変わらない惰性

橋本龍太郎

第1話 全音符

 寒空の澄んだ雲一つ無い空のように何処までも広がり、深く覆い被さるような漆黒のキャンバスに夏の大三角形が、僕たちの今までの日常が全て伏線になっていた事を回収するように点と点が結ばれている。

そして、耳を澄ませば昼間の暑さの青臭い草いきれが残り香として音を立てていて、その中に僅かな秋を感じて、僕はまた、今年も心馳せていた。いつか、この心の空虚感を誰かが埋めてくれると思っていた。

 目覚まし時計が起床時間を知らせてくれるよりも前に、歪んだブラインダーの隙間から朝日が僕の眉間付近を差した。

この心地悪い朝日で目を覚ますことが、変な日課になっていた。

毎日の心地悪い起床方法を辞めるには、昼間の活動的な時間帯にブラインダーのネジを絞め直せば解決するいかにも簡単な問題だ。

だけど、僕は大学生だから昼間は授業に出なければならないし、夜はアルバイトがあるからわざわざ、ブラインダーに構ってやれる時間なんて無い。それに、この心地悪い日課が何にもならないが自分のルーティンのようで少しは気に入ってる。そんな事を考えながら、通学の電車の中で僕は疲弊しきったサラリーマンや小学生のくせに、一丁前な顔つきをしている私立の学校に通っている小学生に紛れながら、スマートフォンを見た。

すると、石田からラインが一件送信されてきていた。

「今日、大学何限まで?俺、三限までやから遊ぼうや」

僕は特に用事も無かったので、「今日は四限までやから、その後やったら遊べる」と返信した。すると、ラインを閉じる前に既読が付き「オッケー!じゃあ、17時頃に車で迎えに来て」と返信が来た。

「了解」とだけ僕は返して、さっきと続けて電車に揺られながら大学に向かった。

 僕の通っている大学は、キャンパスライフというものとは程遠い大学生活しか送れない。

入学した当初は、同じ学部の仲の良い男女数名のグループで、色んな場所へ遊びに行きその中の一人の女子を好きになり、付き合っているくらいには思っていた。大学に入学して、四年目の春を迎えた僕は、そんな風に思っていた入学当初の僕を力いっぱいに頬をぶん殴って、早く現実を見せてやりたい。

