02 僕は迷子

 柔らかい雰囲気が一転、重苦しい気まずさに包まれている。


 視線を少し横にずらして、隅っこにエフミシアさんがいるようにして数刻。一瞬、何もかもが止まったように感じられた。


 エフミシアさんの言葉がじわりと迫ってくる。『わざわざ人の街に』。


 わざわざ。


 人の。


 街に。


 これではまるでエフミシアさんが人とは『別』だと言っているようなものだ。


 もっと考えてみろ。僕はどこに向かって逃げていた? 僕が逃げていったのは街から山に向かって、ドードから――いや、あの状況では『人』から逃げていたじゃあないか。


 あの街から逃げた先にあるのは何だ? 山の向こう側にあるのは何だ? 僕たちが目指す向こう側には何が待ち構えている?


 この場所は、どの土地なのか。


 視界の隅でゆらり揺れるものがあった。僕を見てきて、もう一度目をそらして。ややあってから、立ち向かってくるのである。


「その、ノグリさん? ノグリさんって、人じゃないです、よね?」


「逆に聞いていいですか、エフミシアさんは人じゃないのですか」


「私は――いえ、やめておきましょう」


 エフミシアさんはすっと立ち上がると、向かい側の壁にまで後退りした。言葉と振る舞いからエフミシアさんの言いたいことは言われなくても分かった。僕を覗き込む彼女の顔は見る影もなかった。だが見た覚えのある顔つきだった。ドードやグコールたちが似た顔をしていたことがあった。


 あたりを怯えさせていた強力な魔物と退治したときのそれだ。


 エフミシアさんは、僕のことを魔物のように見ている。


「目的はなんですか、どうして人間が『こっち側』に来ているのですか」


 壁際を保ちながら横に少しずつスライドしてゆくエフミシアさん。手が進む先をうろうろして掴むものを探していた。進む先に立てかけてあるのは僕の身長ほどありそうな斧。どう見ても飾り物ではない。戦闘用の斧だった。


 エフミシアは僕を倒す準備を進めていた。


 多分、本来なら僕もここで自分の装備を確認してエフミシアを警戒しなければならなかったのだろう。この時、僕の装備がどこにあるのか全く把握していなかったのだから。けれども、エフミシアさんのあの表情が目の前にうっすらと残っていて、冒険者としての振る舞いができなかった。


「僕は、逃げてきました」


「人間の別の場所に逃げればよかったのに、わざわざどうしてこっち側に『逃げて』きたというのですか。逃げたなんていうのは方便で、攻撃しにきたのではないですか」


「確かに、僕たちにとってドラゴンは攻撃する相手です。ですが、僕は確かに僕の仲間に襲われて追いかけられて、殺されそうになりました。訳も分からず逃げて、気がついたらここにいたのです」


「それをどうやって私に認めさせようと? もしかしたらあなたの仲間がこの近くで控えているなんてことも考えられますが」


「狙っているのは僕のことだと思います。僕の仲間が仮に来たとしても、僕を攻撃してくるはずです。だって見分けがつかなかったですから。ドラゴンは異形の姿だって聞かされてきて、それを信じていましたから。黙っていれば分かりっこありません」


「答えになっていません。自分が狙われているから大丈夫? あなたは気づいているじゃないですか。自分可愛さに私のことを売ることだって考えられるではないですか」


「彼らが僕を狙っているのは明らかなのです。イノセンタをよこせって言ってきて……」


 どうしてこんな目にあってしまうのだろう。訳も分からないまま仲間に裏切られて、訳の分からないまま人間の姿としか思えない人が自身をドラゴンだと言っていて、今にも手にかけるかかけないで考えている。


 さて、ベッドから起こして体を縮こまらせていたところ、エフミシアが斧から少し離れた。口を動かしているところ、何かを口走って入るものの僕には聞こえなかった。ややあってからためらいがちに近づいてくると、両の手で肩を掴まれた。まるで力加減が分かっていない様子だった。


「イノセンタ、と言いましたか」


「エフミシアさんは知っているのですか。僕は聞いたこともなかったですし、何なのかも知らないですし」


「私もほとんど知らないのですが、しかし、そうすると」


 僕の肩を力強くホールドしたまま難しい顔をしている。穏やかな顔つきだったのが険しくなって、それから考え顔になって。


 なんだか忙しない顔の人だなあ、とふいに考えていると。


 急に目を向けてきたものだから、また至近距離で視線が重なってしまった。彼女は思考をためている顔のまま、僕を凝視するのである。

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