第019号室 認識停止機



 地下通路を抜けた先には円柱状にり貫かれた吹き抜けになっていた。上を覗けば空との境界が曖昧になるほど積み重なった階層の其処彼処そこかしこに洗濯紐が張られており、色褪せた衣服と所々にミイラ化した人間が吊るされ、射し込む光を遮り日暮れ時のような薄暗さを創り出している。下を覗いたなら連なる階層が底無しの闇に溶け込み、時折吹き上がる生温かい風が在るはずの無い海の生臭い香りを運んで来た。


「潮の香りがする?」

「ええ、そんなことより、早く下に降りましょう。………ウナギが来ちゃう」


 小夜とボブは階層ごとに吹き抜けの内側にせり出すように造られた廊下を回り、壁側に埋め込まれたエレベーターの前まで来ると呼び出しボタンを押した。


 経験則上こういうところからは大体何か出て来るので、距離を取って様子を伺う。小夜がランドセルから取り出した三角形の刀身を捩じったナイフとドリルを合わせてナイフよりにしたような刃物を見てボブが唇を尖らせる。


「なんだそれ?」

「………?、ツイストダガーよ」


「いや、なんだそれ?」

「………トライ・エッジ・ツイスト・ダガーよ」


「………」

「………ガチャで当てたのよ?」


Triとゥら~ぃEdgeえッぢTwiちゅぃガリッ!………」


 盛大に舌を噛んだ小夜の口から血が噴き出したがボブは気にしない。


「何でまた、そんなモノ………」

「フフン、普通のナイフは刺す、捻るのダブルアクション(ペロ)でもこれは刺す、勝手に捻られるのシングルアクション(ペロ)非力で技術の無い私には(ペロ)ぴったりの武器だと思わない?(ペロペロ)あと、見た目が好き」


 舌からあふれ出す血液をセーラー服の袖口に吸わせながら喋る小夜をボブが茶化す。


「でも、そのツイストダガー、あれ出来ないじゃん。ナイフ舐めるやつ」

「………は?出来るわよ」


 小夜がツイストダガーを眼前で構え、アヘ顔気味に血濡れた常人の倍は長い舌を突き出し、刀身のじれに合わせて手首をひねり、首をよじって、刃と刃の間の隙間に舌先を這わせていく。


「普通のナイフは舐めれるとこが、右と左の二面だけ。でも、このツイストダガーは、三角形だから三面舐めるとこがあるの。3倍お得でしょ?」

「1.5倍、1.5倍だぞ」


 何かの拍子に舌を切られては適わないので、眉間にしわを寄せ、目を細め、引きで見守るボブ。小夜はねっとりツイストダガーを舐め取ると角度を変えて往復を始める。


「ええ………」


 ボブがトランス仕掛けていた小夜を制止するのと同時に、突然乾いたベルの音を響かせエレベーターの扉が開く。


「「ん!?」」


 扉が開く前にはエレベーターの籠が移動する駆動音等、何かしらの兆候が有るだろうと考えていた二人は、完全に不意を突かれる形となった。


 自動小銃を瞬時に構え戦闘態勢へ移行するボブと、ツイストダガーの二面を舐め終えた小夜。しかし、このままでは精神衛生上よろしくないと、急いで残りの一面を舐め始める。金属のビリビリと電気的な舌触りが病み付きになっていた。


 態勢の整わない小夜を置いて、ボブが一人でエレベーターの中を検め、扉の影からひょっこり顔を覗かせたシンプルな丸眼鏡を掛けた背の高い老人の眉間に銃口を重ねる。


「なんだ、教授か」

「おや?どうして君が………!?」


 遅れて整った小夜がツイストダガーを腰溜めに構えて体当たり。ぶつかる前に暴徒鎮圧用のライオットシールドに遮られ、その盾の曲面に流されナイフが滑り、盾の持ち主の大腿部に突き刺さる。小夜が素早く得物を引き戻し、追撃を重ねよう突き出したところでボブに肩を掴まれ止められた。


 目を見開き覆い被さるように影を落とし小夜を見下ろすシスター、大腿部に空いた穴を指でなぞると、申し訳なさそうに見上げる小夜の額を爪弾く。


「ぅあ、体罰………」

「なにを!まずは謝りなさい………」


 にじみ出る剣幕に気圧けおされ、ツイストダガーを背中に回し前かがみになって頭を下げる小夜。


「ごめんなさい………あの、太腿ももは大丈夫なのでしょうか?」

「私は日頃から銀の帷子かたびらを纏っています。並みの刀剣がけるものでは無いので心配いりませんよ」


 シスターが裁縫道具をリュックから取り出し、修道服の穴に布の端切れを当てこなれた手付きで縫い繕う。


「ところで、何故先に出発した私達より、あなた達の方が先に底へ到着しているのですか?」

「………え?」


 シスターの言葉に小夜とボブが、団地の吹き抜けを覗き込んで混乱する。


「まだ、着いてませんけど?」


 シスターと教授が怪訝な表情を浮かべエレベーターから降りると、吹き抜けから下を覗き込み次は困惑した表情を浮かべる。通路に積もった汚れが微かに剥がれて出来た足跡の中に、自身の物を見付けた教授が頭を掻く。