大学で、何を学んでいるのかと聞かれるとそれと言ってなんと答えて良いかも分からないような学部で、僕は就職活動をしていないし、する気も無い。

なぜなら僕は、シンガーソングライターを目指しているからだ。

特別歌が上手い訳でもないし、ギターの技術が突出している訳でもない。

だが、歌詞には少し自信があった。

僕はこれまでの人生で様々な困難と呼ばれる壁に苛まれてきた。

そういった時いつもその困難に合った歌詞が僕を優しく肯定してくれたし布団の中で震える僕をウォークマンから流れて来るリズムに乗った文字達が安眠させてくれた。

僕は、僕を肯定してくれたミュージシャン達のように誰かを肯定してあげる事の出来る歌を歌いたいのだ。

 父親の友人が車の修理工場を経営しており、そこの車検の代車にする予定だった車を30万円で売ってもらった。

車で30万円とはいえ大学生が直ぐに出せる金額でもなく、僕はバイトを掛け持ちでして、1年前にその車を購入した。

30万円の7年落ちのシルバーのタントは僕にとっては装甲車だった。

僕は大学から帰宅するとその装甲車で約束通り17時に石田を迎えに行った。

「迎えに来させて悪いな」待ってましたという表情を全面に出しながら石田は言った。

「いや、全然ええけど次遊ぶ時はお前が車出せよ」前回も僕が車を出したのだ。

「俺、車持ってないもん。田口はマイカーでいつでも出せるねんからケチなこと言うなよ。」

「石田、自分の車無いけど惠子の車あるやん。それ出してくれや」

「人のオカン名前で呼ぶのやめろ!」石田の母親を名前で呼ぶのは僕たちの中で恒例の軽い挨拶のようになっていた。

石田の家に夜ご飯を食べに行った時に一度だけ本人に「恵子、今日のご飯何?」と言ったことがある。

恵子は、一瞬驚いた表情をしたが何事も無かったかのように「オムライスやで」とだけ教えてくれた。

そのやり取りを見た石田はゲラゲラと笑っていた。

そして、出されたオムライスを見ると僕だけケチャップで『LOVE』と書かれていた。

この時期、恵子は離婚をして間も無い頃だった。もしかしたら、久しぶりに異性から恵子と下の名前で呼ばれて少し女を意識しての行動だったのかもしれない。

そんな事を思い出しながら僕は、ハンドルを握り車を走らせていた。

「なぁ、石田」

「何?」車の窓に流れる黄昏時の国道1号線を眺めながら石田は返答した。

「前さ、石田の家でオムライス食べた時に俺のやつだけLOVEって書いてたのあれ何?」

「恵子が田口に恋したんちゃう?」石田は平気でこいう冗談を言える男なのだ。

「俺に恋したんやったら家帰ったらその気は無いです。弄んでごめんて言うといて」

「お父さん了解」石田の中で恵子は僕と再婚して僕は石田の父親になっているみたいだ。

「誰がお前の父親やねん。そんな事より今日は何するん?

何処に向かうか教えてや」

「今日はなお前喜ぶぞ!合コンセッティングしたったんや。やっと彼女出来るかもしれへんで」僕は人生で一度も彼女が出来たことがなかった。女友達がいない訳でもない。ただ、好きになると何を話していいのかが分からなくなってしまう。

それに加えて彼女が出来たことがないということが、年齢を増すごとにコンプレックスになってしまい女性にどのようにアプローチをかければ良いのかが分からなくなってしまいそれを好きな人に悟られることが怖くなり、恋愛というものから自ら遠ざかっていたのだ。

石田はそんな僕をずっと心配していてくれて、今日合コンをセッティングしてくれたみたいだ。しかし、僕はあまり乗り気ではなかった。

「合コンかぁ、有難いけど俺就職せえへんし金も無いしそんなんで付き合うの相手に悪いねんな」

「何でお前もう付き合える前提でおんねん。付き合ったこと無いくせに偉そうなこと言うなよ」

「お前誰の味方やねん!急に意地悪言うなや」

「怒んなよ。冗談やんか、そういうミュージシャン目指してる事も応援してくれる子もおるって多分」関西人が語尾に多分を付ける時は決まって逆のことを意味するのだ。僕は、あまり期待しないで店に入った。

 居酒屋の暖簾を潜ると、入って直ぐ右の席に華やかな茶髪の女性が三人座っていた。

「美幸ごめん待った?」どうやらこの美幸という女性は石田の大学の友達のようで、美幸が残りの二人の女性を呼んでくれたらしい。

「全然。ウチらも本間さっき着いたとこやで」美幸は、ぱっちりとした大きな目の可愛らしい顔に似つかわしくないハスキーな声をしていた。

「イッシーこの子が彼女出来た事ない田口くん?」美幸はこの一言で僕に嫌われる要素を十二分に満たした。

「どうも、彼女が出来た事ない童貞の田口トモロヲです。よろしくお願いします。」僕は、美幸に出端を折られたので自虐を交えた挨拶をしたが、その場に居た石田すら僕の事を引いていたが、真ん中に座っていたショートカットの女性が暫くして声を出して笑い出した。

「トモロヲくん面白いな。いきなり童貞とか爆弾発言過ぎてめっちゃウケるねんけど」フォローしてくれのだろうが、僕は皮肉られたように感じた。続いて右に座っていた女子も笑いなが質問してきた。

「トモロヲくんっていきなりそんな事言えるのに本間に女子と付き合ったことないん?」『女子と』という言葉に違和感があった。この女子達からは僕がそんなに抽象的に見えていたのだろうか。

その違和感の言葉には触れずに僕はもっと否定しなければいけない事に対して答えた。

「涼太です。トモロヲじゃないです。田口涼太です。」この発言に僕たちのテーブルだけではなく店全体の時間が止まったように感じた。すると、真ん中に座っているショートカットの女子が何事も無かったように自己紹介を始めた。

