Main Story (1)

視点担当:チアキ

状況説明:日常コメディパート。四人の食事風景と〈エマヌエルの天使と悪魔〉としてチアキに気付かれずに水面下で対立するアスカとハイネ。

ブラコン兄貴VSヒロインのコメディ。





 いつの間にか見慣れてしまった四人の食事風景だが、今日はいつもと少しだけ違っていた。否、様子が違っていたのはアスカだけ。

 食卓に出されたハンバーグを乗せた皿を見たアスカが口の端を盛大にひきつらせながら低い声で問いかけてくる。


「……なんだ、これは」

「ハンバーグ」


 答えたのは本日の料理担当でありハンバーグの製作者であるチアキだった。


「そうではなく、このハンバーグ横にある物体はなんだと聞いている」


 そう端然とした声で彼女が示したのはハンバーグに添えられたニンジンとコーンのグラッセだった。


「何ってニンジンだけど。あとコーン」

「ニンジン……だと……?」


 露骨に嫌そうな顔をするアスカ。頬が引きつって不随意に震えている。

 その反応にチアキは聞き返した。


「……もしかして嫌いなの?」

「嫌いだ」


 即答だった。この世のありとあらゆる嫌悪を煮詰めて凝縮したような声である。

 チアキは呆れたように聞き返す。


「なんでまた。子供じゃあるまいし」

「なんでも何もあるか。嫌いなのに理由が必要か?」

「名言っぽく聞こえるけど、間違いなく迷う方の迷言だからな? とにかく好きだろうが嫌いだろうが、人の作ったご飯はきちんと食べろよ」


 母親っぽい口調でそう言うと、アスカは眉根を寄せて閉口した。大人しくフォークを動かしながら黙々と食事を続ける。

 が、抵抗はやめなかった。見れば、アスカはニンジンをよけて拾いにくいコーンだけをせっせと食べている。


「……アスカ」


 その幼稚な仕草に呆れるべきか、怒るべきか。

 と、不意に隣のセラの皿が目に入る。ハンバーグの脇には綺麗に積み上がった鮮やかなオレンジ色――もといニンジン。一緒にあえたはずのコーンは一粒もなくなっていた。


「……セラ」


 ここにもいたか。声には出さず、心の中でそうつぶやく。


 チアキの呆れにも似た声を聞いたセラが、びくっ、と反応する。叱られると思ったのだろう。おそるおそるチアキの顔色をうかがっている。どこかすがるような、彼女のいたいけな瞳を見るとついつい甘やかしたくなるが、アスカの手前、そういうわけにもいかない。

 たとえセラが、アスカやハイネより圧倒的に手間がかからなくて、大人しくて、聞きわけが良い子どもだとしても、これだけは譲るわけにはいかないのだ。心を鬼にして、セラの困ったような顔をじっと見つめる。あまり怖い顔をすると可哀想なので、少しだけむっとする程度にとどめる。


 セラもチアキの言いたいことを察したのだろう。彼女は何度か逡巡したのち、フォークにニンジンを突き刺した。それを震える手で口元まで運ぶ。まるで目の前に立ちはだかる巨大な強敵と向き合うような緊張感。

 セラは強敵を前に、迷い、悩み、だが、意を決したようそれを口に入れた。目をぎゅっとつぶって一生懸命、口を動かしてニンジンを噛んでいる。


 これみよがしに、チアキはアスカに言った。


「ほーら、同じようにニンジンが嫌いなセラはこんなにがんばってニンジンを食べてるのに。年上のアスカがお手本見せなくてどうするんだよ?」


 いい子、いい子、というようにセラの頭をなでてやる。頭をなでられたのは嬉しいらしいが、嫌いなニンジンと口の中で戦うのは辛いのだろう。嬉しさの中に複雑な感情を混じらせるセラ。


