第32話 モブ令嬢と入居人のお屋敷探訪(後)
「別に便利なものではないのですよ。私の力なんて」
そう言いながら、好奇の色を満面に浮かべて、マリーズは館の地下へと続く階段を下っております。
私は二人を、三階の私たちの居室から案内いたしました。
アルメリアは、ベッドの辺りで顔を赤くしてモジモジとしておりましたが、マリーズ様には『ここが二人の、愛の巣なのですね! フローラは私と同じ年なのにもう結婚しておられて凄いですわ! 私、結婚とは無縁ですので、どのようにお過ごしなのか聞いてみたいです!』と、目を輝かせて問い詰められてしまいました。
いえ……その、旦那様とは日々の出来事をお話しいたしますが、まだ、その……ですので、何とか話をごまかしまして、外へと連れ出しました。
アルメリアが、旦那様の書斎をしきりに気にしておりましたが、いくらアルメリアでも旦那様の私的な空間をお目にかける訳にはまいりません。
マリーズはその辺りは頓着なされなかったので助かりました。
その後、客間や化粧の間、
二階にはお父様とお母様の居室があるのですが、流石にそちらはご遠慮願いまして。館では珍しい二階に設置された浴室なども見ていただきました。
一階では、食堂やサロン、浴室、そしてマリーズが初めて訪れたときの応接室などを巡りました。
そしていま、最後に地下室も見てみたいという、力の入ったアルメリアの要望で、私たちは階段を下っております。
「だって、私から竜王様にお話しすることはできないんですもの。一方的にお話を聞かされるのですよ。初めて竜王様から話しかけられたときには、私、自分がおかしくなってしまったのかと思いましたわ」
マリーズ様は、ずんずんと私たちを先導するように先に進んで行ってしまいます。
「それに聞いてくださいな、10歳の時の話ですわ。緑竜リンドヴィルム様から『……酒が飲みたい』の一言を毎日つぶやかれて、私の方が慈愛と寛容を必要といたしましたわ」
マリーズが頬をプリプリと膨らませております。どうもこの仕草は、彼女が愚痴を言うときの癖のようです。
「緑竜王様といいますと、バンリ国の緑竜山脈にお住まいのはずですが、そのような遠くからもお声が届くのですか!?」
私、驚いてしまいました。バンリ国の緑竜山脈といいますと中央大陸、その中心にそびえる円環山脈の東側、私たちの住まうオルトラント王国からは丁度反対側となるのですから。
円環山脈の外側をぐるりと回る商隊のキャラバンが、一年を掛けて一周してくることを考えますと、陸路では最も早い移動方法でも三ヶ月ほどかかる距離のはずです。飛竜使を使いましても、一週間ほどは掛かるのではないでしょうか?
「距離は関係ないみたいですよ? あのときはバンリ国の神殿と連絡を取って、リンドヴィルム様にお酒を届けてもらったのです。リンドヴィルム様にお酒が届くまでの間、私、もう大変でしたわ。それに、青竜バルファムート様には金竜シュガール様にしつこく言い寄られて困るなんて話をされてしまいまして、あのときの私、一二歳でしたのよ。そんな小娘にどう答えろと言うんですか」
どうしましょう――いまの話は、竜王様たちの
「ところで、あちらは何ですか?」
私の葛藤などお構いなしに、マリーズは新たな興味の矛先を見つけてそのドアの前に駆け出してしまいます。
「あ……あれは! まさか!!」
私がマリーズを追いかけるよりも早く、アルメリアも彼女の後を追いかけていきました。
「あッ、あの……待ってください二人とも!」
私が二人に追いついたときには二人はもう目的の場所に着いておりました。そこには、旦那様が封印した扉がありました。
「お二人とも――こちらは……あの、大きな鼠が巣くっているらしく旦那様が封印なされております。ほら、このように鍵が三つも付けられておりますし……」
私は、以前館を見て回りましたあのときより、こちらに来た事がありませんでした。
あのとき、扉にはこのような鍵は付いておりませんでした。
扉には、掛け金が新たに取り付けられ、掛け金を動かせないように錠前が付けられております。
「これは…………怪しいですわね」
「ええ…………怪しいですね。間違いなく」
何でしょうか? マリーズは面白い物を見つけたように笑みを浮かべて、アルメリアは、何かの確信を得たように拳を握っております。
「いえ、怪しいことなど……鼠ですよ、鼠。お二人は怖くないのですか?」
「騎士たるもの、鼠などで臆するものではないよ」
「フローラ、神殿って案外、鼠がたくさんいるのですよ、私、子供の頃に鼠を餌付けしていたら、それはもう神官長様に怒られました」
「こうして鍵が掛けられておりますし、お二人がいくら興味を持ったところで……」
「……皆様。どうなされたのですかこのようなところで」
「きゃッ!」
突然背後から声を掛けられて、私が驚いて後ろを振り向くと、手提げランプを手にしたメアリーが立っておりました。
「ああ、メアリー。……実は、お二人がこちらの館を見てみたいというので、見て回っていたのです」
「はあ、それでこちらまで来てしまった……と。その部屋はご主人様が厳重に鍵を取り付けておられましたが……見たいのですか?」
「ええ! 私、ここまで厳重に隠されていると、好奇心が止まりません!」
「私も! このように封印するなど、何事か邪な匂いを感じます。大切な友の住む場所にこのような場所があるなど、看過できません!」
マリーズはお願いですから好奇心を止めてください。アルメリアも、邪な匂いって――封印してあるのなら良いのではないですか!? それに鼠に邪は無いと思いますよ。
「ところで、メアリーはこちらに何の用事なのですか?」
「私は、この通り掃除をしておりました」
彼女はランプを持った手の反対側に、棒状の掃除用具? を持っております。
「それはいったい?」
「はい、これはメアリー棒と申しまして、このように建具や木彫の隅の埃を綺麗に取れるという優れものです」
メアリーは、壁に彫られたフィーラント様式特有の模様の隅を突くようにして、その上に乗った埃を取ってみせます。
私の横から、マリーズがメアリーに問いかけます。
「あの、メアリーさん。あなたこちらの鍵に心当たりはございませんか?」
「鍵はご主人様が管理なされております」
「……そうですか」
マリーズが、シュンとしてしまいました。アルメリアも悔しそうです。
お二人ともそんなにこの部屋を見たいのですか?
