第27話 モブ令嬢とバリオン

 法務郷のお茶会も中盤を迎えまして、楽器が得意な方々がディクシア家所蔵の名器を手に音楽を奏でておられます。

 サロンはその音楽に耳を澄ませる方々や、飲み物を片手に歓談なされる方々。

 そして並べられた食事に手をつけておられる方々。バルコニーで涼んでいる方々、そういえばリュートさんとアルメリアも先ほどまで食事をしておりましたが、いまはバルコニーの方へと出て行き涼んでいるようです。

 さらに私と旦那様のように、一歩引いて壁のシミや花となっている方もおられますがそれは少数でしょう。


「あらそう言えば、フローラさんはバリオン先生に師事なされておられるのですよね? でしたらバリオンはお得意でしょう?」


 唐突にそう話しかけて来られましたが、この方はいったい?

 緑の髪の毛先が浅い黄色になっていて、赤みの強い灰色の瞳をしております。


「あらどうしたのですかフローラさん。せっかくこのように名器を手にすることができる機会ですのに、バリオン先生に師事なされておられる貴女が、バリオンがお弾きになれないなどということは……まさかありませんよね?」


 ……ああ、思い出しました。たしかメイベル嬢の取り巻きの中におられたような。

 申し訳ございません。私、メイベル嬢に嫌がらせを受けておりましたときには、心を動かさないように気を付けておりましたので、取り巻きの方々は、取り巻き一、とか二とかで一纏めにしておりました。


 彼女のお仲間なのでしょうか数人のご令嬢方もクスクスと嫌な笑みを浮かべながら、「本当ですわよ」「ええ、間違いございませんわ」などと、囁きあっております。

 そして私に話しかけてきた彼女は、手に持ったバリオンを押しつけてきました。


「さあどうぞ、私たちに見事な腕前を披露してくださいな」


 バリオン。

 アンドゥーラ先生の中間姓でもありますその名前は、バリオン男爵家の姓。アンドゥーラ先生のお母様のご実家になります。

 そのバリオン男爵家のご先祖さまが五〇〇年近く前、かの黒竜戦争の起こった時代の事です。

 初代バリオン様は、我が国ではなく赤竜皇女ファティマ様の治める地に暮らしておりました。その地にてこのバリオンと呼ばれる弦楽器は生み出されたのです。

 昔からあるキタンと呼ばれる指ではじく弦楽器と、東方のバンリ国のコウという弓で弦を擦って音を出す竪琴のような楽器を元に作られた擦弦楽器で、あごと肩で楽器をはさむようにして弓を使って弾くようになっております。


