コロナ禍の日々のエッセイ
boly
第1話 ひとりのじかん
夜に出歩くことがなくなった。
パレードはやがて終わるしサーカスも時間がくれば終わる。
けれど、街の電気が灯らない暗い夜のつらなりにいつ終わりがやってくるのかは、今のところ誰にもわからない。
日本でいちばん人口の多い街に住んでいた、二十年ぐらい前の話。二十時前に会社を出られそうな日は、誰かを飲みに誘った。たいてい渋谷。それか新宿。ときどき江古田。積もり積もった仕事の話の最後はたいてい、「今度温泉でも行きたいねー」。あの頃、夜は誰かと過ごす時間だった。今では、二十時には星と月を仰いでいる。ビールもそんなに飲まなくなったし、日本酒なんて何年も口にしていない。
出産して義理の親との同居が始まってから、ひとりきりの時間はほぼなくなった。ひとりで夜に出歩くことも、不意の飲酒も、どこかへふらりと出かけることも。気持ちが沈んでいる時は、そうやってできなくなったことばかりを考える。
「夜はやさし」と誰かが歌ったその深夜のひとときだけが、ひとりになれる時間。誰の声もしない。誰の足音も聞こえないし、誰もドアを開けて入ってこようとしない。
「コーヒーは身体を冷やすから、お茶を飲んだら?」と勧められたことがある。やぁ、この前コーヒー豆を一キロ買ったばかりで。というのは本当はウソ。身体に良いものを勧めてくれる人は、私に元気で長生きをしてほしいと考えたり願ったりしてくれているのかな。そんな価値のある人間? それともあなたがやさしいだけですか? 私、調子に乗り過ぎてる?
積もりに積もった緑色の未読が九十三件、スマートフォンの画面に浮かび上がる。グループの皆は誰もが子を持つ母親で、誰もヒマじゃないはずなのに、自分だけがいつまで経っても時間の使い方が上手にならない。
私は自分の家族のことでずっと消えないわだかまりがあって、だから時々創作にも家族関係で悩む登場人物を書いてしまうのかもしれない。
自信があるとかないとか、自分は誰かに求められているとかいないとか。それが、自分がこの世に存在している証明になるとかならないとか。何年、何日、何時間考え続けてもしっくりくる答えなんて絶対に出てくるはずがない。なのに、いつまでも背中のあたりに居座り続けるそれが、ふっとした瞬間に胃や腸やギスギスと音がしそうな骨の間をすり抜けて目の前に姿を現す。目をつぶってもそこにある。
コーヒーはお好き? と聞かれたらもちろんイエス。豆を挽く音も、山のようになった粉に細い湯を注ぐのも、そこから立ち上る香りも、真っ黒な色も、苦くて甘い味も全部好き。理想を言えば、「もちろんイエス」なんてダサい返しじゃなく、花のような笑みを浮かべながら「ええ」と優雅に答えたい。けれど、そうやって返す人はたぶん、私のように人差し指よりも太い持ち手のついたマグでコーヒーを飲んだりしない。
「誕生日はなにが欲しい?」に「コーヒー」と答え続けたお陰でドリップ珈琲をもらう機会が増えた。この頃はそれを飲んだり、いつものお値打ち価格なコーヒーをハンドドリップで丁寧に淹れて飲んだり。ドリップ珈琲の綺麗な包装の内側に残る豆の香りも、カラになったマグを洗った後もいつまでも部屋に残る匂いも好き。真っ暗な夜よりも黒いコーヒーがくれる余韻は、びっくりするほど優しくて、ときどき泣きたくなる。
(2020.04.12)
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