう側ですし、二度手間ですよね」と、気にしております。


 「大丈夫ですよ。三日もすれば慣れます。ボクはもう慣れました」


 リュートさんはおおらかですね。そういう点は見習わなければいけないかも知れません。


「私、学園長様のところに挨拶に伺わなければなりませんので、こちらで一度お別れですわ」


 マリーズがそう言って、中学舎へと続く廊下へ歩いて行きます。

 学園は、中等部から受け入れておりますが、その年代の教育は自領でも行うことができますので、領地持ちの貴族の子供たちは高等部の在籍者よりも少ないのです。

 ですので、学園長室と個室を持たない常在学の教諭の待機室は中学舎にございます。


「フローラさん、ごきげんよう」


「ごきげんよう、レガリア様」


 マリーズと別れましたら、入れ替わるようにレガリア様と顔を合わせることとなりました。

 母性あふれる笑顔を浮かべておられるレガリア様は、ともすれば学園の教諭のような貫禄を放っております。


「先日は、レガリア様にはお世話になりました」


「そのような挨拶はよろしいですわ、私とあなたの仲ではございませんかフローラ。それよりも、今の方は――もしかして聖女様ではございませんか?」


「はい、先日のお茶会の夜にリュート君を訪ねてこられまして……、その、貴宿館に入居なされることとなったのです」


「まあ! それは名誉なことですね。エヴィデンシア家はグラードル卿を迎えてより、良き縁に恵まれて何よりですわ」


「ありがとうございますレガリア様、私にとってはレガリア様との出会いも、代え難き良き縁でございます」


「フローラにそのように言ってもらえるのは私も嬉しいわ」


 年下令嬢たち憧れのお姉様であるレガリア様に、ふわりと優しい笑顔を向けていただき私も心が浮き立つ思いがいたしました。

 しかし、そのとき廊下の影からヒソヒソと話す声が聞こえました。


「……何なのよ、あの農奴娘。白竜の愛し子様や聖女様だけでなくレガリア様まで……まったく、どうやって取り入ったのかしら……調子に乗って目障りですわ……」


「本当にそうですわ。成り上がりルブレンに買われた奴隷娘のくせに……」


「そうですわ、そうですわ」


 学舎の中というのは思った以上に声が響くのですが、話しておられる方はそこまで気が回っておられないようです。

 レガリア様は、その言葉が耳に入った瞬間、キッと声のした方向を睨め付けました。


「そこにいる方々、出てきなさい! 私の友に対する暴言は許しません! 言いたいことがあるのなら顔を見せて仰いなさい」


 レガリア様がそう仰いましたが、廊下の影の向こうからは誰も出ては来ませんでした。しかし、人の気配はいたします。息を必死に殺しているような気配が……


「…………良いでしょう、出てこないのならば構いません。よく聞いておきなさい。今後フローラを不当に貶めるものは私の敵でもあると心なさい!!」


 レガリア様がそう仰いますと、廊下の影の向こうから、数人が駆け去って行く足音が響きました。


「……ごめんなさい、フローラ。私、勝手にあのようなことを言ってしまって……」


「いえ、私こそレガリア様にあのようなことを言わせてしまい申し訳ございません。もしも、レガリア様に何か被害が及んでは……」


「その点は大丈夫ですわフローラ。私の派閥はそれなりに大きいのですよ」


 そうでした……レガリア様の派閥は学園一の規模でございました。逆に先ほどの彼女たちの素性が知れようものなら、学園内で孤立してしまうのは彼女たちかも知れません。


 私、先ほどの声には聞き覚えがあるのですけれど、流石に彼女たちをそのような状況に追い込む気にはなれません。なんといいましても、私がこれまでそのような状況を散々味わってきたのですから……。


 その後、レガリア様とは近々奏楽室を訪れる約束をしまして別れました。

 そして、学園長室から戻ってきたマリーズの基本教室は、私とアルメリアと同じ教室に決まったそうです。

 基本教室というのは、専攻学科以外の常在学などの授業を受ける教室です。

 ちなみに、リュートさんは隣の教室になります。



 昼後の授業時間を終えて私は学園から帰ろうと門へと向かいます。

 マリーズは、留学の手続きがまだ残っておりましていま少し遅くなるそうです。お付きの巫女たちが出園時間には迎えに来ると言っておりました。

 リュートさんは、何やら友人ができたそうで、その方と何かをしにいらっしゃるとか。アルメリアは、教室を見回して見ましたが、どこかに出かけたらしいです。

 結局私はひとりで退出することとなり、学園の門を出ました。

 法務部行政館の付近まで歩いてまいりましたら、旦那様が恰幅の良い男性に襟元を捕まれて、壁へと押しつけられているのが目に入りました。

 私は驚いて、旦那様の元へと駆け寄ります。


「旦那様! あっ、あなた、お離れなさい!! 私の旦那様に何をなさっているのですか!!」


 私は、そう声を張り上げ、肩から掛けていた鞄を振り上げて旦那様を押さえつけている男の頭に叩きつけようといたしますと、それに気が付いた旦那様が目をむいて声を上げました。


