第19話 策謀の魔王

 広大な玉座の間に、アラタの“轟雷”から放たれた雷撃によって焼け焦げたナマズの匂いが充満していた。


「……終わったのか……?」


 アラタはそう力なくつぶやいて、思わず右手に握りしめたメイス“轟雷”を落としそうになる。先ほどの事もある。まだ気を抜けない。だが目の前の黒焦げのナマズは、もうすでに生命を宿してないように思えた。


「やったなアラタ! どうやら今度こそ完全にこと切れているようだ」


 タイリクオオナマズに近寄って、その絶命を確認したバリスがアラタに微笑みかける。その明るい笑顔に、アラタは肩の力がようやく抜ける。


 既にオーガの血の力は抑制されており、元の健康的な褐色の肌のバリスだ。


「無事のようだなアラタ。しかしなんだあのネーミングセンスは? 他に何かなかったのか?」


 ルノワが茶化すようにアラタに笑いかける。

 そう言いながらも、アラタの事を心配はしているようで、大きな怪我がないか目線で全身くまなくチェックしているようだ。


「うるせえルノワ! それを言うならお前のチャッピーとかいうネーミングセンスの方がどうかしてるぜ」

「ば、馬鹿! あれは可愛いらしい名前だろ!」

「そんなことより、部屋に入ってすぐの声がそいつとは思えん。声の主が他にいるぞ」


 やいやいと言い合っているアラタ達を制止するように、バリスが冷静な口調で告げた。


 バリスに言われて気が付いた。確かにこの部屋に入って響いた声の主はまだ判明していない。目の前で黒焦げになっているナマズが発していた、という線は選択肢として無いだろう。


 先ほどの戦闘にしても行動原理は野生動物のそれで、とても理性を感じられるものではなかった。響いていた声は威厳と理性を感じる低い声だった。


「どうすんだよ。これからまた一戦となるときついぞ……」


 アラタの切り札ともいえるメイス“轟雷”の魔力開放機能は使ってしまった。ルノワの魔力残存量からすると、この場での再補給は難しいだろう。つまりあの強力なナマズの魔獣を従えていたであろう声の主ともし戦闘になったとしたら、アラタは切り札を使えない。


 アラタの言にバリスも頷いて賛同する。オーガの血の力の覚醒は、身体の変化を伴うため強烈に体力を消耗する。日々鍛えているバリスをもってしても、もう一戦強敵と戦うとなると厳しいだろう。


 そんな二人をよそに、ルノワはそう心配するなと余裕の笑みで答える。


「もう声の主には見当がついている。安心しろ、今度は大丈夫だ」


 そう言ってルノワは周囲を軽く周囲を見渡すと、やがて目星をつけたのか視線を一点に定めた。

 視線の先には石の玉座があった。アラタの目には何者も映らないが、何かいるのか。


「いいかげん出てきたらどうだ、シルドベルト! いるのだろう? 『影の腕よ』!」


 ルノワがそう唱えると、黒い影で形成された腕が伸びて、玉座の裏に隠れていたのだろう、ある生き物を引っ張り出した。


「離せ、無礼者! ――何故我が高貴なる名を知っている?」


 影の腕につまみ持たれ、ジタバタと抗いながら喋る生き物は、まさしくこの玉座の間に入って最初に響いた、威厳を感じる声の持ち主であった。


「この私に無礼者とは偉くなったものだな、シルドベルト。これほど近くにいるのにまだ私がわからんか?」

「貴様こそ偉そうな物言いだな! 吾輩を誰だと……ややっ! そのお姿、その魔力はまさかブラゾ様!?」

「――今はルノワだ。やれやれやっと気が付いたか、策謀の魔王シルドベルト。あやうく貴様に殺されるところであったぞ? しかし、その姿は何だ?」


 ルノワの睨みつける相手――策謀の魔王シルドベルトと彼女は言っていた――は、その名に似合わず小動物、アラタの世界で言うところのコツメカワウソに酷似していた。


 睨まれたシルドベルトはルノワの闇の神としての正体を承知しているのであろう、慌てふためいて自己弁護する。


「そ、それは申し訳ありませぬルノワ様! ご存じのように離れた場所に隠れておりましたので分かりませなんだ。この姿については私も分かりませぬ。この姿で一年程前に目覚めたら五百年の時が経っており、一先ずこのティウスのダンジョンに身を隠して力を蓄えておった次第……」

「ほう……。随分と愛らしい姿になったものだな。かつてのお前と比べると、驚くべき変化だぞ? 私たちにけしかけたあいつはなんだ?」

「あっ……あのタイリクオオナマズは元からここを縄張りとしておりました。おそらくかつてセルドルフ様が支配されていたものの子孫かと……。それを吾輩に残された魔力で誘導していただけでして……。――しかしルノワ様こそどうしたことで?」

「私も似たようなものだ。お前にはまだ聞きたいことがある、私と共に来てもらうぞ」

「はっ! この策謀の魔王シルドベルト、五百年前と変わらぬ忠誠をお約束いたします」


 シルドベルトはそのコツメカワウソの身体で最敬礼して見せた。アラタの元の世界にいたのなら、動物面白動画としてネットにアップされていそうだ。


「おいルノワ、知り合いなのは分かったが、そろそろ俺達にも説明してくれないか?」

「そのカワウソは喋るのか? もしかしなくても魔獣の類か?」


 蚊帳の外で眺めていたアラタ達は、ルノワと小動物の会話が一段落したのを見計らって声を掛けた。アラタは二人の会話から、五百年前関係の知り合いだと察するが、まるで理解の追い付いていないバリスはただただ混乱するだけであった。


「ああ、すまないな。こいつはシルドベルト、私の古い知り合いだ。今はこんななりだが強力な魔族だぞ。シルドベルト、こちらの二人は私の冒険者仲間だ」


「冒険者仲間!? 従者ではないのですか? ――いやいや失敬。吾輩の名は策謀の魔王シルドベルト・シャルル・ド・モンタギュー、大魔王セルドルフ様に仕える十六魔将が一人にして、偉大なる大魔王軍の参謀。闇の頭脳、深淵の智謀を持つ軍師といえば吾輩のことだ。我が高貴なる名は本来もっと長いのだが、人間種にはこれくらいがよかろう」


 えっへんと偉そうに胸を張って答えるカワウソ。そのどこにも魔王という単語と結びつくことが無いようにアラタは感じた。


「大魔王セルドルフ配下の十六魔将!? 五百年前に邪神ごと討滅されたというあれか? まさかとは思うがルノワ、お前は本当に神話に伝わる闇の神ブラゾなのか……?」


 玉座の間に、バリスの驚きの声がこだました。

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