第279話 太古の。
「シャルル殿!」
呼ばれて僕はモノロイと倒れた女の元に向かう。
河の水を掻き分けて進むが、魔力切れの上に片腕を失った僕には辛い。
片腕はミリアに氷漬けにしてもらい止血していたが、既にその氷は溶けきって、僕の赤い血液が流れ出ている。
無限に思えた魔力の奔流は完全に凪いでしまった。
自身の魔力全てを体内から引っ張り出し、外部の魔力を無限に吸収する。そして起動が停止すると同時にそれらの魔力は霧散する。
それが
魔物だった女には微かに意識があった。
モノロイの腕の中で衰弱しきった様子だ。
モノロイの物だろう、裸の女にローブを被せている。
優しいな。
彼らしい。
そう思った。
「その……ワン……ドは……」
女が唐突に口を開いた。
「キルケ……成し……遂げた……のですね……、大儀でした……」
腰に穿いた僕のフーブランシュを、焦点の合わない目で見た女が呟いた。
僕とモノロイは目を合わせる。
……キルケ?
何のことだ……?
「……火の枝の……新たなる
「俺のことはどうでもいい。お前は誰だ? 何故魔物化していた?」
女は呟いた。
「わ……たしは……メ……ディア。……メディア……コル……キス……」
「メディア・コルキス……? シャルル殿、最初の聖女の名が確か……」
「第一次南伐の指揮官か……?」
モノロイは頷き、そして唸った。
「捕えられて虜囚となったか……」
「聖女を魔物化したってのか?」
「我がメディア殿の腕を食べた時に感じたのは聖女の魔力であったか……」
……?
僕が訝しんでいることに、モノロイは気付いたらしい。
「ニコ殿のことよ。ニコ殿の治癒魔法は、我らのように魔物の魔力を取り込んだ者にとっては猛毒。我らは魔物を喰らうことで魔王の魔力に侵される。その対価として強靭な魔力耐性を得るのであるが、聖女の魔力は魔王の魔力とは水と油のような関係なようで……。メディア殿の魔物化した肉を食べた時の感覚。あれは正しく、聖女の魔力であった」
「つまり、この死にかけの女は大昔の聖女で、南伐に失敗して魔王の虜囚になり、魔物化されたってわけか?」
「そんなところであろう。南伐の聖女と言えば、その右腕であった高名な魔導師がいたはず。確かその者の名は──」
「キルケ……アポロドロス……私の……最も……優秀な……愛弟子……」
「……」
女は縋るように溢した。
「……キル……ケは……? 火の杖の……主人殿……キルケ……は……? あ……なたに……杖を……託した……魔……ど……う……師は……」
「ギレン殿が言っておりましたな、火の杖はより強い魔導師へと受け継がれると。……おそらく、聖女殿は自身の最期を悟って弟子に火の杖を託したのであろう。より強い魔導師に火の杖が渡るように……。キルケ・アポロドロスは南伐帰還後に多くの魔導師を殺したことで有名になったことを思えば、おそらくその理由は……」
モノロイは涙した。
漢泣きだ。
だが、気に食わねえ。
こっちは仲間が一人、瀕死の重傷なんだ。
それも、元はと言えばコイツが南伐をしくじった所為だと言えなくもないわけで……。
「……そんな魔導師は知らん。生憎、俺は歴史の授業はサボっちまったからな。それに、俺は友達からこの杖を貰ったんだ、あんたの弟子は誰かに杖を渡したんだろう、あるいは奪われたのか。それは俺じゃない、俺たちにとっては太古の魔導師にだ」
「……そ……う……ですか……あ……あれから……随分……時が経った……の……ですね」
女は焦点の合わない目で僕の右腕を見た。
この女にニコ諸共吹き飛ばされた右腕。
「わた……しの……命……は……尽きようと……していま……す……勝手……な……願いだ……とは……承知で……す……で……すが……どう……か……どうか……魔……王の……討……伐を……人類の……悲願を……」
そう言って、女は呪文を唱えた。
そのスペルは、聞き覚えがある。
聖女のスキル。
その呪文だ。
僕は咄嗟に
ニコを治すのに、これ以上の呪文はない。
魔王が聖女のスキルを得られるのか、果たして使えるのかは分からないし、魔王討伐の聖女のスキルを魔王自身が欲するなんて、何とも皮肉な話でもあるが、それでも僕は彼女からスキルを簒奪する。
再生する右腕がミシミシと耳障りな音を立てるのと同時に、僕の脳内に
──
女は僕の右腕が再生したのを確認してから、不思議そうな眼を向けた。
「……私の……魔法が……失われた? あなた……は
……っ!?
「その……ス……キル……は……怠惰……の化身……が……使う魔法……八つの……奈落と……呼ばれる……邪神……たち……の……スキ……ルで……す」
八つ奈落……。
邪神のスキル……。
なら、
が、そんなことはどうでもいい。
太古の聖女のスキルを、熟練度ごと掻っ払ったんだ、治せない怪我なんて無いはずだ。
……試してみるか。
──
光が聖女を取り込む。
起動自体は問題がない。
しかし効果は出なかった。
両腕を失った聖女は回復しない。
「わ……私は……すで……に……定命を……超えていま……す……
寿命の類には効かないということだろうか?
「モノロイ、その女は死ぬんだろ。……なら、俺はニコのとこに行く。アイツは死なせられない。絶対にな……」
「……う、うむ。……承知した」
モノロイは涙を拭った。
コイツは聖女に共感している。
自分の使命を全うしようとして失敗した、この死にかけの聖女に。
僕にはない優しさだ。
だからこそ、たぶん僕はモノロイのことを気に入っているのだ。
僕は舌打ちしてから女に告げる。
「良かったな、お前の願いは果たされる。……フーブランシュに選ばれた、世界最強の魔導師はこの俺で、俺の標的は南の魔王だ。人類の悲願なんてのはどーだって良いことだが、俺は俺のためにアレを殺さないといけないんでな。お前のことなんざ心底どうでも良いが、
「あ……とは……頼み……ます……今世……最強……の魔導師……に……祝福……を」
カナン大河の下流に向かって沈んで行く夕陽が、衰弱しきった聖女の満足そうな微笑みを照らしていた。
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