第23話 誕生日

 バーチャルアイドルとしてのデビューが決まってから数日。


 たちばなそらは、マネージャーの高木たかぎと共に、デビューへ向けての準備を着々と進めていた。


 そして、機材やキャラクターの発注、活動の場の開設、そして広報といった活動がひと段落したころ。


 そらは高木に呼び出され、プロダクションASHの応接室まで来ていた。


「お疲れ様、そらちゃん。調子の方はどうだい?」


 高木はグラス入りのお茶を配ると、ソファに座っていたそらの正面へと腰を下ろす。


 すると、そらは照れと期待が入り混じった、笑みとも緊張とも言い難い表情を浮かべる。


「だいぶ、慣れてきたとは思います……自分じゃないキャラクターを演じてるっていうのが新鮮で。今までできなかったことができるっていうのが、楽しみっていうのもあるし――」


 自らの思いを素直に語るそらに対し、高木は静かにうなずく。


「それはよかった。こうして事務所にも一人で来れるようにもなってきたし、そらちゃんらしさが戻ってきた感じがして、嬉しいよ」


「私らしさ……ですか?」


 キョトンとした顔で、そらは首をかしげた。


 そらの格好はつばの広い帽子に大き目のマスクこそしていたものの、トップスは紫陽花あじさい色のショルダーカット、ボトムもワンポイントのリボンが可愛らしい、桃色のプリーツミニ。


 白く張りのある脚には、淡いピンクのサンダルがかされており、そらが年相応のオシャレを楽しもうとしている様子が、男性である高木にも理解できた。


 それは、人生において楽しみを得た、将来に希望を見つけた、そら自身の心境の変化が如実にあらわれた結果ともいえた。


 一方の高木は、寝ぐせこそ付いていないものの、相変わらずのスーツ姿で、手帳を開きつつ、そらとの対話に意識をかたむける。


「僕が知ってるそらちゃんは、どっちかというと積極的というかエネルギッシュというか、一緒にいるだけで元気をもらえるような子だったからさ」


「……はぁ」


 高木の言葉に軽く相槌あいづちを打ちながら、そらは過去の自分を振り返る。


 病院で目が覚めてからはショックでふさぎ込んではいたが、それ以前は確かに活発な性格であったように思える。


「確かに、そうだったかも……」


 ほんの少しではあるが、失われた過去を取り戻せたような気がして、そらは喜びからほおを緩めた。


 その様子を目にして、高木もつられて口元を喜びに染める。


「さて、それはそうと今日の打合せといきましょうか」


 こほんと軽く咳払いをして、高木はA4サイズの封筒を取り出し、数枚でつづられた資料をそらの前へと差し出す。


 資料には可愛らしい女の子のキャラクターのイラストが描かれていて、名前のらんの隣には空白が続いていた。


「今日はそらちゃんに名前を決めてもらいたいと思うんだけど、希望はある?」


「――名前、っていうのは?」


「そらちゃんが演じるバーチャルアイドルの名前。さすがに本名のままは問題があるからさ」


「それは……そうですね」


 高木の言葉に、そらは納得し、小さく何度もうなずいた。


 芸能人の名前を検索して、自分の名前が出てきて、それを見られたらと思うと、冷静でなどいられない。


 だからといって、すぐに名前が思い浮かぶほど、そらは命名の才能にあふれているわけでもなかった。


「でも、名前……ですよね?」


「あっ、でも一応他のバーチャルアイドルと被らないか確認だけして、あとはそらちゃんの意見を尊重そんちょうしようと思うから、軽い気持ちで提案してくれてもいいよ」


「はい……ありがとうございます」


 お礼を述べると、そらは視線を下へと向けた。


 そこには、資料の一番上から、そらのことをじっと見つめてくる少女がいた。


 この少女が、自分の分身となって、これから活動を続けていく――そう考えた時、そらの脳裏にひとつの名前が思い浮かんだ。


「あの……『うしろ』って名前じゃ、ダメですか?」


「うしろって、あの前後まえうしろの『後ろ』かい?」


「いえ、そういう意味じゃないですけど、ひらがなで……私、その名前で動画を上げてたので……ダメ、ですか?」


 ――さすがに突飛すぎるだろうか。


 そらが半ば諦め、発言を撤回しようとした瞬間、高木が先に回答する。


「うしろ……羽に……なるほど、そういうのもアリだと思うよ! いや、そらちゃんらしい、いい名前だ!」


 どこかで合点がいったのか、高木は興奮した様子で自身の資料へと名前を書き込んでいく。


 そらは唖然あぜんとした様子でその様を眺めていたが、次第に落ち着きを取り戻していき、自らの分身を改めて見つめた。


 それは、まるで絵筆に絵の具を染み込ませるように、キャラクターに名前を馴染ませていく作業。


 そして、名前と姿の両方を手に入れたキャラクターは、ようやくこの世界に生を受ける。


「これからよろしく――『うしろ』」


「んっ? 何か言ったかい?」


「――いえ、なんでもないです」


 顔を上げた高木に、首を横に振ると、そらは愛おしそうにバーチャルアイドル『うしろ』の姿をで、目を細めるのだった。

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