 しかし、ここまでして私にバリオンを弾かせようとするということは……おそらくは、あれですね。

 学園新七不思議の一つ、『魔導学部教諭の個室から響く怪音波』。

 鳥は墜ち、犬は狂ったように遠吠えを始め、猫は引き付けを起こし、人はその音を聞いていた間の記憶を無くすと言われております。

 さらに、その音が響いたときに魔導学部教諭の個室に茶色に瞳と髪を持った令嬢を見たと……

 ですが、聞いた人が記憶を失うというのなら、そもそも噂にはならないと思うのですけれど……。


「フローラ……」


 旦那様が、心配そうに私を見ております。


「大丈夫です……旦那様」


 私は、手渡されたバリオンを構えて数歩前に出ました。

 途中、楽器の状態を確かめます。

 ああ、やっぱり……。

 弦の音がずれております。私は素早く調弦しながらさらに状態を見ます。さすがにバリオンや弓に壊れるような細工をする事はできなかったようですね。

 私にバリオンを渡した彼女と、仲間の令嬢たちは、まさか私が本当にバリオンを弾くとは想像していなかったようで顔を引きつらせて、後ろへと下がります。


 ここ二週間ほどは弾く機会がありませんでしたので、指が動くか少々気にはなりますが……

 私はバリオンをあごと肩で固定すると、軽く一息ついて弓を引きました。

 高く澄んだ音が、サロンに響き渡ります。

 弾く曲は『ファティマに捧ぐ』。

 初代バリオン様が、赤竜皇女ファティマ様に捧げた曲です。

 ファティマ様は楽器の構想を得たバリオン様に、その制作の場と資金を提供したといわれております。

 そして、バリオン様は初めて完成したバリオンと共に、この曲を捧げました。

 この曲には、バリオンを弾くための技術が全て網羅されており、最初にして最高の傑作と言われるバリオンの名曲です。

 逸話に聞くファティマ様の、民を思う優しさと、その民を苦しめる者たちに対する決然とした態度。激烈にして優美。静と動が渦を巻き、天へと駆け上がってゆくような高揚。


 私の周りで、感嘆の声が漏れます。

 私にバリオンを渡した彼女と、その仲間の令嬢たちもポカンと口を開けて、信じられないものを見るように目を見開いております。

 しかし、私がこの曲をホントに聴かせたかったのはただ一人……旦那様。

 私はバリオンを弾きながら、舞うように身体を動かします。

 旦那様の姿が私の視線に入ります。

 旦那様は、天へと駆け上がってゆくような旋律に魅入られ、まるで魂が抜けだしでもしたように、私を見ております。ああ……見てください旦那様。

 私、このようなこともできるのですよ……。


 私が自分のバリオンを手放してから既に二年になるでしょうか。

 バリオン男爵家で作られた名器の一つでした。

 エヴィデンシア伯爵家の爵位を保つための税金を払うため、私はそのただ一つ、私の持ち物であった家伝のバリオンを手放したのです。

 我家のように爵位を持ちながら、国のために奉仕できない貴族には爵位を維持するための高額な税金が数年おきに必要になるのです。


 あのときには、「それは、お前の未来のために……父上がお前に相続させた物だったのだぞ! あれさえ残っておれば……ワンドでさえ買えたかもしれんのに……我家には――まだ売れるものはあったのだ。土地を売れば幾何いくばくかは……何故! 何故そんなバカなことを……」と、それはそれはお父様に怒られました。


 しかし、あのときの私には、バリオンよりも屋敷での想い出の方がずっと大事であったのです。

 私のものであったバリオンはいま、アンドゥーラ先生の元にございます。

 私はバリオンを先生に買い取って頂いたのです。


 あのとき私はまだ中等部の一年で、先生と出会ってまだそうは時間が経っておりませんでした。

 先生は私の申し出を受けて、それはそれは嫌そうな顔をいたしましたが、「それには一つ条件がある。フローラ、君はバリオンが得意なのだな? ならば私にバリオンを教えてくれないか。私はバリオンの血族だが、少々、その苦手なのだバリオンが……」、と言って結局そのバリオンを買い取ってくださいました。


 先生はご自分のワンドを個室へ無造作に転がしているくせに、私から買い取ったバリオンを湿度調節ができる魔具マギクラフトに入れて金庫に厳重にしまっているのです。……そして、その鍵は何故か私が預かることになりました。


「これは、君に預けるから好きなときに弾きに来なさい。ああ、とは言っても授業中はダメだぞ。……それから、私がその気になったときにはバリオンを教えるように。……それにしても、君もおかしな娘だね。魔法薬と魔具の制作はてんでだめなのに……不器用かと思えば、そのように見事にバリオンを弾きこなす。その才能が魔法薬や魔具制作に生きれば、十分に生活していけるというのに」


 とぼやいて、私に金庫の鍵を押しつけたのです。

 ですが、その……先生へのバリオン教授は、心が折れそうなのですが。

 そう考えますと、アンドゥーラ先生をリュートさんの傍えパートナーをお願いしなくてよかったようです。バリオンの話などを出されましたらさぞ嫌な顔をされてごまかされたことでしょう。


 そんなことが脳裏に浮かんでおりますと、不意に私のバリオンの音に、ロメオの音が重なりました。

 ロメオは、鍵盤を弾くことで、楽器内部に設置された弦をハンマーで叩いて発音する鍵盤楽器の名前です。

 そのロメオの音は優美で力強く、私の演奏を後押ししてくださいます。

 私は身体を動かし、ロメオで伴奏をしてくださっている方に視線を送ります。

 そこに居たのは……レガリア・フォーン・ルクラウス様。

 輝く海色の髪を腰の辺りまで伸ばして、その髪を肩口辺りから縦巻きにしております。そして、髪と同じ色合いの瞳を持った学園高等部三年に在学する女性です。


 私はこれまで全く面識がなかったのですが、学園一の才媛として有名で、一七歳とは思えない母性を湛える容姿と、ときに厳しくも、とても人当たりのよい性格をしておられる方だと聞き及んでおりました。

