愛煙家

かけ出し

愛煙家の話

私は愛煙家だ。

なにかの節目にタバコを吸う…この行為に無常な喜びを感じる。誰かを待つとき、食後… 何かのテレビドラマで俳優が言っていたが、タバコは情緒的な気分にさせる偉大な発見であると私は思う。

しかし、これだけタバコを愛してはいるが、ヘビースモーカーと言うわけではない。一日が煙に消えたこともないし、どうしようもないほど喫煙欲に襲われることもない。喫煙依存度診断でも中毒ではなかった。それに、ポイ捨てや、吸ってはいけないところでの喫煙も必ずしない。ポリシーなのだ。

常識とマナーを遵守し、節度を守って楽しむ善良な愛煙家と呼べると私は自負している。


ところで私はいわゆる“芸術家”というものを生業としている。ありがたい事に私の作品は世間から好評価を貰っているらしく、新聞や雑誌に取り上げられることも少なくない。

そういえば、最近で私の作品を模倣した贋作を作成する不埒な輩も出てきており、私としても遺憾で頭を悩ませている。

…話が逸れたが、私が作り出す芸術に欠かせないアイテムがやはりタバコなのだ。

新たな作品の案を考えているとき。プロットを思案しているとき…必ず私のそばにはこのタバコがある。

そして最もタバコの味を極限まで引き上げてくれるときが、作品を作り上げた時の一服なのである。



先日街をブラブラと歩いていると、路地のチョット入ったところに私好みの喫煙所を発見した。こんなステキな場所に喫煙所があるのに、灰皿はほとんど使われていないらしく、人も寄り付かない。ここなら間違いなく過去最高の作品を思いつくに違いない…そう思った私はそれ以来その喫煙所を愛用するようになった。

そのいかにも世間から隔絶された、孤独の権化のような喫煙所では、驚くほど作品のアイデアが浮かび、私は日々楽しく過ごしていた。しかし、ひとつ気になることはその灰皿には決まってフィルターが溶けるまで吸われたピースのシケモクがひとつ置いてある事だった。そして次に来るとき灰皿はピカピカになっており、それでもやっぱりシケモクがひとつ鎮座しているのだった。

しかし、肝心の喫煙者である当人を見たことはなく、作品を考える合間にその人について色々思案するのも楽しかった。

私の経験上ピースを吸う人に悪い人はいない。きっとこんなステキな喫煙所にひとつだけシケモクを置いていくその人は、私と同じく芸術家で、情緒的な人間なんだろう。

いつしか私はいつかその人とこの喫煙所で話をしてみたいと思うまでになっていた。

私自身人と話をするのは得意ではないのだが…



その日はほどなくして訪れた。

それは私がこの世で一番幸せを感じる時…この喫煙所で練り上げた作品を完成させ、無常の一服をしている時だった。

路地の奥からコツコツと音を立てて歩いてくる者…それこそがピースの持ち主その人だった。黒いコートを羽織り、チョット深めの帽子を被った奇妙な格好をした男だった。私の予想とは違い、意外にも歳は若く見えた。

彼は喫煙所に着くと私をまじまじとみたあと、ピースに火をつけ、大きく息を吐いた。

「こんなところに人が居るとは珍しい。あなたもこの素晴らしい喫煙所を見つけられたのですね。」

とつぜん話しかけられて面食らった私は、適当に相槌を打った。

かねてより興味のあった人物から思いがけず会話の機会を手にしたのに、なんてつまらない返事をしてしまったのだとちょっと後悔した。

「こんな素晴らしい喫煙所を見つけ、こんないい表情でタバコを吸うとは、私の見立てだとあなたは芸術家やとても情緒のある人ではないだろか。」

私がその男に抱いていた感情と同じことを言ってくれるとは。驚きの後嬉しくなって、その通りだと答えた。

「やっぱりそうだ。きっと素晴らしい作品を世に輩出していらっしゃる公明な方なんだろう。」

新聞や雑誌に評価されるより、なぜかこの男に褒められたことの方が嬉しく、珍しく私は笑顔になった。

「私もそうなのです。なにか考え事があるときはタバコを手放せませんし、吸っている間とても情緒的な気持ちになる。それに食後の一服は何者にも変えがたい…

しかし、最近不穏な情報を入手したのですよ。」

思いがけない一言に私はついどんな事かと問うた。

「あなたはタバコを吸うとき、チョット忘れっぽくなったりうっかりしたりすることはないでしょうか?例えばライターを忘れてその度に買ったり、あるいはタバコをそのまま洗濯してしまったり…」

