第027号室 竜宮城

 緩やかに傾斜した床へ砂浜に寄せては帰す波のように波紋が音を立てる。そこから続く一室には、明らかに人工的に配された街灯のようなオブジェに、水で満たされた金魚鉢を思わせる煌びやかなガラス細工が据え付けられており、青白く鈍い光で辺りを照らし出す。ボブはマナティに連れられて水没した団地の中に出来た空洞に連れてこられた。


 空気ボンベとシュノーケルを降ろし、ウェットスーツの内側から補給用の食べ切りサイズに個包装されたマシュマロを取り出すと、マナフィと自分の口へ交互に放り込む。


「何か光ってんな?」


 ボブが金魚鉢を覗き込み、小さな粒が忙しく動き回り発光しているのを認め、教授なら何という名前の生き物なのか、正しい呼び方を知っているだろうかと考えた。


 軽く鉢を叩くとパニックを起こした夜光虫プランクトンが一層眩しく輝き出す。


「あの~あんまり、いじめないで挙げて貰えませんか?」


 突然の呼びかけにもボブの鍛え上げられた精神力は一切の驚きを示さなかったが、その鼓膜を蕩かし脳を直接撫で擦られるような、甘く濡れた美しい囁きに心ときめかせると同時に気を引き締めた。


 車椅子に腰掛けた妙齢の女性は長く潤いに富んだ髪をゆっくりと掻き揚げて耳に掛け、その手で墨のように黒い肌の首筋を撫でボブへ流し目を送る。シンプルな白のビキニと白彫りの南国模様トライバルの刺青が映える躰をくねらせ、指を鎖骨に這わせ重力に引かれるように腕を降ろし、異国情緒オリエンタル模様のひざ掛けを掴み位置を直した。


「こんにちは、私はローレよ。こんな所に人間が来るだなんて珍しい。とても驚いたわ。いったいどうやってここまで?」

「よろしく、俺はみんなからボブって呼ばれてる。いや、マナフィに連れられて来てね」


 水辺を指さすボブを目を細めてローレが見詰める。


「ああ、あの子はマナフィじゃないわ、ステラーカイギュウという生き物らしいわよ?」

「マナフィじゃないの?」


「こう………サイズやディテールがマナフィとは違うそうなの」

「そうなの?」


 宙を手でコネながらマナフィとステラ―カイギュウの違いを説明しようとするローレだったが、自分でも違いを理解している訳では無いらしく詳しい説明は出来ないようだった。


「うふふ、折角ここまで来たのだから奥の方でゆっくりして行ったらどうかしら?」

「お、それはありがたいな~~ずっと水の中にいたから、身体が冷えてきたとこだったんだ」


 ボブの補助をやんわり断り、ローレは身体と一体化しているかのように車椅子を巧みに扱い廊下を抜けると、巨大なワタリガニやシュモクザメ、ハリセンボンのいやに艶めかしい剥製の壁掛け、水生生物を模したデザインのネオン管が壁面上部を埋め尽くし色とりどりに染め上げ、カウンターに並ぶよく磨かれたグラスとシェイカーや、ラベルの色褪せた古酒がネオンを反射し夜空の星のように煌めく、骨董家具アンティークと絶妙なコントラストで退廃的美学デカダンスを描き出す酒場を思わせる一室へと案内した。


「「いらっしゃ~~~い♡」」

「ヒトデのチャームを着けて「星です、スターです!」いる方がレンで、頭に骨貝ヴィーナスの刺さって「まって、刺さってないんだけど!」るのがメイよ。二人ともこの人間はボブ、マナフィが連れて来たの」


 ローレの言葉にボブとレン、メイがおやっ?と眉を寄せる。


「「「………?ステラ―カイギュウじゃなかったの?」」」


 三人から同時に指摘を受け、あらやだと唇を押さえるローレ、三人とも息ぴったりねとかわし、二人の腰掛けるロングソファーの真ん中にボブを案内した。


「このウェットスーツ、サイズが合って無くって大変だったんだよ」


 そう言うとボブは豪快にウェットスーツを脱ぎ去り、人類史屈指の筋骨隆々の肉体にピチピチのブーメランパンツといった出で立ちで、筋肉を強調、何気ない動作の端々に精密なマッスルコントロールを駆使してセクシャルアピール、あいさつ代わりに彼女達の視線を釘付けにする。


