第084号室 ビルドアップ



 団地の公営ジムでは、使い古されたトレーニングマシーンで筋肉を追い込むマッチョの姿を観察できる。


 壁にはめ込まれた小さな換気扇は、カラカラと乾いたベアリングを回して空気を入れ替え、煤けた羽で差し込む日差しをストロボ光のように遮ると、ハードでストイックな雰囲気作りに一役買っていた。


 外のゾンビに追いやられバリケードの中で暇を持て余す住民達は黙々と筋トレに勤しみ、ある者は上腕に筋肉貯水タンクを、またある者は腹部に筋肉高層6棟舘シックスパックを、さらにある者はふくらはぎに筋肉立体駐車場と見紛うばかりの筋肉建設を築いていた。


 そんな筋肉の一極集中、過密地帯、醜く太った肉塊が1つ、デブになったボブがうんうん苦しげに自重トレーニングに励んでいた。


 また来たよあのマシュマロ、昨日も来てたぜ?前に見た時より太って無いか?隠す気のない陰口がボブの耳にも届いたが聞こえないふりをしてランニングマシーンを軋ませ、ウォーキングで息も絶え絶え、粘度の濃い汗を止めどなく流す。


【ボブは、なぜ太ったのか?】

 

 ダムの決壊以降、みる見るうちに肥え太っていったボブ、心当たりとしてはやはり、人魚の血を身体に取り込んだ所為だろう、覚醒剤の禁断症状に似た焦燥感がボブを暴食へと駆り立てていた。


(くそう………ちくしょう………こんな副作用効いてないぞ!……調子のいい人魚共めぇえ………!)


 ボブがデブにぃいいい!!!小夜の反応には容赦が無かった。はい?誰ですか??教授は誰だか気付かなかった。………ん………くっ!シスターは口を腕で塞いだっきり震え出した。太っていく姿を嗤う住民達を思い出して悔しさで瞳が潤む。


(ダメだダメだ!こんなのは俺じゃない!!元の美しい肉体を取り戻すんだ!!!)


 筋肉のマンモス団地はふわふわのマシュマロに厚くコーティングされ、美しくキレ上がっていた腹筋は段々腹が重なり逆に一つになった鏡餅に、クリームパンのように指がパンパンに膨れ上がり、無様な姿を晒させる。


(ダメだダメだ!もうだめだ!!ちかれちゃったよ………休憩きぅけぃしょ………)


 早歩き数分で限界を迎えたボブがチョコバー休憩しようとした時である。


「ほう、こんな所に訓練施設があったのか」


 むさ苦しい筋肉の塹壕に似つかわしくない凛とした女性の声が響き、オークの姫騎士グロウゼアが現れると、彼女にとっては異界のトレーニングマシーンを物珍しげに眺め出したのを見て、ボブは休憩を中止した。


 整った顔立ちに骨太な骨格、朱色の髪と短く下がった尖り耳、紅の右眼と金色の左眼のオッドアイにオーク特有の猪目ハート型の虹彩は、強く人の視線を引き付け、そんな住民達の好奇を知ってか知らずかグロウゼアは笑みを溢す。


 グロウゼアが重りのフルセットされたダンベルに手を伸ばしたところで、見事な大胸筋のマッチョが声をかけた。


「止めときな、それはお嬢さんみたいな細腕じゃあオーバーワークだぜ?こっちの軽いのにしときな」

「へえ?これはこれは、ご親切にどうも、あなたはもっと足元に気を付けた方がいい」


 軽く爪先が触れた程度、はた目にはそう見えるほど鮮やかな足払いをグロウゼアが繰り出し、見事な大胸筋のマッチョが足元を覗いた瞬間には天井を仰いでおり、グロウゼアの腕にお姫様抱っこされていた。


「ほら、転んだ。上半身ばかり鍛えていては足腰が付いて来れまい?」


 人外の腕力を見せつけたグロウゼアが大胸筋をときめかせるマッチョを降ろし、北欧カントリーな上着を脱ぐと、肌着の裾から薄っすらと筋の入った腹筋をチラつかせながら、ゆったりとした動きで柔軟を始める。


 団地の筋肉工場へのグロウゼア参戦は、マッチョ達のモチベーションを大きくアップさせた。


 ボブも例外ではなく食事制限を解禁。チョコバーをプロテインバーへ、コーラをゼロコーラへ、ドーナツは形がゼロを表しているので実質ゼロカロリー。


 脂肪の蓄積を超えるオーバーワーク、日に日に負荷を増しマッスルのリバウンド、人魚の血による筋肉の超回復は人間の限界を超えた強化をボブに授け、月日の流れに人魚の血が薄まり不死性を消失したころには、それらの小細工を必要としない超人ボブが仕上がった。





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