第023号室 闘技場 大蜘蛛

 西洋型ドラゴンの圧倒的暴力にほとんどの異形は闘う気を削がれ、港の荷下ろし場をコンテナで囲んで造られた闘技場から逃げ出そうとコンテナの隙間に身体ねじ込んだり、段々に重なった壁を登ったりし始め、登り切ったところで壁の高さにどう降りるか迷ううち、後から後から続く異形に押し出されて一匹、また一匹外壁から落下して、港団地へと走り去っていった。


 異形の逃亡、ドラゴンの一方的な殺戮、これを触手達は面白く思わなかった。まず、生贄の逃走を止めるべく戦闘能力に秀でた四体、腐乱した巨大な鮫の腹を裂き臓腑で飾り付けたさまの戦闘触アタッカー、揃えた人の両掌の股に擂鉢状の鈍歯がギラつく破壊触クラッカー、鉤状の隙歯をガチャガチャと鳴らし丸太のように肥え、目が無く、腕が生え、無数で一体の分裂触クラスター、そして、触手で出来た外套を纏い、鍛え抜かれた筋肉状の触手を隠す人型の指揮触リーダーがクレーン伝いに外壁の最上段に渡ると、下から登ってくる異形達を叩き落した。


(登るだけなら、簡単なのだけれど………)


 シスターは絶え間なく宙を舞うコンテナの残骸や異形の肉片がぶつからないよう祈りながら、コンテナや異形の死骸の影に身を隠し、なるべく目立たないように足を運びつつ外壁に近付き脱出する方法を思案したが、触手が上にいる限り壁を登って脱出する方法は上手くいくように思えなかった。


 どこか通れそうな隙間がないか見渡しても、コンテナの継ぎ目は全てとてつもない力で捻じ曲げられて圧着され、とても人力で切り開けるとは思えない。コンテナの継ぎ目を穿ほじくっている異形にこっそり近づき応援していると、外壁から落ちて来た大蜘蛛に押し潰されそうになる。


 落下の衝撃で大蜘蛛の腹の下から一抱えはあろうかという子蜘蛛が、文字通り蜘蛛の子を散らすように飛び出し、這いつくばるシスターの周りを一頻ひとしきり走り回って精神を消耗させると大蜘蛛の腹に戻っていく。黒々とした鉄骨のように硬く強靭な八本の脚、光を反射し虹色に輝く産毛がびっしりと生えた豊満プニプニのお腹、ベージュの頭の殆どを占める宝石のように輝く四つの単眼、幅の広い大顎には異形の肉片と体液が染み着いており、並みの異形とは一線を画す実力を持っていることを表していた。


 大蜘蛛の足元からシスターが四つん這いで這い出す。大蜘蛛が中型トラック程の巨体をものともせず一挙でシスターに向き直り、シスターは動きを止めて息を呑む。永遠に感じられるくらいの緊張感溢れる一瞬ののち大蜘蛛の視線が外れる。


(!?………クモって目が悪いのだったかしら?)


 シスターが首だけ回して肩越しに大蜘蛛を見ると、大蜘蛛の頭の側面に配された五つ目の像形成眼カメラめが開かれ明らかに認識される。


「あ、見えてますね」


 大蜘蛛が殺気立ち折り畳まれた牙を開き顎を撃ち出したところで、さらに落ちて来た異形が大蜘蛛の腹にぶつかり、狙いが逸れてコンテナをへこませる。また蜘蛛の子が散らされシスターの身体におんぶに抱っこ、神経を衰弱させたうえ、そのまま離れない。落ちて来た異形は即座に大蜘蛛の顎に打たれて爆散、幾つかの破片がドラゴンに当たり注意を引いてしまった。


「くぅ………なんで、引っ付いちゃうんですか!?」


 子蜘蛛を引き剥がそうと手を掛けて親蜘蛛と目が合う。


「………っ、大丈夫!大丈夫です!!ほ~ら、いい子ですね~~!!」


 子蜘蛛がいなくなれば即刻、肉片へ帰すことを悟り、しっかり抱き留め子蜘蛛のお腹を擦って見せる。子蜘蛛がくすぐったげに身体を震わせ、シスターの背筋が凍えて総毛立つ。


「はぁああ!!………プニプニしてるっううう!!!………うっ!?」


 急にアルコールの臭いが立ち込めシスターの鼻をつき、ドラゴンの火炎放射の予備動作と気付いた時には子蜘蛛ごと大蜘蛛に抱えられ安全圏へと回避されていた。


 徐々に数を減らしドラゴンに追い立てられた異形が雪崩となってシスターと大蜘蛛を巻き込み、一丸となって積み重なったコンテナを掻き毟る。猛り狂ったドラゴンが皮膜が破られていることも忘れ、翼を打って飛び上がり、壁よりも高い位置まで達したがそれは純粋な脚力のみによるもので、二回目の羽搏きは虚しく空を切って揚力を失い落下、異形の集団を圧し潰しその勢いで積み重ねられたコンテナの壁を突き破った。


 朽ちたクレーンに吊り下げられた貨物コンテナに残り、見物していたダゴンの触手の内、最も臆病な一匹、指揮触リーダーと似た外套を纏った少女風の生存触テイカーが身体の色を防御色へ変化させると、大きくため息をつくような仕草をみせた。


 罠を作りドラゴンを捕らえ、この闘技場をこしらえた工作触メイカーをじっとり見詰めて、事態の解決を促す。先の縮れた無数のロープを束ねたような見た目の工作触メイカーは、申し訳なさげに身体を縮めると、ドラゴンの戦力が想定の範囲外であり、対応する術が無いこと示した。


 生存触テイカーは鼻を鳴らすような仕草をすると、辺りをもう一度見渡す。壁を破壊しなおも怒りを増すドラゴン、破壊された一画を見詰めて半ば諦めの見える四体の兄弟、ドラゴンには及ばずともこの混乱を生き延びた運と実力を兼ね備えた団地の住人達、自分が、貝のように張り付いて動かない補助触ブースターを抱えて加勢したところで状況が好転するとは思えない。


 足を動かさずゆっくりと全身を捻るように後ろ向いて、ダム湖の水面の更に奥、光届かぬ深淵へと視線を移す。この騒乱は少し遊びが過ぎたかもしれない。他の知性と実力を兼ね備えた強力な住人達はどう思うだろうか。何より、支配触マジェスティーに事が知れれば何とされるだろうか。ストレスで瞼が痙攣し、口角の片側がつり上がる。


『まあ、知ったこと無いわね』


 自身の生存を最優先とするダゴンの末妹、生存触テイカーは変わりつつあった潮目を読み解くと、コンテナに擬態しクレーンに釣りげられている擬態触フェイカーから飛び降り、エラジェットで肉食魚を振り切ると仄暗いダム湖の水底みなそこへ消えていった。


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