 透き通るようなスカイブルーを基調にフリルをあしらい、首元に真珠色の五芒星チャームで留めた水着ビキニに、脚部全体を隠すほど長い腰巻パレオを巻いたレンが上目遣いでボブの首筋、僧帽筋から三角筋、上腕二頭筋に掛けて浮き上がる静脈へ指を這わせる。


「土台が違いますぅ、血管が浮き出て肩がメロンパンになってますぅ」


 レンと同じく下半身を腰巻で隠し、骨貝の髪留めで髪を結ったメイが、貝殻水着のホタテがシジミに見える程の爆乳を揺らしボブに密着する。


「手榴弾のようにエッジの利いた腹筋!それでいて食べ頃に熟したパイナップルにも似た張りと弾力!!焼きたて食パンの艶と輝きシックスパック!!!(ガブッ!!!!)」

「うおっ!?」


 突然ボブの腹筋に齧り付くメイ、直ぐに冗談だよと口を離し、開ききった瞳孔、ギザギザの歯、ボブの皮膚に噛み痕を残すほどの人間離れした咬合力こうごうりょくを生み出した頬の筋肉を震わせ、ぎこちなく笑いボブの不信感を薄めようと体裁を繕った。


「やだ、メイったら、はしたないわよ(まだ早い………)」


 ソファーの反対側から背もたれに、ローレがメイの肩に手を置きボブとの間に割り込むように腰掛け、美しくネイルの整えられた長くすらりと伸びた指でカクテルを攪拌ステア、キレよく妖艶にバースプーンを抜くと、ボブの首へ腕を巻き付けながらグラスを差し出す。


「まさに筋肉の万国博覧会ばんこくはくらんかい、すごいわぁ、こんなに逞しい筋肉、ここまで絞るのには眠れない夜もあったでしょう?」


 甘ったるく濡れた声音で囁き、笑いを押し殺したようにカクテルを飲むように促す。


「マナフィが引き合わせてくれた私達の出会いに「「「乾杯〜〜〜い!」」」」


「あの、あの子は、ステラーカイギュウ………」

「もう、マナフィでいいじゃん!!………ほとんど、おんなじでしょう?」


 レンの訂正をメイが挫く。


「いや「じゃあさ、種族はステラーカイギュウでさ、名前はマナフィってことしたらいいじゃん。ほ〜ら!これでどっちでも良くなった!メイちゃんかしこ〜〜い!!」

「………貝殻、頭食い込んでバカになってますねぇ!」


 レンの言葉に怒ったメイがカクテルを一気に飲み乾し、空のグラスをテーブルへ叩きつけるように置くと、ボブの大腿四頭筋へ胸を被せるように上体を投げ出しレンにパンチ!届かずに躱すまでもなかったレンが両手を握り相手の背中へポカポカパンチ!メイの身じろぎで狙いがずれ、レンの手がメイの骨貝かみかざりに刺さり沈黙、骨貝はメイの頭部にもめり込み悶絶、痛みを誤魔化す為にお酒が進む。ボブはブクブクに太った母親の変顔を思い出し、太腿に受けたメイのマシュマロパンチで沸き上がった血流を落ち着ける。