「……ですが、あら不思議。このメアリー棒をこう捻りますと、中からこのようなものが……」
メアリーが手にした棒を捻りますと、棒は真ん中から二つに分かれてしまいました。別れた棒には、さらにその先に、鉄でしょうか? 先端がクイッと曲がった細い棒が付いております。
「奥様……どうなされますか? 先だって旦那様の書斎の辺りに大きな鼠が出たとの話を、奥様も聞かれたと思います。……確認した方が良いと思いませんか? どこかに穴でも開いていたら大変だと思うのですが……」
そういえば、確かにあのときセバスが大きな鼠がいるとか言っておりました。旦那様はここに閉じ込めたから安心しておられるのかも知れません。しかしあれから旦那様もお忙しいらしく、この封印を施したまま鼠の駆除をしておられないはず。……一度確認しておいた方が良いのでしょうか?
私が手提げランプの中の炎のように、心をゆらしておりますと、
「そのような事があったのでしたら是非確認した方が良いですわ!」
「そうだね。たとえ大鼠がいようとも、私が皆を守ってみせるよ!」
二人は大乗り気です。
「……そうですね、確認だけでもしておいた方が良いのかも知れません」
私がそう決断すると、メアリーはスッと、私たちの横をすり抜けて床にランプを置くと、ドアにとりつきました。
そして、手にした棒を錠前の鍵穴へと入れてカチャカチャと動かしまします。しばらくすると、カチャリと言う音がして錠前が外れました。
「凄いです! 侍女というのはこのようなことも出来るのですか!」
「侍女の嗜みです……鍵を無くすご主人様も多ございますので」
二人は、メアリーの言葉に「使用人の鑑」などと言って感動しております。
しかしメアリー……私、そのような嗜みなど聞いたことがございません。
私が、そんなことを考えている間に、二つ三つとメアリーは錠前を開けてしまいました。
「それでは皆様、お気をつけください」
そう言いながら、メアリーが封印された部屋のドアに手を掛けます。
ギィィィィィィィっと、ドアが空き部屋の中に、メアリーが手にしたランプの光が差しました。
……私も、他の皆も、鼠が飛び出してこないかと身構えておりましたが、部屋の中はシーンと静まりかえっております。
「鼠は……」
「……おりませんね」
「…………普通の倉庫? そんな、バカな」
部屋の中は木棚が設置された物置です。館が建てられて早々に閉めきられておられましたので、中はガランとしております。
メアリーは、いつも通り薄い表情で、たたずんでおりますが、マリーズは少しつまらなそうにしております。
しかし、アルメリアだけが「いや、そんなことはないはずだ」と呟きながら、棚を探ったり壁に取り付けられたランプを触ってみたりと部屋の中を探っております。
私も、床の周りを一通り見回して見ました。
「鼠……おりませんね……鼠が開けた穴のようなものも見えませんし、もしかして旦那様がもう駆除されたのでしょうか?」
「だったら、あんなに厳重に鍵が掛けてあるわけ無いと思うよ……物語のお約束だと、この辺りかな……」
などと言いながらアルメリアが一つのランプを引っ張りました。
……するとランプを取り付けた柱がガチャリと音を立てて斜め手前に引き倒されました
私やマリーズがその情景に驚いておりますと、ガコンッと壁の奥で音がして柱の隣にあった木棚が横へと移動してゆきます。
木棚の動きが止まりますと、そこに現われたのはさらに地下へと続く石段でした。
しかもこの階下に続く石段の壁には
「……これは……」
「隠し部屋への入り口ですね。神殿にも似たようなカラクリがございましたわ」
「フフフフッ……やっぱりね。あのグラードルの造った館だ。以前フローラに魔術技師が出入りしていたと聞いたときから、このような
先ほどまで沈んでいたマリーズがわくわく顔で、笑顔が輝いております。アルメリアは自分の想像が当たっていたと何やら興奮顔です。
「さあ、ヤツの本性を確認しに行こうじゃないか! このような地下室にあるものはもう決まったようなものだけどね!」
そう言って、アルメリアは鼻息荒く石段を下って行ってしまいます。
その後を追うように、マリーズもついて行ってしまいました。
「奥様はどうなされますか?」
メアリーは階段に足を踏み入れております。この流れは……やっぱり下まで確認に行くのですね。
私、もしも旦那様がこの下にある部屋を封印しておきたくて、この部屋を封じたのでしたら、この先には行くべきではないと思うのですが……。
