美の贖罪

一田和樹

1

 彼女にとっては生きること自体が贖罪しょくざいだった。美しく生まれた罪を背負って生まれ、死ぬまであがない続けた。自覚もなく、ただ苦しんだ。天は二物を与えず、と言うけど美しさ以外の全てを彼女は剥奪されてこの世に誕生した。驚くほど愚かで、運動神経も鈍く、気が利かない。でも、そんなことは彼女が微笑むと全て消し飛んだ。彼女の笑顔を前にすると、誰もがうっとりと見惚れてしまう。

 あたしが彼女の存在を知ったのは小学三年生の時だ。頭のおかしな男に彼女が連れ去られて事件になった。彼女ほど可愛ければ当然、そういうキチガイも現れるだろう。事件は学校中の噂になり、担任が噂に惑わされないようにと言い、必ず誰か友達と一緒に登下校するようにと言った。そんなことを言われても、あたしと同じ方向に帰る子はいなかったので仕方なく、ひとりで帰るしかなかった。

「お前なんか誰もさらわねえよ」

 クラスの男子はひとりで帰ろうとするあたしをからかった。野蛮で小汚いサル。あたしだって、自分の容姿はわかっている。ひとことで言えば地味だ。眼鏡をかけていることがよけいに地味を引き立たせる。コンタクトレンズにしたいと親に言ったが、子供のするものじゃないと叱られた。

「神尾はバカだけど、可愛いからな」

 男子の言葉を無視して、あたしは教室を出た。

 神尾有美かみお ゆみ、それが彼女の名前だった。隣のクラスだということは事件があって初めて知った。その後、男は逮捕され、彼女は無事に戻ったが、うまくしゃべれなくなっていた。吃音が恥ずかしいのか、自分から口を開くこともなくなった。

 あたしは廊下を歩く時、隣のクラスをのぞいて彼女の姿を確認するようになった。人形のように可愛いという言葉があるけど、そんなものじゃない。人形はしょせん生きていないおもちゃだ。妖精のように、彼女だけ輝いて見えた。でも、彼女はいつもひとりぼっちだった。

 ひとりでない時は、同じクラスの子にいじめられていた。あたしは遠目に見ているだけだったので、よくわからなかったけど、頭が悪いことや、吃音のことをバカにされていたんだろうと思う。

「なにか言えよ」

 そう言って彼女に無理矢理なにを言わせては笑うのだ。あたしは腹が立ったけど、いじめられて泣きそうになっている彼女がすごく愛おしく見えた。彼女には幸福より不幸が似合うと思った。悲惨な運命を背負った美しく愚かな子供。


 やがて小学四年生になってクラス替えがあり、あたしは彼女と同じクラスになった。たまたまあたしは彼女の隣の席になった。

「よろしくね」

 あたしあそう言うと、彼女は少し驚いたような表情を浮かべてから、うんとうなずいた。

「横河、神尾と話しするとバカがうつるぞ」

 そこにふたりの男子たちが割り込んできた。いつも彼女をいじめていた連中だ。あたしはにらみつけた。

「なんだよ。お前もバカの仲間になりたいのか?」

 いじめられるのかもしれないと思うと怖くなった。その時、教室の扉が乱暴に開けられた。ガシャンと音がして、壊れたんじゃないかと思うほどだった。身体の大きな男子がふたり入って来た。見ただけで怖い。ずかずかと彼女の方へ向かって来た。

 そして彼女の席の前で立ち止まると、いじめていたふたりの男子に顔を向けた。

「お前か!? 有美をからかってんのは?」

 ひとりはそう言うと男子が答える前に胸ぐらをつかんで殴りつけた。一発、二発、三発……何度も殴る。最初の一発で鼻血が出て、その後、顔中が血だらけになった。もうひとりが残った男子を蹴飛ばし、倒れたところを蹴りまくった。

 男子のケンカは何度も見たことがあるけど、これはそういうのとは全然違っていた。テレビで観るような容赦ない暴力だ。気がつくと、教室にはたくさんの先生がいた。ケンカしていた四人はそのまま職員室に連れて行かれ、教室は静かになった。何人かの女子が名言っていた。怖かったんだろう。あたしだって泣きそうになった。彼女は沈んだ顔をしていたけど、怖がっているようには見えなかった。


 教室に乱入してきたふたりは狂犬とかキチガイと呼ばれるような乱暴な五年と六年の生徒で彼女のお兄さんだった。結局、教師とふたりの生徒が病院送りになったことで、いじめは終わった。あたしの周りでいじめがなくなったのはよかったけど、ふたりのお兄さんが時々やってきては、「有美と仲良くしてやってくれよ」とあたしに言うのが怖かった。でも、そのおかげであたしは彼女と登下校を一緒にするようになった。家が同じ方向だったのだ。ふたりのお兄さんも一緒なのは怖かったけど、たいていふたりはあたしたちとはあまり話をせず、男同士で話していた。

 あたしと彼女はいつもほとんど無言で並んで歩いていた。話すことがなかったわけじゃなく、言葉を使わなかったのだ。彼女は気になるものを見つけると、あたしの腕を突いて指さした。それであたしは、「きれいな花だね」とか言うと極上の笑みを浮かべる。他愛のないことだったけど、彼女の笑顔を見られるそういう瞬間があたしは好きだった。

 そのうちどちらともなく手をつなぐようになった。

「お前ら、話ししねえのに仲いいんだな」

 とお兄さんたちは不思議そうだった。


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