「やっぱお酒だけじゃお腹いっぱいにならないよ!もう、いいんじゃない?食べちゃおうよ!」

「そうねぇ………じゃあ、一回おねだりしてみたら?」


 メイの提案に何事もなかったかのように仲直りしたレンが乗っかる。


「ボブ~あたし、人間のお刺身が食べた〜い」

「ええ………?何それ?メイちゃん人肉たべるの~?」


 肩をすくめ渋い表情を見せるボブ、まあそんな事だろうとある程度、展開の予想は出来ていたがそれでもお辛いので、せめて後一杯だけ貰ってから逃げようと思案を巡らせた。


「そうだよ~ボブは筋肉質だからね、うす~くスライスしてフグ刺しみたいに盛り付けるんだよ~~~」

「………いいの?俺にも毒あるよ?」


「「「うふふふっ………!!!」」」


 三人の潤んだ瞳が薄く弧を描いた瞼の隙間から不敵にボブを見据え、弓なりに引き攣った口角から覗く純白の牙がボブ渾身のジョークを不気味にわらう。


「やっぱりみんな、人間じゃなかったりするのかな?」

「っっったりまえよ!丘ではしゃいでるようなあんた達と一緒にしないで!」


 程よくアルコールの回り饒舌になったメイがボブの首へ腕を廻す。


「これ程の曲線美、二足歩行のあなた達にはマネできませんよねぇ?」


 レンが酒のせいか顔を赤らめ恥じらうように腰巻パレオを捲り上げ、魚類を思わせる流線型の半身をさらけ出し、畳まれていた虹色に輝くヒレを広げる。


「そろそろ、お酒も私たちの音声催眠おねがいも回って来たんじゃないかしら?」


 ローレの言葉を受けレンがアイスペールをひっくり返し中の氷をぶちまけ、テーブルへ打ち付け残り水を切りボブの前へアイスピックと共に差し出す。


「まずは、血抜きしましょ?自分で首を掻き斬って全部ここに出して………ね?」


 掌を相手に向け遠慮するボブ、小刻みに首を振り許しを請う。お願いを拒否する人間へ苛立ちを露わにメイが相手の原木ハムのごとき大殿筋を鷲掴み、レンが肩の三角筋メロンパンを両手で抑え込む。


「………待って様子が変よ、私達の声をこれだけ聞いて正気な訳ないわ、いつもなら喜んで自分を殺すのに、この人間………」


 相手の言動に違和感を覚えたローレが言葉を発せずに唇のみを動かし話しかける。


(嫌だわ~本気にしちゃって、今のは酔いを醒ます冗談よ~)


 何とか笑みを返すボブ、ローレの表情が凍てつき、影を差す。


(さあ、飲み直すわよ、他に何か飲みたいお酒あるかしら?)

「………ああ、………ならオシャレなカクテルもいいけど、久しぶりにビールが飲みたいな~………」


 異様な会話を目撃し眉を寄せるメイと血の気のを引かせて息を呑むレン、ローレはボブの頬を優しく撫でるように抑えて横を向かせると耳の穴に何かが詰め込まれていることに気付き、相手が今まで聴覚を一切用いず視覚のみで、自分達とやり取りしていたことに確信を持つと、にっこり微笑み口元を覆い隠して小さく呟いた。


「コイツ、耳栓してる!音声催眠が効いて無いわ………!」

「………ふう、人魚が歌で人を惑わすってのは有名な話だからね。部屋に入る前にマシュマロを耳に詰めておいたんだ」


口元を読まれたのだろうと考え覆い隠したにもかかわらず、完璧な受け答えを返した相手の耳が聞こえているのかどうか、訳の分からなくなったローレが怪訝な表情を浮かべると、その疑問を見透かしたかのようにボブが答える。


「昔に音響兵器を食らった時でも戦えるよう、聴覚喪失訓練を終了しておいたんだ!相手の唇の動きを見れば、言ってることが大体わかるんだけど役に立ったみたいだね………まあ、君の場合は思ってること全部顔に出るタイプみたいだから、唇隠してても何となくわかっちゃったけどね☆」

「………そう、読唇術を使う人間は初めて会ったわ、無粋な人」


 ローレの憤りを見透かすように一つトーンを落としボブが続ける。


「今は、俺のかあちゃんがすっぴんでブチ切れた時と同じ顔になってるな………」

「はぁ!?………ちゃんと聴いていてくれれば今頃、トロトロの骨抜きで気持ちよく死なせてあげていたのにぃ………あんた、余計な手間掛けさせるんじゃないわよ!!!」


 ローレの怒号が響く最中、レンことセイレーンは素早く屠殺に取り掛かる。アイスピックを両手で逆手に持ち、ボブの首筋に突き立てたが、氷よりも硬く引き締められた僧帽筋に阻まれ、根元から折れ曲がる。


「え!?ちょっと、ウソウソ!!嘘でしょう!!?」

「打ち込む姿勢がなってない、もっと腰を入れなきゃ、ね!」


 ボブの平手打ちがセイレーンの背中の肉を巻き込み指に絡みつくようにめり込む。強烈な炸裂音が部屋中に反響し、真っ赤な紅葉を彩ると痛みに耐えかねたセイレーンは、肋骨が皮膚を突き破らんばかりに胸を退け反らせて、ソファーから床へ転げ落ちた。


 遅れて自分達の音声催眠が通用していなかったことに気付いたメイことマーメイドがソファーから飛び退き壁際で揺らめく真鍮の燭台を掴むと、槍に見立てて遠間から振り抜く。燭台の蝋燭留めから抜けた蝋燭と溶けた蝋がボブに浴びせられ白く白濁する。


