第20話 大好きで
次の日、教室に入り
俺の人に話しかける勇気は高校に入って消滅してしまったので、久米が話しかけてこなかったら詰んでた、ヤバかった。
二人で話す分には問題ないんだが、
こう、周りの目があるとね、うん。
そう考えると
周りも俺と陽悟が話すことは珍しくないから特に気にする様子はなかった。
……いや、めっちゃ気にしてたな、女子。
もっと言うと普段から目をつけられてるわ陽悟と話してると。
「ねぇ、昨日はその、妹さんと会ったんだよね?」
久米は控えめに聞いてきた。
「うん。会ったよ。悩んでた」
「二人とも真正面から話したことがないみたいだった。遠慮して、避けて、本心を相手に伝えてない」
そんな二人を見たからこそ、
「溢れるくらいが丁度良いんだ。気持ちを汲むのも、また人だから」
届く言葉も、込めた感情も、受け取る側の匙加減だ。
だからこそ何度も何度でも、伝えなければならない。
「うん。ちゃんと伝えなきゃね」
久米は窓に目を向けて、どこか遠くを見ている。
「そのことで少し頼みたいことがあるんだが」
「なに?私にできることならなんでもするよ」
久米はかなり息巻いている。
この様子だと今頼もうとしていたことも任せられそうだ。
「久米には放課後、扶助部には入らないで
これは、俺のわがままかもしれない。
「久米は俺が連絡するまで部室の前で待ってもらって、櫛芭とは最初二人で話したいんだ」
今の状態の櫛芭と話してみたかったんだ。
「うん。分かったよ」
「ありがとう」
久米に感謝を伝えて話を終わろうとする。
さすがに長く喋りすぎた。
「でもさ、
久米は結構周りの目を気にしないタイプなのかな。
でもたしかに、久米の言葉には納得できるところもある。
だけど、
「人の想いからは、逃げちゃダメなんだ。周りの想いを、その人の想いを知らなきゃいけない。無意識でもダメなんだ。後から気づいても遅い」
成華の言葉が俺に響いたように。
「逃げた先でもらう想いが、人は一番辛い」
過去の、あるいは今の、そして未来に。
これだけは忘れてはいけない。
変えられないから過去になる。
「
静かに久米は俺の言葉を肯定する。
「……上手くいくといいね」
久米は目を伏せながら呟いた。
「あと、次からはちゃんと1番最初に部室来てね!居ないと結構違和感があるというか。というか昨日来なかったし」
………忘れてた。ごめん。
そういえばいつもはちゃんと意識して部室に一番に来てたんだった。
「昨日は久米が一番に部室に入ったのか?」
久米は首を振る。
「未白ちゃんが最初だったよ。私はその後」
「………そう」
……次からは入室の一番は譲らん。
授業を受け、放課後になる。
久米には事前に話していた通り、縁ゆかりさんといてもらう。
部室に入り、窓側の席に座る。
まだ櫛芭は来ていない。
一番に来れたようだ。
しばらく時間が経ち、ドアが開く。
「こんにちは」
「あぁ」
ドアを閉め、教室の中心にある席に座る。
「一番になったのは昨日だけ、と」
「部長だからな。そう簡単に負けられない」
「まあ、別に競っているつもりはないのだけれど」
櫛芭はゆったりとした姿勢で座っている。
「
「あぁ。まぁ少し、席を空けてもらった」
「……?…どういうこと?」
ゆっくりと、順番を決め、間違えないよう慎重に話す。
「櫛芭、お前が居ないときに、俺は依頼を受けていたんだ」
「昨日居なかったことと関係があるのかしら」
さすがに分かるか。
だけどそれを答えるのはすべてが終わった後でいいだろう。
「……相手は
「
櫛芭はまるで分かっていたかのように無表情だ。
だが興味がないわけではないのか、顔はしっかりとこちらを向いている。
その態度を信じて話を続ける。
「相沢の依頼はお前に合唱祭でピアノの伴奏を頼みたいらしい」
違うクラスだけど、それでも俺に依頼をしてきた。
「お前がピアノをやっていたのはそこで知った。金曜日来ないのはピアノのスクールの為だよな」
久米にも隠して、高校の人は等しく秘密にしていた。
「お前がそれを話さなかったのは、何か理由があるからじゃないかって色々考えた。その結果、分かったことがある」
だけどそれでも、結果より先に何を俺はしてきたかを話す。
「妹の縁さんに会ったよ。頭が良くて天才なんだってな」
「へぇ……。縁と会ったの」
そして……。
「そしてもう一人………この学校にはお前の親がいる。母か、父か、多分どちらか」
「………そう」
妹のことまでが想定内だったのか、櫛芭の表情が僅かに変わる。
思い出すのは放送室での活動。
まだこの部活を一人で活動していた時だ。
放送委員の担当の教師の名前に櫛芭と書かれていた。
苗字が一緒というだけでは繋がりなんてわからないが、菊瀬先生の反応を見てそれは確信に変わった。
『私も、ちょっとは言ってみるよ。まぁあまり期待はしないでくれ』
まぁ、確信なんか無くても言葉を変えて確認するつもりだったが、