思い当たる節がある。ついついライターを忘れてしまうため、気づけば部屋がライターの山になってしまったこともよくある。タバコを洗濯したことはないが…

「そうですか。やはりあなたも…

でも洗濯の経験がないということは症状は軽いらしい。他にもタバコを吸うと急に催したり、特別なこだわりを持ったりしないだろうか?例えば…灰の置き方に変なこだわりを持ったり…」

今まで気にしたことは無かったが、確かにその男の言う通り、タバコを吸うと急にトイレに行きたくなる事がよくある。

灰の置き方にしてもそうだ。私は出来るだけ灰をタバコに残さずに吸うのが好みだった。

そのように伝えるとその男は満足そうに…そして少し憂いを持って頷いた。

「かく言う私も灰の置き方にはチョットこだわりがありまして… 灰は出来るだけタバコにくっつけて吸う。タバコ一本吸いきった時に灰を一つも落とさない格好が私のこだわりです。

…話が逸れてしまいましたね。それでタバコの不穏な話というのは、このタバコに人を洗脳し、思いのまま動かすことのできる薬品が刷り込まれているという話なのです。」

あまりに突然なその言葉に、私は驚いた。

しかし同時にその薬品への興味もふつふつと湧いてきた。にわかには信じがたいが、のちの作品にその薬品の話が使えるかもしれない。私はその話についてもっと詳しく聞かせて欲しいと伝えた。

「あなたのような芸術家で情緒的な人に興味を持っていただけて誠に光栄です。それでは話の続きを…

薬品を刷り込むといってもタバコ会社がそう言ったものを意図的に刷り込んでいるわけではありません。国が関係しているのです。もっと言えば、国というより世界的な機関なのかも知れません… 彼らが意のままに私たちを操るために、私たち喫煙者は知らず知らずのうちに投与されているのです。

例えば先に話した忘れっぽくなるという作用について…これはその人の使命や目標…そういった人間に生まれ持ったアイデンティティを喪失させるための作用なのです。タバコを吸うことで脳みその前頭葉がトロけてそういった作用が生まれるのです。ただこの機能には悪い面ばかりではございません。確かに前頭葉の左脳部分はトロけていきますが、右脳の部分はかなり発達してくるのです。タバコを吸った時に情緒的な雰囲気になるのはこのためです。

タバコを吸うと催してしまうのは、脳みその我慢するという機能が削がれているためです。これも左脳がトロけてくるせいで発現するのですが、元来人は食事をして数分すると便に変わるものなのです。医者や科学者は消化について云々言っているようですが、それは薬品の作用をごまかすため、世間に刷り込んだ情報なのです。しかし、いちいちトイレに駆け込んでいては、生活ができない。だからこそ生物は便を我慢するように進化してきたのです。これは人間に限らず動物全体に言えます。下等生物がすぐに便を排出するのは脳みそが小さく、進化する事ができなかったからなのです。

この作用がもっと聞いてくると、人間は理知的な部分を失い、動物だった頃を思い出す…つまり野生に回帰していくのです。タバコを凶弾する人々が口々に喫煙者は怒りっぽいと言いますが、それはあながち間違っていないのです… 洗濯するのにも、野生の動物はイチイチポケットの中身を確認したりしないでしょう?する必要がないからです。このようにタバコを吸うと左脳がトロけて理論的に物事を考えられなくなるのです。

それに変なこだわりを持つのはこの薬品の真骨頂で、脳みその考える能力を一つの思考に固定させ、他のことについて考えられなくさせるのです。喫煙者や喫煙所を見かけると無性にタバコを吸いたくなったりしませんか?それはこの作用が大きく関係しており、文字通り思考を固定させてしまうのです。

