第014号室 うどん



 ドッペルゲンガーの死骸を片付け終えた教授は、図書室にいつの間にか蔵書されていたらしい、謎の書籍を幾つか本棚から抜き取りテーブルに置いた。


「ヴォイニッチ手稿その三、あれ続き物なのか?しかし読めない!団地訳ネクロノミコン、原文とはかけ離れていそうだが気になるな。図解でわかる天地創生初級編、小惑星の挿絵だろうか?わからん、どうも人の可視光域で読めるようには出来ていないように見える。あっ、月刊△ー?これはただのオカルト雑誌だ………」


 どれもこれも出版社は団地書報だんちしょほうとなっていた。読めない本を読みながら理解できる部分を探し出し、前に似たような記述を見たなと、別の書籍を取り出してきては参照、比較、翻訳を繰り返し解読、少しずつ理解できる範囲を増やしていく。


 小夜がシャワーを済まし顔面蒼白、唇真っ青、ガタガタ震えながら、歯をガチガチ鳴らして戻ってきたころには、テーブルの上に本のバリケードが築かれていた。


「………フッ、あとでちゃんと片付けてよ?」

「………………~~ぅ~ん」


 小夜は教授のとても信用ならない生返事に天を仰ぎ、唇を尖らせ息を鋭く吐き出し、前髪をねた。視界が曇ったような気がして睫毛まつげを摘まむようにまぶたを拭うと、雪のような結晶が指先に付いて直ぐ溶けて消える。


「うわ、まつげ凍ってる………」


 とんでもないシャンプーがあったものだと思いながら、お菓子でも食べようと教授の拳銃で吹き飛んだ受付棚の引き出しをあさり、木屑を掻き分け銀紙で小分けに包装されたチョコレートを見つけては口に放り込む。


 植物油で薄められた質の悪いチョコレートは、小夜の咥内こうないでダマになりながら溶けて唾液と混ざり合い、舌全体に纏わりついて味蕾みらいを塞ぎ、味覚神経を経由して脳を溶ろかしβエンドルフィンを溢れさせ、甘味とほろ苦さをもって服用者を依存させていく。


 団地製菓だんちせいか製のチョコレートを一心不乱に頬張る小夜、正常な判断能力を失った精神は、自制を失い暴食のへと引きずり込まれていく。


 包装紙に残ったチョコレートの欠片を歯でし取る。指に付着した香りに引かれ、口に入るだけ指を突っ込みしゃぶりつく。狂乱的に瓦礫を掻き分け見落としたチョコレートが無いか探し、似たものがあれば口に入れてから判断する。


 チョコレートと唾液と木片と、木片で傷ついた咥内から溢れた血液を、舌と指でね繰りながら新しい包みをそのまま頬張る。ひと噛みで中身が噴き出し口いっぱいに広がる。前歯で舌をしごき唇をすぼめて両手の指で拭い取り、中庭に面した窓辺に駆け寄り乱暴に木戸を開け放つと、人目はばからず団地チョコを噴き出した。


「チョコは依存性があるからね~~そんな事もあろうかと、カカオ99%のやつ混ぜといたんだよ~」

「………はぁ、いいことするじゃない。………助かったわ」


 暗号解読に夢中な教授が間延びした調子で毛ほどの興味も示さず、チョコレート依存症を克服した小夜を気遣った。


「やっぱりある程度、手を加えてから食べないと危ないわね~」


 まともな食糧が無いかと食糧棚を物色すると、賞味期限の切れた小麦粉が奥の方から大量に現れた、と言うよりは小麦粉しかなかった。


「教授~~この小麦粉、何なの~~~?」

「~~僕たちが図書室に来る前にいたらしい、イタリア人のため込んでいたものだね。まぁ………その人はもう居ないみたいだけど」


 人の死の痕跡を感じ取り教授の集中が切れる。


「棚の横にレシピノートがあっただろう?色々な国の料理がそれぞれ異なる筆跡で書き残されてて、一番新しいページにパスタの打ち方が沢山書かれていたから、それの残りじゃないかな」

「フ~ン、パスタね~~」


 小夜が立ったまま頬杖をするよな仕草で、かわいく考え込む。教授は小夜がそのポーズをとる時、全く別のこと考えていて、それを行おうとすでに決心を固めた後だということを知っているので、小さく肩を竦めて読書に戻った。


「パスタかぁ………よし、うどんにしよう!」


 小夜はうどんを打つのは初めてでは無かった。幾度となく母親から直伝された鮮やかな手つきで粉へ、トイレから汲んできた水を廻し入れ、勢いよくかき混ぜる。程よく水分を含み黄色く、そぼろ状になった生地を、外側から内側へ巻き込み一つに固め、ひっくり返してまた繰り返す。