 それを見たアスカが「うっ」と口ごもる。が、それでも反論してきた。残念ながら中身のない反論だったが。


「嫌いなものは嫌いなんだ! 嫌いなものを嫌いと言って何が悪い!」

「開き直ればいいってもんじゃないだろ!?」


 すかさず言い返す。見た目チアキと似たような歳のくせして、中身は子供か。もしくはセラより年下なのかと言いたくなる。


「まったく、ニンジンが嫌いだなんてアスカもまだまだ子供だねぇ」


 のほほんとした口調で、のんびりとニンジンを食べるハイネ。それを見たアスカが、ものすごく納得がいかないと言った風にハイネを半眼でにらむ。


「……なぜ、あなたは普通にニンジンを食べている」

「そりゃ食べるだろ。ニンジンぐらい」


 とハイネの代わりに答えたのはチアキだった。

 しかし、アスカはチアキを無視してハイネをにらんでいる。


「なにそのむちゃくちゃな理論」


 訳のわからないことを言い出すアスカにそう突っ込む。


「って、もしかしてハイネもニンジン嫌いだったりするのか?」


 チアキの問いかけにハイネの手がゆっくりと止まる。彼は最後のニンジンを食べ終えてから、少しだけ情けないような表情で苦笑した。


「……まぁ、ね」


 今まで一度たりともそんなそぶりを見せなかっただけに意外だ。それよりも、なんでも好きと言うような顔で、ご飯をおいしいと食べるハイネに嫌いなものがあったというのが驚きだ。


「じゃあ、なんで今まで普通に食べてたんだよ」

「いや、嫌いなものでも『好き』と思って食べていれば、いつか『好き』になるんじゃないかなーって」

「それは自分を誤魔化しているんだ騙しているんだ偽っているんだー!」


 と喚き散らしながらハイネを指差すアスカ。食事中に行儀が悪い。


「嫌いなものを好きだと偽って食べる。いいよね、そういうのも。ま、そういうの関係なく、嫌いなものを好きだと偽る必要も山ほどあるわけだけど」


 やんわりと、そう言い返すハイネ。

 アスカは冷ややかに笑った。


「ほう、つまりは笑顔の下で相手を嫌悪しているということもあるというわけだ」

「人間関係において無用なトラブルを避けるための当然の処世術だと思うけど。本音を言うことだけが全てじゃないよ、アスカ」


 どこかたしなめるような口調のハイネに、アスカはますます口元をゆがめる。


「そうやって、上っ面だけ取り繕って心の中では疑心暗鬼を肥え太らせる。いかにもあなたらしい」

「嫌悪感を露骨にして敵対心煽るのもどうかと思うけど。俺はこれでも平和主義者のつもりだよ? 少なくとも、アスカよりはよほど」


 なにやら火花のようなものを散らしながら対峙する二人。むきになっているのはアスカだけで、ハイネはいつも通りのように見えるが。


 と、唐突に二人はチアキの方を向いた。全く同じタイミングで問うてくる。


「ちーちゃんはどう思う?」

「チアキはどう思う?」


 そこで、なぜこちらに話題を振るのか。

 そもそも、二人は一体何を張り合っているのやら。

 いつも通り爽やかに微笑む兄と、やたらと真面目な顔をする少女を交互に見比べ、チアキはしぶしぶと言った風に口を開く。第三者である自分が発言しないとこの場は収まりそうにない。逆を言えば、チアキが適当に何か言えば丸く収まるともいう。


