第64話 A-LIVE!

 時計の針が定刻を回り、それまで表示されていた準備中の画面が切り替わり、バーチャルアイドル『うしろ』の姿が画面に現れた。


 わたがしのような淡い髪色をしたボブカットに、丸々とした瞳と長いまつ毛。


 衣装は白と黒を折り重ねたようなシックでシャープなデザインのドレスと、頭に乗った黒いリボン。


 それは、今までと何も変わらない、愛らしい見た目であるはずにも関わらず、まるで別人のように凛々りりしく、高貴こうきであった。


 そんな普段の姿とのギャップに、放送を見に来たファンも、若干ではあるが戸惑いの反応を見せる。


 ――うしろちゃん、雰囲気違うね。


 ――マジメモードかな?


 ――なんかこっちまで緊張してしまいそう。


 普段の放送に比べ、約1.5倍ほどある視聴者から放たれるコメントの数々。


 その目まぐるしい流れを目にしながらも、うしろは姿勢を崩すことなく、おのれのペースで、ゆっくりと口を開いた。


『みなさん、こんばんは。今日は私のファーストライブを見に来てくれて、どうもありがとうございます』


 緊張感を含みつつも、わずかに高揚したあいさつに、視聴者たちも空気を察してかコメントの質を変異させていく。


 ――うしろちゃ~ん、がんばって~!


 ――この妙に落ち着かない雰囲気、ライブって感じがする。


 ――なんか、いつもと声が違う? マイクが変わった?


『今日は私の全力の歌を皆さんに伝えたくて、スタジオをお借りして、そこから配信させてもらってるんです。配信画面だとちょっとわからないかもしれないですけど、やっぱり声の響きだとかで、環境が違うってわかる人もいるんですね』


 そう言って、視聴者へと幾分照れた様子で語り掛けるうしろ。


 その反応に、ファンのコメントも瞬時に熱を帯びる。


 ――うしろちゃん、かわいい。


 ――こんなにかわいくて、歌が上手いってだけで無敵すぎる。


 ――もっと、笑って、笑って~!


『みなさん、どうもありがとうございます。こうしてお互いがやり取りできるのがネットで配信しているライブの醍醐味だいごみでもあるんでしょうけど、そろそろ始めないとどんどん時間が伸びちゃうので、早速一曲目にいきたいと思います』


 ――何時間かかってもOK。


 ――朝まで耐久してほしい。


 ――最初の曲はやっぱり新曲かな?


『ふふっ、朝までは無理ですね。スタジオの都合があるので……それでは、一曲目ですが、これは私の思い出の曲で、バーチャルアイドルを始める前に、初めてカラオケを投稿した曲でもあります。では、聞いてください――』


 うしろがライブの最初に選んだ楽曲――それは、人生をあきらめかけていた自分を繋ぎとめてくれた救いの手であり、インターネットの世界で活動を行うきっかけともなった曲だった。


 うしろの選曲に、テンションを上げる古参こさん勢と、バーチャルアイドルになってから彼女をしった視聴者たちの、戸惑いの声とでコメント欄が二分にぶんされる。


 そんな混沌とした空気の中、うしろは一人、呼吸を整えて、意識を集中させる。


 一方、視聴者のコメントも、うしろの雰囲気につられてか、まるで潮が引いていくかのように静まり返っていく。


 そして場に静寂せいじゃくが訪れた瞬間、ライブの開始を告げるイントロが流れた。


 両足を開き、大地をしっかりと踏みしめながら、体幹たいかんを意識して体の底から声を発し、うしろは音を奏でる。


 耳に流れ込む伴奏ばんそうに合わせて、うしろは周囲の空気を震わせ、自らの思いをぶつけるように歌い続けた。


 うしろから向けられたありったけの思い。


 それに呼応するように、視聴者たちのコメントは盛り上がり、掛け声が文字となって、ひとつに同調されていく。


 歌唱を続けながらも、うしろは皆の反応を確認するために、配信画面を表示したディスプレイをちらりと見やる。


 そこには流星群のように大量に流れていくコメントたちの姿がった。


 その時、うしろの脳裏に見えるはずのない光景が映し出される。


 ステージの上から見える、ファンの振るうペンライトで作られた、全面の星空。


 聞こえるはずのない、観客からのコメントが、歓声となってうしろの耳に届く。


 瞬間、ファンの声に突き動かされるように、うしろの口が無意識に動いた。


『みんな、もっと大きな声でっ!』


 予定になかったうしろの声がファンをあおり、ファンもまた思いに応えるようにコメントを返していく。


 全力疾走で始まった、うしろの初めてのライブは、一曲目から驚くほどの熱量をもってスタートしたのだった。

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