「止めろ、フローラ! 兄上だ!」


「ぐぁッ!」


 旦那様はそう仰いましたが、振り下ろしてしまった鞄を止めるだけの腕力は、私にはございませんでした。

 後頭部に鞄の一撃、若干角が当たっていたような――を受けた、男性……ボンデス様が頭を抱えて呻いております。


「ぐぐぅぅぅ……」


「申し訳ございませんボンデス様! 私、暴漢が旦那様を襲っているものと勘違いしてしまいました!」


「ぐぅぅぅッ、クソ! まったく、何なのだ! グラードル貴様! 嫁までも――俺を亡き者にするように仕込んでいるのか!」 


 ボンデス様は、頭を押さえたまま立ち上がりますと、ぐるりと私に振り返りました。その顔は怒りに激しく歪んでおります。私はとても恐ろしくて足がすくんでしまいました。


「こ、この小娘が!」


 ボンデス様が、拳を握った太い腕を私に向かって振り上げました。

 そして、その腕が私めがけて振り下ろされようといたしますと、ぐるりとボンデス様の背後から回り込んできた旦那様が、その腕を掴んで捻るように、引き倒してしまいました。


「兄上……いくら何でもやり過ぎです。私に当たるのは良い。だがフローラを傷つけるのは、たとえ兄上でも許しません! それに兄上があのように興奮なされて俺を壁に押しつけたりなさるから、暴漢と勘違いされたのですよ」


「ぐああぁ、痛い、痛い、はっ、放せ! グラードル! 兄に手を上げるなど、人倫に劣る行為だぞ!」


「これ以上の暴力を振るわないと約束いただけますか?」


「ふっ、フン、弟が兄に意見するか、この痴れ者が!」


 ボンデス様がジタバタと身体を揺すって、旦那様の戒めから抜け出そうといたしますが、腕と肩を固められて動くたびに、痛そうに顔を歪めております。


「やあ、やあ、やあ、いったい何なんだい。このような往来で、君たち、ここは法務部の目の前だと分かっているのかね?」


 法務部行政館の入り口付近には人だかりができており、その前には私たちのよく知ったお方が、腰に手を当てて立っておりました。


「これは、ライオット卿。申し訳ございません法務部の目の前でこのような揉め事を起こしてしまいまして」


 そう言いながら旦那様は、ねじり固めていたボンデス様の腕から手を放し、解放いたしました。

 ボンデス様は、固められていた腕をさすりながら、立ち上がります。


「きっ、貴様は一体何者だ!」


「兄上! 法務部捜査局の局長様です」


「ひっ! あ、あの、赤鬼ライオット」


 ライオット様は、ボンデス様の上げた言葉にキッと一瞬の睨みをきかせてから、表情を飄然としたものに戻します。

 それまでの張り詰めていた空気が一気に弛緩してゆきます。


「いや、いや、君たちは確かご兄弟だったか。ふむ、兄弟げんかは家でやってくれたまえ」


 ライオット様は、ヒラヒラと手を振って、解散しなさいと示します。

 ボンデス様がフーッと息を吐いて、この場を去ろうといたしますと、もったいぶった感じでライオット様が口を開きました。


「ところで、君は財務部の財務官だったかボンデス君、……君は一つ勘違いをしているようだ。たとえ侯爵家の継承権を持つとは言っても、今の君はただの貴族の子息にすぎない。れっきとした伯爵位を持つグラードル卿に対して、礼を失しているのは君だと理解するべきだ……恥を知れ!」


 ライオット様の一喝に、ボンデス様は飛び上がりそうなほどビクリとして、なんとも複雑な表情をいたしました。それは悔しさを何とか押さえ込んでいるような、そんなように感じられます。


「ぐうッ……、しっ、失礼いたした。心得違いをしておりました……ぐっ、グラードル卿、確かに渡しました……クッ、失礼する」


 そう言うとボンデス様は、後ろを振り向くことなく足早に去って行かれました。


「旦那様! 大丈夫ですか? それに、いったい何が……?」


 私は旦那様の腕を取りますと、正面から視線を合わせて問いかけました。


「いや、ただルブレン家で茶会を開くからリュート君と聖女様を伴って参加するようにと、父上から招待状を預かってきたらしいのだが……兄上には、我家がここ最近社交界で話題になっているらしい事が、なんとも気に入らなかったらしい」


 旦那様は、正面から見つめる私の視線に照れておられるのか、頬に赤みを差してそう仰いました。


「それは仕方がないね……、白竜の愛し子様に聖女様、そのような貴人を屋敷内に住まわせているのだしね。それに、フローラ嬢。あなたのバリオンも話題の的のようですよ。あの奏楽に対しては非常に厳しいレガリア嬢が認めたとね……」


 そのような過分な評価……勿体ないことです。

 ライオット様は、私と旦那様をニヤニヤとした表情で眺めて、さらに口を開きます。


「それにしても、君たちは本当に仲が良いのだねえ。いくら新婚だといっても、ここまでお熱い夫婦というのはそうそうお目にかかれるものじゃあないよ」


 ライオット様の言葉に、旦那様と私は目を見合わせて共に顔を赤くしてしまいました。

 旦那様が、雰囲気を変えるように軽く咳払いをいたしました。


「茶化さないでくださいライオット卿。それにしましても、正直なところ、ルブレン家の茶会に彼らを招くのは気が引けるのですが、現状を考えるとそうも行かないのでしょうね」


「まあ、まあ、そうだねえ。バレンシオ勢力に揺さぶりを掛ける機会は、俺たちとしては少しでも利用したいかなあ」


 ライオット様は、まるで冗談でも言っているように飄々とそう答えました。

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