「私、佐藤咲って言います。咲って呼んで下さい。」

「どうも。」

続けて右に座っていた女子も自己紹介をした。

「ウチは中谷梨沙です。普通に梨沙って呼んでな」普通に梨沙以外にどんな呼び方があるのか気になった。

「ウチは竹村美幸!イッシーの大学の友達な」やはりハスキーな声と顔が合っていない。

「てことで、俺は美幸の同級生の石田優馬!よろしく!」石田はサラッと元気よく二人に挨拶をした。こういう時の石田は本当に尊敬する。

そんな事を思っているとスマホにラインが一件入った。隣に座っている石田からだった。

『帰りは俺が運転するから酒飲んでいいよ! 返信不要』

僕は目で石田にお礼を送った。

「とりあえず、何か飲み物頼もうや!私は芋焼酎!みんなは?」

この美幸の注文で彼女のハスキーな声にやっと納得が付いた。

「ウチはカシスオレンジ」

「私はレモンサワー」

「俺帰り車運転するからジンジャーエールで!」

みんながそれぞれ自分のセンスをひけらかすように勢いよく飲み物を発表した。

「涼太くんは?」美幸が訪ねてきた。

「俺は・・・生中にする。」僕はメニューに一番大きく載せられていたものを注文した。

「すみませーん!」美幸がハスキーな声で店員を呼んだが、そのハスキーな声は他の喧しい客達の賑わいに掻き消されて店員にまでは届かなかった。

すると、石田が息を吸って声に乗せながら勢い良く息を吐き出した。

「すんませーん!!注文良いですか?」店中の賑わいが全て石田を注目した。

店員さんは何回も呼ばれていたと思い小走りで申し訳なさそうに駆け寄ってきた。

「すみません。お待たせしました。」

「えーっと、芋焼酎とカシスとレモンサワーと生とジンジャーエール一つずつお願いします。あと、食べものどうする?」僕は注文が決まっていないのに店員を呼ぶ事は、万引きと同じくらい罪深いことだと思っている。僕の中で美幸の印象はハスキーな声を発するほど悪くなっていった。

「適当に頼んで。」石田がそういうと美幸は本当に目に付いたものから選別することなく適当に注文した。聞き取れるスピードではなかったが、そこは店員さんはプロだった。すらすらとメモに美幸の言った注文をメモ書きしていき、あっさり厨房に帰ってしまった。

「みんな大学生?」僕は教科書に載っているような質問をした。

「そうやで!二人はウチの地元の友達で高校までは三人とも同じやってん」美幸が答えた。僕はお前はもう黙っていた方がいいと思った。

そんなことを思っていると、金髪の若い女性店員がお通しですと、ポテトサラダを人数分運んで来た。

そのポテトサラダを摘みながら梨沙が質問した。

「みんな就職はどうするん?決まってる人おる?ウチはまだ就活中やけどアパレル関係に就けたらいいなと思ってそういう系の面接受けたりしてんねん。」

「ええやん。俺は、消防士に成りたいから今予備校通って勉強してるで、だからとりあえずは公務員試験受からんことにはって感じやな。美幸は結局どうするん?」石田が美幸に質問した。僕はこういった場での元々知り合いでそこに居る他の人間が居ない時間で話が進んでいたかのような質問が流れている時間がとても苦手だ。

「ウチ?ウチは何も決まってない。とりあえず卒論完成させる方が優先やわ。」そのセリフは、美幸の声と明るさにとても合った返答だった。

咲が僕に質問してきた。「涼太くんは就職どうすんの?」僕は今日この合コンに来るにあたって一番気にしていた部分に触れなければならなくなった。そして、どうしても逃れようのない質問をぶつけられた。

「俺は・・・就職考えてないねん・・・」僕は幼い頃から声が小さかった。中学生の頃、そのせいで声が小さい!腹から声を出せと野球部の顧問をしている体育教師に理不尽に怒られたことがあった。僕は腹から声を出して「無理です!」と返答した。しかし、咲からの質問の答えは人生の中で一番小さい声が出た。

美幸が、僕の返答に過剰に反応した。

「ウチと同じやん!とりあえず就職よりも卒論やんな?卒業する方が優先やんな?」僕はこの美幸の発言にお前と一緒にするな!と思った。こっちは明確にやりたい事があって就職しないのだ。もっというとミュージシャンというものに就職するんだと心の中で叫び腹わたが沸くり返りそうになった。