 まとまった生地を大きな調理用ポリ袋に詰めると、教授が築いた本の山を薙ぎ払いテーブルに叩き付ける。


「!?なんだ?どうした、小夜ちゃん?」

「知らないの?うどんは踏んであげないとが入らないのよ?」


 小夜がテーブルの上に置かれたうどん生地に鋭く踵落とし、勢いを利用してテーブルの上に登る。


「フニャフニャの生地を、こうやって(蹴り)こうやって(蹴り!)しっかり踏み込んで(蹴り!!)グニ…グニ…グn「グルテン?」グテン!そうグルテンを、フフン、網目状に絡めてゴムみたいにするのよ………」


 怪訝な表情を浮かべる教授を見下しながら、母直伝のステップで全身の体重を掛けて生地を捏ね上げていく。途中トゥキックで生地を折り層を重ねていく。


 チョコ中毒の時よりもご機嫌なトリップ具合で一通り生地を捏ね終えると、テーブルに腰掛け生地を太腿に挟み人肌で寝かせ、上がった息を整えながらテーブルの上に横になる。背を向けたまま小さく上下する小夜の身体は、教授には急に小さくなったように、そして、少し震えているようにも見えた。



ーーー



 日の陰る図書室の中庭に面した木窓外側が開かれ、迷彩服に自動小銃を携えた大柄な黒人男性が、満面の笑みを浮かべながら乗り込んで来る。


「ただいま、教授、お帰り~小夜~~~どこ行ってたんだ?」

「ハァイ!ボブ」


 ボブと呼ばれた軍人のハイタッチを躱し小夜がタックル。お話にならない重量差と桁違いの格闘練度、圧倒的な筋肉密度で受け止められると、小夜が次の一手を仕掛ける前に丸太のような腕が胴に巻き付き、床に落ちていた紙切れでも拾い上げるかのような軽い動きで担ぎ上げられ記憶が飛ぶ。途中、強制的に後方宙返りをさせられながら、小夜が次に気が付いた時はボブの肩に座っている状態だった。


「あぶなぁ~~~い!!」


 図書室本来の扉を開き入ってきた修道服の上に派手なコルセットを巻き、ライオットシールドにトンファーを持った修道女は、空中で回転する小夜を見て心臓から悲鳴を上げた。


「お帰り、シスタ「も~~~!!!心配させましたね~~~!!!」ん~~…ごめんなさい」


 盾と棍を投げ捨てシスターが奪い取るようにボブの肩から小夜を降ろすとすかさず慈愛の抱擁。揺るぎのない信仰から生まれる強靭な精神、不屈の心に清らかな魂、嘘偽りの無い他者への思いやりから零れる涙を見ると、小夜の良心はチクリと痛み、多少息が出来ないくらいでシスターを突き放す気にはならなかった。


「よかった!また、四人で揃う事が出来ましたね」


 教授がそう言うと窒息仕掛けている小夜からシスターを引き剥がす。


「二人が出かけてる間に小夜ちゃんが、パスタ作ってくれたんですよ。「うどんだよ!」皆で食べましょう!」


 中庭の焼却炉を改造したかまどでうどんを茹で上げ、それぞれ絵柄の違うどんぶりによそい麺つゆを垂らす。窓のそばに置かれたプランターから、枯れかけた小口ネギを数本ちぎって刻み振り掛けた。


「「よし、食べよう!!」」

「その前に、神に感謝の祈りを捧げましょう」


 色めき立つ男二人をシスターがさえぎり、四の五の言わせる前に祈りだす。


「天にましわす………」

「あ~始まった。短めで頼む」


 悪態を付きながらも両手を合わせて付き合うボブ、シスターの祈りがあんまり長いので、祈り尽くしてしまい、祈る事が無くなって国家斉唱を始める。


「………我らの罪をお許しください………(キッ!)」

「………!」


 シスターが青筋立てて睨み付けボブを黙らせる。


「………感謝の祈りを捧げます。アーメン」

「「「………以下同文アーメン」」」


 四人とも団地生活は長いのでお箸の扱いも慣れたものである。器用にうどんを摘まみすくい上げる。


「おお、なんて白いパスタなんだ「うどんだって!わかって言ってるでしょ?教授!」」


 四人同時に口に含んだが誰も噛み切れない。


「「「「………………?」」」」


 ボブが何とか噛み切り他の三人を見渡す。噛み切る事を諦めた教授とシスターが、うどんを運び全て口に含む。口の端からうどんを数本垂らしたままの小夜を、困惑の色を顔に浮かべて見つめる三人。


「何だこれ?ゴムじゃないのか?」

「うどんだよ?」


「すごい弾力ですね………」

「うどんだもの」


「硬すぎる。このパスタ「う!どん!!」」


 二口目を啜る小夜を無言で見詰める三人。


「言っとくけど、これ全然フニャフニャだからね?ママがったやつはホント噛み切れないからね?」


 この子の母親は一体どれほど恐ろしい人物だったのだろうと、教授とボブとシスターは思った。


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