「あっち!!」


 蝋から眼を庇う隙を突きマーメイドが燭台をボブの腹部に突き立てたが、釘のように伸びた先端の蝋燭留めは鋼と化した腹筋に阻まれ通らない。


「う~わぁ、カッチカチじゃん………!」

「ああ、ダメだダメだ!動きに無駄が多すぎる!!」


 ボブが無駄の無い無造作な動きで燭台を掴み引き寄せると、マーメイドは対処する間もなく引き寄せられ激突、マーメイドのメロンより厚いボブの胸板に弾き飛ばされ壁に後頭部を強打、骨貝が刺さる。


「ああ!もう!!」


 再びローレの怒号が響き、壁掛けから魚類の形をした頭部を覗かせ剥製のフリをしていた人魚では無くのセキュリティ、筋骨隆々の逞しい人間的男性型の四肢と肉体持った異形が壁を突き破り現れる。


 シュモクザメ型の魚人が態勢を低く構えタックルを仕掛け、ボブが合わせた膝蹴りを食い千切ろうと口を開く。ボブは素早く膝蹴りからトゥキックに切り替え、鳩尾を蹴り上げる。特徴的な頭部をバイクのハンドルを握るように掴み、苦し紛れの牙を躱すと組みついた状態から、今度は確実に膝蹴りを刺し退しりぞけた。


 ハリセンボン型の魚人が顔を膨らませ、針を逆立たせると大振りのヘッドバット、ボブが大股で一歩踏み込み上体へ密着、間合いをずらされ十分な加速を得られなった相手の攻撃は不発に終わりターンを渡す。ボブの全身の筋肉を総動員して放ったボディブローが脇腹に叩き込まれると、ハリセンボン型の魚人は内臓に効かされ瞬時に顔を萎ませ糸が切れたかのように膝を折った。


「へぇ〜!?ウソよ!嘘でしょ〜〜〜!??」「雑魚がぁ〜!何しに来たのよ〜〜〜!!」


 ダメージで動きを封じられつつも声だけ元気なセイレーンとマーメイドが魚人共を罵る。


 不甲斐ない二体の魚人から顔を背けるように首を振り、ローレが舌打ち、二度軽く手首を振って合図を出すと、壁に飾られていた巨大な蟹のオブジェが動き出し、先の魚人達とは二回りは大きいかという筋肉をたぎらせ、ワタリガニ型の魚人が現れた。


 あえて緩慢な動きを見せ付けることにより、相手を威圧する蟹男の意図を意に返さず、ボブの先制攻撃、飛び後ろ回し蹴りがキチン質の頭部へクリーンヒット、壁の穴へと押し返す。


 片膝をつき、両の鋏を床に打ち付け堪えた蟹男が立ち上がるのに合わせて、床と垂直になるまで持ち上げられたボブの踵が振り下ろされ、またもやクリーンヒット、蟹男の頭が床を砕き跳ね上がる。


 頭部へ二度の致命的な打撃を受けながらも立ち上がる蟹男、重機のように重く頑丈で必殺の破壊力を持つ蟹鋏を、相手の顔面目掛けて突き出す。ボブは大きく前傾姿勢をとって一歩踏み出し鋏の下を掻い潜る。もう片方の鋏を相手の頭蓋目掛けて振り下ろす蟹男、その鋏はボブの頭部と一定の間隔を保ったまま下がり続け、最後に床を打ち抜くまで届く事は無かった。


 ボブの肉体は古代攻城兵器の投石機カタパルトのように、踏み出した脚を軸に上半身がおもりとなって回転し、相手の鋏が届くよりも速く頭部が弧を描いて床スレスレのところを通り抜け、対極線上の踵へ全体重と剛力を集約し加速させると三度目のクリーンヒット、同一ヶ所への度重なるダメージの蓄積は蟹男の耐久を大きく上回り、蟹味噌混じりの灰褐色の泡をリットル吹き出し失神させた。


 淡く七色に輝くネオンの光が、ボブのよく鍛え上げられ、実戦に裏打ちされた肉体を美しく照らし、どこからとも無く喝采が巻き起こっているかのように、その場にいた全てのものに錯覚を与える。


「さあ、これで落ち着いて飲みの続きが………!!?


 ボブの背面から軽く押された程度の衝撃と乾いた破裂音が轟き、部屋中を反響する。鉄の焼けたような火薬の臭いが鼻腔をくすぐり、全身が硬直する。


 マシュマロ耳栓を突き抜け身体の内側から響く聴き慣れた音、嗅ぎ慣れた臭い、背中を向けたままであっても、後ろに居るであろうローレことローレライが銃火器を使ったという事は直ぐに理解出来た。

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