「何で就職考えてないの?やりたい事とかあるん?」咲が続けて質問してきた。

「実はミュージシャンに成りたくて・・・一応ライブハウスとかで歌ってんねん。」僕は誰に対してだが分からないが、少し申し訳なさそうに返答した。

僕のこの返答を聞いて美幸と梨沙が態とらしほどの異常な反応をみせた。

「なんか歌ってや。」美幸が言った。僕は、ミュージシャンを目指しているというと決まってこれを言われる。芸人も芸人ですと言うとよく一発ギャグやって!と言われることが多いらしい。正統のしゃべくり漫才やコント職人として芸を磨いてる人は一発ギャグなど持っている人の方が少ないしギャグを武器としている芸人だってそれにプライドを持ってやっている訳で、飲みの席で容易く自分の仕事をひけらかす訳にはいかないのだ。僕も彼らと同じで、飲みの席で容易く歌ってあげる程の広い心は持っていない。

「俺、シンガーソングライターやからアコギ無いと歌われへんねん。」そう答えると美幸は急に興味が無くなったように「ふーん。」とそっけない態度を取った。

此処ぞとばかりに梨沙が続けて質問してきた。「ウチ音楽めっちゃ聴くで!最近はテイラーとか聴くしアリアナとかも聴くしJ-POPやったら三代目とかも聴く

涼太くんは何聴くん?」この女は人の話を聞いていなかったのだろうか。僕はさっきアコギがないと歌うことが出来ないシンガーソングライターと言ったはずだ。三代目を聴くという発言には虫唾さえ走った。僕が、大人数で歌って踊るようにでも見えたのだろうか。「俺は、最近はアリスとか財津和夫とか海援隊を聴くなあ。」

「誰それ?みんな生きてる人?」僕は愕然とした。谷村新司なんか音楽番組では最近なんかでは、二十代の若い歌手とコラボしていたりもするし、べーやんなんかダウンタウンと絡んでも芸人顔負けのトークをする。たしかに矢沢透と海援隊の中牟田俊男と千葉和臣は知らないかも知れないが、武田鉄矢なんかは何年金八先生として生徒を卒業させてきたと思っているのだ。武田鉄矢がいたから腐ったみかんと呼ばれた不良少年の加藤優は立派な大人になったのだ。そんな人たちを勝手に死んだことにするとはこの女は何様のつもりなのだろうか。

「全員生きてる。」僕はその一言だけを返した。気がつくといつの間にか僕たちのテーブルの上には適当に注文した食べ物やお酒が運ばれて来ていた。僕は全く気付かなかったが、石田や女子達のグラスを見るとお酒の量が減っていることから気づいていなかったのは僕だけのようだった。僕のビールジョッキはフルマラソンを完走した後のような発汗量の水滴が付いていた事を見ると、かなりの時間の経過を物語っていた。僕は温くなったビールを喉に流した。ビールに苦さが増して美味しくなかった。この苦さは、僕がこのテーブルに居ることの居心地の悪さと何かしらの因果関係があるようにも思った。ジョッキを空にすると、先程まで喧しかった店中の騒音が耳に膜がかかったように遠くから聞こえくる祭囃子のようだった。石田と女子達がわいわいと盛り上がっていたが、僕は入店からずっと居る不穏な空気を出している二人の男女のテーブルが気になって仕方がなかった。

「おい!聞いてるか?」石田が大きな声を出した。

「・・・ごめん、全然聞いて無かった。」

「涼太くんもう酔ってるんちゃうん?」僕は三人の内の誰が言ったのかすら分からないほど、自分のいるテーブルに興味が無くなっていた。僕は再び気になるテーブルを見た。すると女の方が啜り泣きをしていた。僕は彼女の事が気になって仕方なくなった。何があって泣いているのだろうか、どんな酷い事を言われたのだろうか。別れ話を持ちかけられたのだろうか。それとも、ナンパをされ初対面にも関わらず、とんでもない卑猥な言葉を言われたのだろうか。僕の妄想が暴走すればする程彼女の向かいに座っている男が憎くて仕方なかった。

