第013号室 トイレ



 古びた木造の図書室、天井まで届く本棚と本棚に挟まれた通路に積み重ねられたプラスチック製の大容量衣装ケース、これは小夜が捕まえてきた団地に生きる小型生物を飼う為の飼育ケースになっていた。


「あった、これ」


 お目当ての夢魔用飼育ケースを乱暴に引っ張り出し、蓋を外すと新しく捕まえてきた小さいおっさんを中に放り込み蓋を閉めると、先輩のよく調教されたおっさん達が新入りの緊縛を解きながら、肩を抱き何やら囁き掛けて慰めた。


「小夜ちゃん、怪我は平気なのかい?」

「フフン、平気よ。いつものことじゃない」


 教授がドッペルゲンガーの死骸をゴミ袋に片付けながら小夜を気遣ったが当人はどこ吹く風で、手足に痛々しく映える痣や擦過傷をひけらかし、着替えとシャンプーの試供品それに金魚柄のラップタオルを抱え、図書室を出て向かいにある女子トイレに入って行った。


 白熱電球はスイッチを入れても無いよりはマシ程度の明るさしか無く、壁と床を覆う正方形の小さな陶器製のタイルがその光をかすかに反射してチラチラと妖しく揺らめいて、深緑色のゴムサンダルが踏みしめるたび、ゴムと陶器が擦れ合いキュっと窮屈そうな音が鳴る。


 洗面台に着替えとラップタオルを載せ、スクール水着を脱ぎ捨て脇の小皿に盛られた盛り塩を一摘み、鏡は幅広の透明OPPテープで隙間なく目張りしてあるので、鏡の住人であるさかさ小夜は引っ付いて出て来れない。


 一番奥の個室のドアを開くと小夜は、塩が満遍まんべんなく行き渡るよう祓魔師ふつましの間ではよく知られた、腕を曲げ上から撒いて肘に当たるようにするやり方で、先客の花子さんに向かって塩を振り掛けて清めた。


「はい、わたし使うから成仏して」

(~~~~………!!!)


 地縛霊も不意を突かれれば呆気ないもので、状況を理解する間もなく花子さんは成仏してしまった。


 古い建築様式の和式トイレは個室の天井近くに水を溜めるタンクが設置されてあったが、その配管は過去に存在した生存者の手によって改造され、配管の途中にシャワーヘッドが取り付けられていた。


「ふ~~………よしっ」


 小夜はゆっくり息を吐き出し意を決すると、洗浄ペダルを踏みつけた。シャワーから流れ落ちる水は当然お湯ではなく冷水なので、小さな悲鳴と共に全身に鳥肌が立ち筋肉が萎縮する。


「ぎゃ………………!!」


 古代ギリシアの大理石彫刻のように裸体をくねらせ、震える指先でシャンプーの試供品を開ける。


「はわわ………ミントの香りがするぅ………」


 手早く済ませようと高速で両手を動かし、頭の天辺から足の先までくまなく泡塗れになる。最後に髪を撫で上げ泡をそぎ落とし、両手にたっぷり抱えてフッと一息、吹き飛ばす。ぽたぽたと雫を落とすシャワーヘッドを見上げてふと考える。


(ミントの香り………ハッカ油が含まれているのでは?)


 肌はヒリつくような感覚を覚えながらも脳は鈍感で、足はいつもそうしているように、ほとんど無意識に洗浄ペダルを踏みつけ、冷水を降らせる。


「あ゛っ………!!!」


 余りにも爽快が過ぎると結局製品化されなかったメンソール過多の試供品シャンプーは、小夜の感度を300倍に跳ね上げ、冷水が肌に刺さるや否や永久凍土へ誘った。




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