「いや、よくわからないが、嫌いなものを嫌いって言って突っぱねるのもどうかと思うけど、嫌いなものを無理に好きと偽って食べるのもどうかと思う」


 正直な意見のつもりだったのだが。

 何が問題だったのだろう。

 興ざめだという風にアスカがハイネに絡むのをやめて残りの食事に手をつけ、ハイネもどこか冷めた風に玉ねぎのスープをスプーンにすくって口に運んでいた。


 どちらの味方もしないということは、どちらも味方にならないということだが、それにしたところで、このあからさまな態度はないだろう。

 色々言いたいことはあるが、ひとまず決着がついたようなのでこれ以上言うのは差し控える。ここは自分が大人になるべきだ。


 するとハイネがこんなことを言い出した。


「どうやら今回は引き分けのようだね」

「え、いつの間にお前ら勝負してたの?」


 思わず顔を上げると、アスカが当たり前のように応じた。


「そのようだな」

「しかもアスカもその勝負受けてたの?」


 あずかり知らぬところで何やら話が進んでいるらしい。いつの間にそこまで仲良くなっていたのだろう。


 アスカは心底残念そうに首を横に振った。


「今度こそ、あなたの吠え面が拝めると思ったのだがな」

「あ、それはちょっと見てみたい」


 うっかりチアキが本音を漏らすと、ハイネが聞き捨てならないという風に食いついてくる。


「ちょっと、ちーちゃんはどっちの味方なわけ?」

「別にどっちの味方ってわけじゃないけど……」


 その発言の何がまずかったのか、今度はアスカの機嫌が明らかに悪くなる。目は口ほどにものを語るというが、全くもってしてその通りである。


「……言いたいことあるなら言えば?」

「では遠慮なく。私はあなたのそういうところが嫌いだ」


 吐き捨てるでもなく、侮蔑を込めるでもなく、ただ端然と言い切る。特別な意味も深い意味もないようだが、ここまで真っ直ぐに「嫌い」と言われていい気分なわけがない。


 これで彼女に「嫌い」と告白されるのは何度目だろう。どうせなら笑顔で可愛く「好き」と言ってくれないかと思う。これが照れ隠しだったら、まだ可愛げがあるのだが、時として真冬に吹き荒ぶ吹雪のように冷厳とした声は紛れもない本音であることを意味している。


 かと思えば、ごくまれに笑顔で「好きだ」と告白してくる時もあるから、本当に困る。


 以前、四人でアイスクリーム屋に行った時のことだ。

 オレンジシャーベットかチーズケーキ味かで悩むセラを見たチアキは、チーズケーキ味を買って、オレンジシャーベット味を買ったセラと半分個したのだ。誰だって出来るような、取るに足りない、いわゆる「親切」というやつだ。そう言われるとむず痒いが。別にチアキは自分のしたことを親切だと思っていない。例え相手がセラでなかったとしても、そのぐらい当たり前だと思うからだ。


 それを見たアスカは、見惚れるような優しい笑顔で「あなたのそういうところは好きだ」と告白してきたのだ。アスカに他意がないとはいえ、あの表情は反則だ。月並みで陳腐ではあるが、ドキッとした。


 この調子で、最近は彼女に振り回されっぱなしだ。もう好きか嫌いかどっちかにして欲しい。


 そんなチアキの胸中を露も知らないアスカはハイネに問いかける。


「それで、これで通算何回目だ?」

「俺の視点でこれで37勝35敗27引き分けかな」


 さらりと言い放つハイネ。

 チアキは盛大にむせた。思わず突っ込む。


「いつの間にどんだけ勝負してんだよ! っていうかハイネもカウントしてたのかよ!」


 だが、チアキの突っ込みを無視して、アスカは向かいに座るハイネに至極真面目な顏をして反論する。


「待て。なぜ私の方が負けている。もしやプライベートブランドと造花の件をカウントし忘れているのではないか?」

「え、あれは一つの会話でまとめて俺の一勝だろう?」

「だからそれ何の勝負だよ!?」


 が、二人は聞いていない。アスカは頑なに首を横に振った。


「訂正を求める。私はあの会話の中で少なくとも造花の件については勝利を収めているはずだ。よって、36勝36敗27引き分けに修正してもらおうか」

「ええ? それはさすがにみみっちいよアスカ」

「どの口がそれをほざく。どうせあなたのことだから鍋と鍋のふたの件もカウントしているんだろう」

「え、お前ら一体何やってんの? 本気で何やってんの?」


 うろたえたように説明を求める。話がまるで見えない。

 そんなチアキの質問に、急に二人は同時に腕を組んで悩み始めた。真面目なアスカはともかくとして、ハイネがこのような表情をするのは珍しい。何やら深い訳がありそうだ。


 やがて、答えてきたのはハイネだった。


「うーん……あえて言うなら、どっちがよりちーちゃんに好きになってもらえるか、かな?」


 非常にどうでもいい勝負内容だった。


「なんだよそれ」


 半眼で突っ込む。まるで訳が分からない。


「ちなみに、現時点ではちーちゃんは俺とアスカのどっちが好き?」


 ハイネの問いかけは、期待というより単なる興味本位のようだった。

 なぜか気にした風にアスカがチアキを見ている。しょっちゅう「嫌い」と言うくせにこちらがどう思っているのかは気になるらしい。果てしなく矛盾だ。


 チアキはしばし考え、悩み。


「……セラがいいかな」


 隣に座るセラを見て一言。セラが自らを指差し、不思議そうな顔をして首をかしげた。

 ハイネが拍子抜けしたように肩を落とした。アスカが「ざまあみろ」と言うように素知らぬ顔で玉ねぎスープの残りを飲んでいた。

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