「おい!人の話聞けって!」また、石田が大きな声を出した。

「え?」僕は、驚いたふりをした。

「もう涼太くんは放っとこう。」美幸が僕以外の偽りの仲間にそう声をかけた。「トイレ行ってくるわ。」僕は誰からも返事されずにトイレに向かった。店内では、客達の騒音で気付かなかったが、ひと昔前に流行った曲が流れていたことにトイレに入って気がついた。用を足してトイレの外に出ると僕が気になっていたテーブルの彼女がトイレの順番を待っていた。ここの店は男女兼用のトイレだ。すれ違った彼女は鼻を赤くしていた。僕は、大便をしていなかった事が幸いだったと思ったと同時にそんなちっぽけな安堵に満たされた自分が情けないとも思った。僕は、トイレに行く前から気になっていたテーブルを除いてみると彼女が泣く原因になったであろう男の姿は無くなっていた。そのことを確認した僕は何故か少しだけほっとした気持ちになった。そんなことをしていると、トイレを流す音が聞こえてきて慌ててその場を立ち去ろうとしたが、彼女がトイレから出て来た。彼女はまだ、鼻を赤くしたまま不思議そうに僕の方を見ながら謝ってきた。

「私が待ってるの気づいて一度急いで出てくれたんですよね?すみません。」

僕は、先ほどから気になって観察していて涙を流していた女性に急に声を掛けられて少し動揺した。その動揺はトイレの前だったということもあったのかもしれない。「いえ、そんな全然気にしないで下さい。」僕は、彼女を気にしていてトイレの前に居た事はさすがに言えずに、彼女の勘違いをしている気遣いに合わせた。「トイレ空いたけど、行かなくて大丈夫なんですか?」彼女は不思議そうに聞いてきた。「あ、はい。もうしたく無くなったんで」と訳の分からない嘘をついた。「そうですか」そう言うと彼女は男が居なくなったテーブルに戻ろうとした。「彼氏さんなら帰りましたよ!」僕は何を思ったのか勢いよく気持ち悪い事を言ってしまった。彼女は一瞬驚いた表情を見せた後「知ってますよ」と答えた。「・・・何んかすみません。」僕はこの時注文が決まっていないのに店員を呼ぶことよりも重罪なことをしてしまった気がした。「いえ、全然大丈夫です。結構前から私のこと気にかけてくれてましたよね?」彼女が思わぬことを質問してきた。「え?」僕は言葉が出なかった。「さっきから、彼氏と話してる時からちょくちょくこっち見てたので」

「いや、何か店中が賑やかにしてるのに二人の席だけちょっと暗かったから気になってつい」

「私が泣き出してからは、ずっと見てましたよね?」

「すみません。気持ち悪かったですよね?でも、何で泣いてるんか気になってしまったのと、ちょっとだけ心配になって見てました。」僕は彼女の何様のつもりで心配をしていのかと、恥ずかしくなった。

「じゃあ、心配してトイレの前で待っててくれたんですね?優しいですね。」

思わぬ言葉が彼女から帰って来て僕は驚きと嬉々した気分になった。「そういうことにしといて下さい。」僕は、これ以上彼女に気持ち悪い発言をしないようにしようとした。

「多分、大学生ですよね?」

「はい、大学生です。四回生です。」

「やっぱり!なんかまだ、初々しいですもんね。四回生やったら私より四つも歳下なんや。」彼女は僕が自分よりも歳下だと分かると、少し安心したように見えた。タメ口に変わった事でそれを感じ取ることができた。続けて彼女は質問をしてきた。「名前は何ていうの?」普通の質問なのにこの真っ直ぐ過ぎる質問が少しだけ僕の胸を苦しめた。そんな動揺も少しあってか、僕はほんの数分前に気持ち悪い発言はしないと決めたのに、美幸達には伝わらなかった事を言って自分の中の自分以外には到底理解することが出来ない物差しで彼女のことを測った。

「田口です。田口トモロヲって言います。」彼女は一瞬困った顔をしたがクスッと笑いながら「ドキュメンタリーのナレーションしてるん?」と言った。僕は、初めて僕の奇妙な冗談を受け入れてくれた異性が居て心身が説明しきれない安堵で瓦解していくように感じた。

「本間はなんて言うの?」彼女は幼い子供に話す時のように優しく聞いてきた。

「涼太です。」

「涼太くんて言うんかあ。私は、中谷亜美って言います。見ず知らずやのに心配してくれてありがとうね。涼太くんのお友達もこんなにトイレ行って帰ってこうへんかったら心配するよ?早く戻り」亜美は、少し笑みを見せたもののやはりこの僕との空間がまだ少し気持ち悪いと思って僕から早く離れたかったのかもしれない。