「奥様……私も、ご主人様がこの館を建て始めたときと今では、その心根が違っていると理解しております。ですから、この下に何があったとしても、それは今のご主人様とは関係のないものと考えます。ですが、以前のご主人様がどのような御仁であったのか、その一端を知っておくこともまた必要ではないでしょうか?」
メアリーの表情はいつものように薄く、あまり感情を感じさせませんが、その言葉はどこか温かく感じました。
「たしかに、私の旦那様への想いは、いまの旦那様が私の心に根付かせてくれた物……私、まいります」
私は、メアリーに先導されるようにゆっくりと地下へと降りて行きました。
「これは……」
私は、絶句してしまいました。
そこにあったのは、数々の拷問の器具、でしょうか? 身体を拘束する台のような物や、何故か背が三角になっている木馬、人を吊り下げるための物でしょうか、天井から鎖が下げられております。
壁に設置された棚には、縄がたくさん置かれており、蝋燭も何本も置かれております。それに、これはどういう用途に使うのか分かりませんが、先端がなめらかに丸められた木か何かで造られた棒状の物。さらに手首などを拘束する物でしょうか? 革で造られた腕輪が鎖で繋がれたものもございます。
それ以外にも、壁にはその先端が様々な形状の鞭が何本も掛けられておりました。
しかし、他の物はそれなりに拷問に使えるかも知れませんが、蝋燭は何故ここに置かれているのでしょう? 明かりは魔具のランプがあるので必要ないと思うのですが?
「フフフフフフフフフフ……なんて、スバラ――いや違う、けしからん! このような部屋を館の中に隠し持っているとは!」
アルメリアが怒り声を上げて興奮しております。その様子を、何やらマリーズが虹色の瞳でジーッと眺めておりました。
「奥様、大丈夫ですか?」
メアリーがそう言って、薄い表情で私に確認します。
「……戦傷を負う以前の旦那様は、このような部屋を造るような方であったということですね。ですが、旦那様は私と結婚した翌日、一番初めにこの部屋を封じたのです。私はその旦那様の心根を信じます」
この部屋には想像していた以上の衝撃を受けました。確かに、私が旦那様と生活したのは、この二十日ほどでしかありません。しかし私は、旦那様がこのような部屋に立っておられる情景はまったく想像が出来ません。
私は、自分のその思いが間違いでないと信じます。
私が、そんな思いを抱いておりましたところ、部屋の端の方でマリーズがアルメリアの耳元でヒソヒソと話しておりました。
「あの私、庭にいたときにも思ったのですが……アルメリア。あなたもしかして……ですか?」
小さな声で話しているのですが、部屋の中が静かなので、所々耳に届きます。
「マリーズ!? 何で……あっ、あなたは……もしかして……なら私を……」
マリーズの耳打ちに、アルメリアの表情に驚きが浮かび、そのすぐ後には歓喜にも似た輝きが浮かびました。しかし、マリーズは顔を左右に小さく振ります。
「申し訳ございません、私、そちらの方面には興味がございません。ですが、友人としまして、あなたが良き伴侶と巡り会えることを七竜様にお祈りいたします」
マリーズが言いますと、アルメリアは目に見えて落ち込んでしまいました。それは、この部屋にやって来たときの様子とはとはまったく逆の様相です。
アルメリアの様子も気にはなりましたが、私は、マリーズがこの部屋を見て、旦那様が悪人であると断定されはしないかとハラハラしながら口を開きました。
「マリーズ……この部屋は……」
「大丈夫ですよフローラ。ええ、分かっておりますわ。この部屋にはまったく使用された形跡がございません。それに私、この一週間ほどあの方を拝見させていただきましたが、悪い気は感じられませんでした。むしろあの方の
マリーズは、これまでと変わらずにニコリと笑顔を浮かべてそう答えてくださいました。
その後、地下には調理室や
しかし後日、何故かアルメリアが、「グラードル卿は第二夫人や第三夫人を迎えるつもりはないのだろうか?」と言ってまいりました。
たしかに、貴族社会では第二、第三夫人などを迎えるということは多いのですけれど、「我家の財力で第二夫人や第三夫人を迎えるのは無理だと思いますけれど……」と答えましたら、さらに落ち込んでいたのですが、いったい何だったのでしょうか?
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