第3話 月夜の魔法使い

 ルノワが開いた壁の奥は、これまた石の通路になっていたが、十分も歩かずに外に出ることができた。アラタは、結構早足のルノワにおいていかれないように精一杯だ。どうやら彼女には、怪我人をいたわる心は希薄らしい。


 遺跡から出た場所は森の開けた場所だった。空を見上げると大きな満月と、満点の星空が夜空に輝いて見えた。夜風が頬に当たり気持ちが良い。


「ありがとうルノワ。ここがどこだかわかるか? 俺は早く家に帰ろうと思うんだが……」


 一時は万事休すかとも思ったが、なんとか脱出できたことに安堵したアラタは、恩人であるルノワに微笑みながら問いかけた。 遺跡の中でも美しいと思ったが、月光に照らされて輝く彼女はよりいっそう神秘的で美しく見えた。


「ここがどこだかは星の位置でだいたいはわかるが……。家に帰る、か」


 曖昧な反応にどういう意味か尋ねようとしたとき、アラタにとって聞きたくなかった、そしてすっかり失念していた「グルル」という低い唸り声が周囲の林から聞こえた。


 茂みからゆっくりと姿を現したのは、やはり先ほどの獣だった。あれからいくらか時間は経っただろうが、こちらを狙う凶悪な顔に変わりはないようだ。先刻と同じく3匹が、アラタとルノワの取り囲むように近づいてきた。


「アラタそういえばお前、狼に追われていたのどうのと言っていたな」


 現代日本で狼に襲われたと聞いても、信じないのも無理はない。だが、現実に今こうやってアラタ達を襲おうと存在しているのだ。目の前の現実をまるで理解していないのか、どこか能天気な口調でルノワはそう言った。


「逃げてくれルノワ! 俺がおとりになるから!」


 決して格好つけたわけではない。元はといえば自分を追いかけまわしていた獣達だ。せめて自分を助けてくれようとした隣の女の子だけは逃がそうと、アラタは心の中で決心した。


 だがルノワはそんなアラタの決心を知ってか知らずか、返答することもなく、あまつさえ危険な獣の方にゆっくりと歩みだした。


「このような道理を知らぬ獣ごときから逃げる必要がどこにある……?」


 ゆっくりとアラタの方を振り向いた。月の光に照らされて、怪しい美しさを放つルノワの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。


「危ねえルノワ! あいつら飛び掛かってくるぞ!!」


 アラタが叫んだ瞬間には、獣達は迂闊な獲物であるルノワに向けて飛び掛かっていた。凶悪な牙と爪に彼女の白磁のような肌が切り裂かれるという、嫌な想像がアラタの頭をよぎった。


「――獣ごときが私に触れるな! 『かげつらぬけ』!」


 ルノワは力強い叫びと共に腕を交差させた。それが彼女が何らかの異能の力を使った瞬間だったのであろう。


 アラタの目には空中で獣たちが止まったように見えた。いや、静止したのではない。地面から延びる黒い影のようなものに貫かれ、絶命していた。


 貫かれぴくぴくと痙攣していた獣たちであったが、黒い影がさっとかき消えると、ドサリと音を立てて地面に落ちた。


 静寂に包まれた森の中、まったく思考の追い付いていないアラタはようやく言葉を絞り出した。


「……ルノワ、お前はいったい……」


 何者なのか? 何をしたのか? 先ほど見た非現実的な光景は何なのか? 疑問が頭の中でグルグルと渦巻くアラタが続きを告げる前に、ルノワは口を開いた。


「私は神だよ。お前たち人間の言うところの女神様だ」


 神? 自身を女神様と言ったかこの女は? 美しいとかを表す比喩表現の女神という言葉ではないだろうと、何となく直感した。


 余裕めいた笑みを浮かべながらもその眼差しは真剣で、決して冗談やからかいで言っているような雰囲気ではなかった。


「私はこのルミナス大陸で信仰される神の一柱、夜と影、陰謀と静寂を司る闇の女神だ。ブラゾの方が通りはいいかな? 私はブラゾという呼び名は可愛くなくて嫌っているがね」


 まあアラタはどちらの名も聞いたことないだろがね、とルノワは首をすくめながら語った。


 闇の神? ルミナス大陸? ブラゾ? 全く訳のわからない単語がアラタの頭を余計に混乱させた。仮に“このルミナス大陸”という彼女の言葉が真実であるならば、今この場所はアラタの知る世界とは違うということだ。いっそそういうことならば、先ほどの非現実的な光景も説明がついた。


「……じゃあつまり、ここは俺の元居た世界とは違う異世界で、ルノワは魔法みたいな力を使ったってことか?」


 おそるおそる尋ねるアラタに、ルノワはにっこりとほほ笑んだ。


「理解が早くて助かるよ、アラタ」


 アラタも漫画やアニメで異世界や、それに類する不思議な世界に主人公が迷い込むなり転生するなりする作品をみたことがあった。それらの作品の主人公のように、剣と魔法の世界で大活躍するという妄想もしたことがあった。


 だが、実際先ほどの森の中で獣に追い回されるという恐ろしい体験をした今となっては、一刻も早く家に帰りたいという感情以外湧いてこなかった。


「ルノワが神様だって言うのなら早く俺を家に帰してくれよ。明日から夏休みになるんだよ。友達と遊ぶ約束だってしているし、何より家族が心配していると思うんだ」


「悪いがそれは無理な相談だ。私の調子がもど――ッ! どうやら説明は後のようだな」


 ルノワが答えようとしたその時、茂みから大きな影が彼女に飛びついた。それをすんでのところで避けた後、ゴロゴロと草の上を転がった。


「……やってくれる。他に仲間がいたか」


 ルノワはすぐに起き上がると、ローブについた草を払いながらつぶやいた。

 襲撃してきた大きな影はやはり獣であった。それも二本足で立っている化け物だ。

 

 ――先ほどの奴らよりも間違いなく大きい!

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