 学園で秘密裏に行われているという、『お嫁さんにしたい令嬢』序列一位の座を中等部に在学してより一度も逃したことがないと聞き及んでおります。

 さらに言いますと、王国貴族の『息子の嫁に来てほしい令嬢』序列もここ数年一位の座を誇っておられるとか。

 これは口さがない噂ですが、卒業後アンドリウス王が後宮入りを望まれているなどという話も耳にしたことがございます。

 また学園の令息ばかりでなく令嬢たちにもお姉様と慕われる人望をお持ちでいらっしゃいます。

 そういえばレガリア様のお婆さまがディクシア家の出であったと聞いたことがございました。


 レガリア様は私と視線が合うと、ニコリと包容力のある笑顔を浮かべて、渦巻く旋律を相乗させるように合わせて来ます。私はそれを受けて、さらに激しく高く奏でます。

 そして、渦巻いた旋律は天へとはじけて…………静寂が訪れました。


 次の瞬間、抑えきれないような拍手が渦巻きました。

 一番始めの拍手は旦那様でした。それはもう私の顔に赤みが差してしまいそうなほどに、いまも感動の笑みを浮かべて激しく手を叩いておられます。


「素晴らしい! このような演奏は楽士隊の演奏会でも聴いたことがない!」


「誰だいあのバリオンを弾いていた令嬢は? なに! あれがエヴィデンシアの……」


「農奴娘などと誰が言っていたのか……あのような演奏を農奴などにできるわけがないではないか」


「ああ、見た目だけで評価するなど愚かしい……」


 そのような賞賛の声が聞こえますが、同じように私を蔑む声もまた聞こえます。


「少しばかり、バリオンが弾けるからといって調子に乗って、これだから農奴娘は……」


「見目に見るところがない物だから、あのバリオンの魔女に取り入って、それだけは人並みになったということでしょう」


「そっ、そうですわ! あなたバリオン先生に魔具でも作って頂いたのではないの、バリオンが弾けるような……でなければ貴女みたいな農奴娘が、あッ、あんな……いいわ、調べてあげる。どこかに魔具を隠しているのでしょう」


 そう言って、私にバリオンを押しつけた令嬢が迫ってきます。

 私が、背後に下がるのと同時に旦那様が私の前へと進み出ようとしました。しかし、そのとき。


「お黙りなさい!」


 と、澄んだよく通る声が響きます。


「あなたたちの耳はいったいどこについていますの? 先ほどの演奏のどこに奏者の技術と精神以外のモノが混じり込んでいたと? 彼女の高潔な精神が音となって響き渡った、あの美しい瞬間ときをあなたたちのくだらない妄言で汚すのはおやめなさい!」


「れっ、レガリア様……私たちは、その……申し訳ございませんでした」


 レガリア様の一喝に、彼女たちは、気まずそうに互いに顔を見合わせますと、そう言って我先にとこの場を離れました。

 彼女たちがそのような遣り取りをしている最中、斜め後ろから呟きが私の耳を打ちました。


「『マジか、ロールママン……ヒロイン二人目出た』」


 私は旦那様に気をとられて、お礼を言う拍子を外しそうになりまたが、なんとか口を開きました。


「……レガリア様、ありがとうございます」


 彼女は、とても愛おしいものを見るような視線を私に向け、「とても心弾む演奏でした。私、ロメオにばかり熱を入れてとお父様とお母様には嫌みを言われますが。貴女のような奏者と音を合わせる、この瞬間の喜びは、何物にも代えがたいものですわ」と言ってくださいます。


従叔父オルタンツ様が貴女を招いた理由が分かりましたわ。私の学園在学期間も既に二年を切ってしまいました。ですがフローラさん、学園を去るまでの間、ぜひ仲良くしてくださいね」


「はい、こちらこそよろしくお願いいたしますレガリア様」


 私がそう返事をしますと、レガリア様は、私の前に出そびれた旦那様に視線を向けます。


「ところで……グラードル様」


 そう言った、レガリア様の顔には厳しい表情が浮かんでおります。しかしこれは、知っている相手に対する態度のようです。レガリア様は旦那様と面識がおありでしたのですね。

 彼女のその表情に、旦那様も表情を改めて私の横に並びました。


「……何でしょうか?」


「私、本日あなた方の行動を少し拝見させて頂いておりました。……とても仲がおよろしそうですね」


「そう評して頂いてありがとうございます、レガリア嬢。彼女は私の宝ですので、風雪も受けさせず慈しみたいと思っております」


「旦那様……私も、グラードル様の心を安らげますよう努めて行きたいと願っております」


 私たちの宣言に、レガリア様はほんの少し目を見開いて思案げな表情になりました。


「グラードル様、先ほども申し上げましたが私、フローラさんをとても気に入りました。……ですから、今回のフローラさんの演奏に免じて、貴男の以前の行いを不問にいたします。……その、実害はございませんでしたから……それより貴男、あのとき犬に噛み付かれておりましたけど、怪我はなかったのですか?」


 レガリア様のお言葉に、旦那様の表情がこわばりました。

 そして、そのこわばった顔から、なんとか言葉を絞り出すように口を開きました。


「……いや、この通り無事でおります。『おい、何をやった俺』」


「そう――ですか。ですがグラードル様? 本当に雰囲気がお変わりになりましたね。彼女との結婚が貴男によい変化をもたらしたようで何よりです。ぜひいまのその心根を大事になさってくださいね」


 旦那様は、レガリア様の言葉に深く頷き、「心します」と仰いました。


「グラードル卿。ご歓談のところ失礼いたします。主より伝言でございます」


 レガリア様と私たちの会話がちょうど一段落着いたところで、ディクシア伯爵からの伝言が従者より伝えられました。

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