「もしかして、動いていなかったのでは?」


 教授の言葉の意味をそれぞれ考え、直ぐに諦め話の続きを求めて教授を見詰める三人。


「ボブがあれだけ慌てて、構えるのは珍しいですからね。ドアの開く兆候が無かったのでは無いですか?」

「ああ、確かに、ドアが開く前にエレベーターの昇降音がしなかったな」


 教授とボブのやり取りを聞いて小夜が口を挟む。


「じゃあ、呼び出しボタンを押す前からエレベーターはそこに在ったってこと?」

「そういうことになりますね」


「それじゃあ、………私達が来るまで中で何してたの?」

「………それが分からない」


 エレベーターの周囲を汚れを剥がしながら、見直していたシスターは、エレベーターの扉に進入禁止を表すピクトグラムがナイフで付けたような傷で刻まれているのを見つけて、溜息をついた。


「悪意を感じます。エレベーターの中はつい最近掃除されたように綺麗でしたが、外は汚れが目立つというより、この警告を隠すように敢えて汚されていたのでしょう」


 そう言うとシスターは袖で扉の汚れを拭い、靴底で床の汚れを刮ぎ取って×バツ印を描き警告をより一層強調した。


「このエレベーター、扉が閉まると中の時間が止まってしまうなんてことありませんかね?」


 さらに飛躍した教授の仮説を理解するのは潔く諦めた三人、そんな事より底に降りる方法を探し始める。


「そうだとすると君達が来て、呼び出しボタンを押し、扉が開くまでずっと時間ごと止まっていた状態だったのかもしれません」

「「「こわい」」」


 三人の心底興味の無いという態度も意に介さず、教授がスマートフォンを取り出しボブの持つ時計と時間のズレを調べる。


「おや?時計のズレは無いようですね。もし、本当に時間が止まっていたのなら、僕の時計とズレていそうなものですが………ということは、体感時間だけが引き伸ばされていたのでしょうか。そうだとしたら、あのまま誰も呼び出しボタンを押しに来てくれなかったら、干からびて死ぬまで動けなかったかも知れませんね?」

「「こわい、こわい」」

「ほんと、怖い」


 相変わらず興味の無いボブと小夜、自分が詰まされた状態にいた事に気付き、急に喉の乾いてきたシスター、冷汗がひとすじ背中を流れ思わず身をよじった。


「じゃあ、もう一回乗って確かめてみましょう」

「いえ、階段を探しましょう」


 小夜の提案は教授に却下される。


 吹き抜けを壁沿いに進み階段を探す四人。直ぐに一周してエレベーターの前に戻ってくる。


「階段が無い!」

「………吹き抜けから降りるか?」


 小夜の見立てにボブが妥協案を出すと、吹き抜けから底を覗き込んだ教授が待ったを掛ける。


「いや、もう少し、丁寧に探してからにしましょう」


 もう一度、壁沿いに歩き出す四人、開かない部屋のドアノブを壊して見たり、壁のひび割れを削って見たりする。通ってきた地下道を覗き込む小夜、ウナギを焼いた火はすでに治まり、煙も通路の奥が見通せる程度になっていた。


「………何もいない。なんで?」


 あの炎でウナギが焼け死んだのなら死体があるはずだし、生きていたのなら追いかけて来てもおかしくない。小夜はそう考えるとガソリンが燃え上がった時、一瞬奥に見えた巨大な触手が気の所為では無かったのだと思えてきた。


 小夜が胸騒ぎを覚えて振り向き吹き抜けを見渡す。無限に連なるように揃った円環状の部屋に既視感デジャブを見て総毛立つ。


「やっば!!!」


 小夜の普段の落ち着いた物言いとは程遠い冷静さを欠いた怒号に三人の注目が一斉に集まる。


「えっ?何だ、小夜ちゃん!?」


 ツイストダガーを壁に押し付け、壁に沿って走り出した小夜が教授の脇をすり抜ける。


「とにかく、やばいんだな!?」


 小夜の直観を信じたボブが小銃を構え援護に回る。


「一体、何を………!!!????」


 小夜をいさめようと喋り掛けたシスターだったが、嬉々として向けられた猛烈な悪意を感じ取り思考が中断される。


「!?………!?」


 はっと息を呑み、ネジ切れんばかりの勢いで首を振り、壁面を向いて凝視し固まる。


「シスタッ「ちょっと、離れてなさい!」ぐぇ………!?」


 シスターがライオットシールドを寝かせると底を掌底で押し出し、反対側を小夜の腹部にぶつけて弾き飛ばす。


 良心を持たず、陰険で、敵意に満ち、意地汚く、心いやしい、名状しがたき邪悪の権化、団地だんちダゴンは気付かれたとさとるや否や、吹き抜けの壁に擬態していた触手でもって、シスターが身をひねり振り下ろした鉈を躱して巻き付くと、団地の深淵、奥深くへと引きずり込んだ。



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