その時の僕は、そんな事まで頭が回らず続けて話続けてしまった。

「みんな心配してないと思います。僕が、トイレに行くって言うた時も全員無視やったんで」

「無視されたん?友達じゃないん?」いつの間にか亜美の鼻からは泣いた後の痕跡が消えていた。

「友達は、あそこに居る男だけです。女子は全員初対面です。」

「合コンしてたん?」

「一応合コンしてましたけど、全然楽しくなかったです。」僕はよく知らない亜美に対して愚痴をこぼしていた自分が、気持ち悪かった。僕はよく自分で自分自身の事が制御出来なくなり、その原因が何処にあるのか自分でも見つけ出せる事が出来ずその制御不能から出た言葉が家に帰ってから後悔する事が気がつけば日課のようになっていた。しかし、亜美は初対面にも関わらず僕のその言葉を優しく受け入れてくれた。

「そうか、じゃあこの店にちょっと居づらかったんやなぁ。私と一緖やったんや」詳しくは何があったかは僕には分からなかったけれど、亜美はつい先程の出来事で苦しかったはずなに、初対面の僕に対して自虐を交えて僕を肯定してくれた。それなのに、僕は亜美の悲しみや苦しみを肯定してあげられなかった。

結局人は、一緒に過ごした時間が大事なのかもしれないと思った。もっと前から亜美と出会っていれば、この時彼女を肯定してあげることは出来たのだろうか。

「そろそろ、席戻ります。」僕は、亜美の優しさが怖くなってこの場から逃げることにした。

「うん。そうやね。なんか長く喋ってしまってごめんね。じゃあ」この亜美の最後の「じゃあ」という言葉の後ろに「また」という言葉が付いていなかったことに悶々とした。

「あの・・・連絡先教えて下さい。」僕は、人生で初めて異性にこのような発言をして心臓がはち切れるほど鼓動が早くなっていた。

「なんかの縁やし良いよ。」亜美は僕の鼓動の速さとは裏腹にあさっさりと僕の要求を飲んでくてた。

亜美は脚の細さがよく分かるスキニーのポケットからスマホを取り出してLINEのQRコードを出してくれた。

僕は自分から声を掛けた事なのに亜美の行動に驚いて、慌ててポケットからスマホを取り出そうとしたけれど、僕の身に纏っている衣類のポケットの何処にもスマホが入っていなかった。

僕は、亜美に「ちょっと待ってて下さい」そう言って慌てて自分のテーブルにスマホを取りに戻った。

「長かったな、大丈夫?」と石田が心配してくてた。

僕は、トイレに行く報告を無視された事の仕返しかのように石田の言葉には見向きもせずに、亜美の所へ戻った。

「すみません、お待たせしました。」アルコールが入っていたせいか、トイレからテーブルまでの短い往復であったが息が切れた。もしかしたら、連絡先を自分から聞いていながら自分がスマホを持っていなかった事が羞恥的に感じて息が切れていたのかもしれない。

「そんなに、急がんくてもちゃんと待ってたよ。」亜美は笑いながら言った。

僕は亜美のLINEのQRコードを読み取った。この奇妙な絵面をした四角形で亜美の全ての過去や彼女の性格が理解出来るのではないかと思った。

意外にも連絡先を聞いてからは亜美はあっさり帰ってしまった。

僕が、自分のテーブルに戻ると石田達は帰る準備をしていた。

そして、美幸がお会計を計算して一人当たりの料金を発表した。僕は、この時早く家に帰りたという気持ちが強く募っていたので、美幸の言う事全てに従順に従った。そして、美幸達とは、連絡の交換すらしなかった。

帰りの車の中で亜美との話を全て石田に話したが、その時の僕は伝えようの無い興奮でどこまで鮮明に石田に伝えらたのかは分からない。

でも、石田がセッティングしてくれた合コンを台無しにした事は事実なのにその事には何も言わず、「良い人と連絡先交換できて良かったな!」と喜びながら僕の車を運転して自宅まで送ってくれた。

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