「違う学年の先生を一人一人覚えている人なんていないもんな」
「………母がいるわ。別に、隠していたわけじゃない。ただ、言う必要が無いと思っただけ」
「……そうだな」
静かな時間が続く。
緊張で息が詰まる。
「それで、その話が私にピアノを弾かせる話と、どんな関係があるのかしら」
先に口を開いたのは櫛芭だった。
その問いに答えるために俺も口を開く。
これから俺がいうことは、多分余計なことだ。
関係ないと言われればそれまでの。
だからそれまでの繋ぎだ。
「………比べられてたんだろ。縁さんと」
俺の言葉に櫛芭の目が鋭くなる。
「いつからかはわからない。でも比較されるようになった。人間だからな、仕方ない。何にでも優劣をつけたがる」
傍に居ることは、いいことだけじゃない。
「教師という立場なら尚更、学力ってのは目についてしまう」
それは、本人が一番わかっていることだけど。
「そしてそれに親の目を合わせると、な」
櫛芭はだんだんと俺を睨みつけるような目つきに変わっていく。
「いいか、妹とお前は違う。誰にでもわかることだけどあえて言わせてもらう。違うんだ」
誰にでもわかる一般論を繰り返し話し続ける。
「同じものを求めるのは筋違いだし、櫛芭には櫛芭の、櫛芭だけのものがあるんだ」
櫛芭の姿は、会ってからいつも焦っているように見えた。
自分に無い物を必死に補っているように。
「知ったような口を聞かないで………」
当たり前だ。
俺が話せるのはここまでだ。
俺にももし、俺みたいな人が周囲にいたら。
「じゃあ知ってる奴に言ってもらうか?」
一体どちらに転ぶんだろう。
櫛芭は黙ってしまった。
誰が来るか分かっているんだろう。
スマホで久米に連絡し、部室に入ってきてもらう。
静かな部室に、扉が開く音が響く。
「お姉ちゃん……」
「縁……どうして……」
縁さんの隣にいる久米が、その背中を強く押す。
「未白みしろちゃん、縁ちゃんの話、聞いてあげて」
ここに入る前に何か話していたのだろうか。
櫛芭をまっすぐに捉えて、力強く言う。
「私、お姉ちゃんのこと、好きだよ。お姉ちゃんのピアノも好きだし、真面目でカッコいいところも好きだし。もう、なんか全部好き」
勇気をもって縁さんは櫛芭に向き合う。
「だからね、私はお姉ちゃんに笑っていて欲しいの。いつも」
ある日急に、側にいた人が自分を避け始めたとしたら、そのショックはどれほどのものだろう。
縁さんの言葉は、今までの積み上げた時間を愛しめるように大事に、ゆっくりと伝えられた。
そして、それは多分避けていた櫛芭も同じ。
「あなたを嫌いになったことなんてない……!あなたのことが大切で……でも、今の私だとあなたを傷つけてしまうから」
今日までに日々で、初めて櫛芭は声を荒げる。
「きっといつか、また、話せるようになるから……」
顔を逸らし、辛そうに唇を噛む。
……櫛芭は、まだ……。
「お姉ちゃん!」
縁さんが勢いをつけ櫛芭に抱きつく。
「縁……?」
顔を上げてさらに近くで向き合う。
「お姉ちゃんの意気地なし!」
「………」
「どうして本当のこと言ってくれないの!」
「………どうして」
「私は、私なら、もう平気だよ。今度は、お姉ちゃんがしたいことを言って!」
抱きしめる手に力を込め、縁さんは櫛芭の目をまっすぐ見る。
櫛芭はまだ……本当のことを言っていない。
少しの沈黙の後。
櫛芭の目から涙が溢れた。
「私は………私はっ!あなたより劣っていると勝手に感じてる私が嫌いなの!あなたの優しさに甘えている自分が嫌!いずれ私に興味を無くしたあなたはきっと遠くへ行ってしまう。姉として、不甲斐ない自分に失望するの!」
言いたいことは、言えただろうか。
嗚咽をこぼしながら、櫛芭も縁を抱きしめる手に力がこもる。
「私は、お姉ちゃん好きだよ」
縁はゆっくりと言う。
「お姉ちゃんが懸命に私のこと考えてくれて嬉しい」
指先まで気持ちを込めて相手に触れる。
「お姉ちゃんは優しいから、私を傷つけたくないから私を避けてるんだよね。なら、私もそれに甘えてる。優しいお姉ちゃんが大好き」
優しさ。
誰にでもある想いの形。
「私はお姉ちゃんとずっと一緒だよ。また、お姉ちゃんのピアノ聴きたいな」
涙は頬をつたい、床に落ちる。
「私も、縁が好き。ピアノが好き。………夢もあるの」
櫛芭が一旦縁から離れ、こちらを向く。
「雨芽くん、私、合唱祭に伴奏として出る。ちゃんと出来るってことを伝えないといけない」
その顔を見て、俺は。
「あぁ。ちゃんと伝えなきゃな」
覚悟を決めた櫛芭を見て、俺は胸が苦しかった。
目を逸らし、窓の外を向いて息を吐く。
俺は逃げてしまった、想いにも、言葉にも。
すぐ傍にあったというのに。
受け止めなければならないものが。
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