第037号室 ダム 工作触
洞窟のようにひんやりとしたダムの内部で、水力発電機の大型タービンが周期的に唸りを上げ、剥き出しのローターが時折光を反射して鋭く輝く。
「あっそうだ、逃げなきゃ………」
一瞬の間、硬直し工作触の方へ定まらない視線を向けていた教授だったが、忘れ物を思い出したかというように手の平を叩くと、老体に鞭打ち
教授が二段飛ばしで階段を登る。工作触は
鉄扉の小窓から差し込む通路の光が、絡め捕られた動物達の脚を折り曲げ、皮膚を削り猛進する工作触の身体に遮られるたび、明るさを一段階下げカウントダウンさながらに教授との位置を表す。
教授が意識的に一拍置いて冷静さを僅かに取り戻し、引っ掛かった脚を抜いた刹那、大質量の触手に押し付けられ、鉄扉が轟音と共に閉められる。全速力で激突した工作触が跳ね返り悶絶する内にハンドルを戻し扉を完全に閉鎖しようとする教授、大した間もなくハンドルが何かに引っ掛かったように停止し、急速に逆回転を始める。これは敵わないと背を向け頭を抱える教授の後ろで扉のハンドルがねじ切れる。
扉を引きながら身体を押し込もうとし、もたつく工作触、粘液で覆われ絡み合った触手の塊が、ヘドロのようにドロリと流れ込む。ここから逃げおおせるのは不可能だと教授の脳は悟っていたが、教授の心の方は諦めが悪かった。
壁に埋設された消火器を持ち上げた教授は、覆い被さろうと触手を広げ、不揃いの眼球を覗かせた工作触の顔面に、消火剤を噴射した。工作触の代わりに拘束されている動物達が悲鳴を上げる。後頭部らしき場所を扉の上部に勢いよく打ち付け、工作触の細かな触手が千切れ飛ぶ。
急激に冷たくなる消火器の持ち手、噴き出す白霧の中に混じる雪のような塊、
「よし!これ
噴射後、直ちに粉末状のドライアイスとなった消火剤が工作触の粘液と混ざり合い、氷となって毛髪状の細い触手を固め動きを鈍らせる。絡め捕っていた動物達を障害物として吐き出しながら通路を戻り、消火器の射程から逃れようとする工作触に教授が喰らい付き、消火剤を浴びせ続ける。
「ほらほら、ほらほらほらほらほらほら………!!」
遂に通路を抜け格子状の足場まで下がり抜けた工作触が、勢い余って手摺りを乗り越え支えを失う。触手を手摺りに絡め、何とか落下するのを堪えた工作触、消火器の噴射が弱まった事を感じ取り、ため込んだ残りの動物を吐き出し身体を軽くすると、側面から回り込み足場へ乗り上げる前に、手摺りに巻き付けた触手を凍らされ、消火器の底で砕かれると遭えなく落下した。
後を追い、共に落ちるかの勢いで、教授が歪んだ手摺りから下を覗き込む。発声器官を持たない工作触が全身で悲鳴と焦り、不安と恐怖を表すかのように触手を広げ、下階の張り出しを掠めては、体重を支え切れずに触手を千切れ飛ばし、回転軸を変えながら、ゆっくりと速度を落とし、停止、そのまま浮かび上がって来るのでは無いかというほど、教授にとっては長く感じられる一瞬であったが、そんな事は無く、無事最下層の床に叩きつけられ、工作触は水風船のように破裂した。
「よく見るとこの触手、一本一本はかなり細いですね。これでは、ある程度束ねて使わないと、強い力は出せないでしょう。………案外、真っ向からやり合っても、何とかなっていたかもしれませんねえ」
千切れて手摺りに巻き付いたままの触手を引き剥がし、宙にかざして見ながら、後からなら何とでも言える教授が呟くと、最下層で後悔に藻掻きのたうつ触手の上へ、消火剤の尽きた消火器を投げ捨て、見事命中、
ーーー
いつの間にやら全身筋肉痛になっていた教授は、年相応の老け込みを取り戻し格子状の足場を登り切ると、錆び付いて塗装の浮き上がった観音開きの扉を開いた。
ダム内部の湿気で淀み切った空気を押し流すように、冷えた外気が吹き
「ふう………この年になって夜ふかしとは、骨身に堪えますねえ………」
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