人によって灰の置き方が変わったり、吸いかたがまちまちなところを見ると、機関はまだこの作用を完璧に操ることは出来ていないようですが…」

ここまでを早口で言い終えた男はタバコを一口、うまそうに深々と吸い込んだ。

私も同じようにタバコを一口ふかして大きく息を吐いた。私がこよなく愛するタバコにそんな秘密が隠されていたとは…しかしその話は突拍子すぎて俄かには信じがたい。普通の人なら一笑して流してしまうか、ギョッとして離れていってしまうかも知れない。

だが、私にはその男が嘘を言っているようにも見えないし、何かそう信じさせる凄みを感じた。

あるいはこの男はなにかの精神異常者で、近くの病院を抜け出してきたか、あるいはリハビリ中なのかも知れない。私の中のその男への興味はますます深まっていった。

「ここまで話を進めてチャンと話を聞いてくれた人はあなたぐらいのものです… 他の人に話しても、ギョッとして離れていってしまうか、一笑されるのが関の山でしたが…」

そうだろう。私も全てを信じ込んだわけではない。ただこの男の作り出す雰囲気、話し方に私はスッカリ魅了されていた。

「問題はこの先なのです。

機関はこのタバコの作用を使って人々を洗脳するつもりだと言いましたね?ここからが本当に恐ろしい話なのです。

ここまで恐ろしい薬品を我々喫煙者に投与しつつも、世間では嫌煙ブームになっています。しかもそれは日本だけではない。世界にまで波及しています。本当に人々を意のままに操りたいのであれば、むしろ喫煙を推奨すべきではないでしょうか?実は機関はこのタバコに刷り込んでいる薬品をとうとう別のもの…我々が普段口にしている食べ物や飲み物に刷り込もうとしているのです。タバコはその薬品を世界中に蔓延させる隠れ蓑でしかないのです… そして機関は我々を洗脳し、操ることで何をしようと考えていると思いますか?」

分からない。戦争が目的なら世界にこの薬品をばらまく意味がない。人々を同じ思考にすることで、秩序が保たれ、結果的に世界平和になるということならあるいは納得できるかもしれないが。

「世界平和ですか… それならどれだけ良かったことか…

実はあなたが先に言った通り、我々を戦争に使う予定なのですよ。」

それはおかしい。

ならなぜ全世界の人々を同じ思考にする必要があるのだ。

国ごとに操る機関が違うのならまだしも、薬品が同じものなら戦う意味がないのでは。

「その通り。国単位であれば薬品を使う必要はありません。

実は真に戦う相手は宇宙人なのです。」

私は笑った。

ここまでの話であれば、興味をそそられる話であったが、あまりにも飛躍しすぎている。

第一宇宙人などという存在するかも分からない相手にここまでの労力と時間を割くとは思えない。

「流石にこの話は信用してもらえないようですね…でも事実なのです。

近年発達してきた携帯やテレビの電波など、不思議に思ったことはありませんか?実体がないものなのに私たちの生活に溶け込んでいる… 実はこの技術は宇宙人が日本に持ち込んだ技術なのです。詳しく話すと、その宇宙人はガンジ星人と言います…

彼らの星では空気の代わりにこの電波が星中に蔓延しており、地球などとは比べ物にならない情報社会になっているのです。

日本にはそもそも空気に電波が含まれていなかった…戦争で落ち延びたガンジ星人が船に積んでいた電波を製造する機械を使って、この地球を植民地にするために置いていったのです。だからこそ今の私たちは電波に暮らしを支えられている。

ですが、あろうことか地球人たちはその宇宙人たちを殺害し、機械だけを奪ったのです。その機械をあやつり、文明は一時代を築き上げました。しかし、ここまでうまくやっていたところ、ついに本星のガンジ星人たちに見つけられてしまったようです。それがここ20年くらい前の話…ちょうど嫌煙ブームに拍車がかかってきた時代です。

…そういえばもともとタバコはこのガンジ星人たちの趣向品で、地球人がそれを模して作ったものなのです。

そしていよいよガンジ星人がこの地球を侵略するために、攻め込んでくるというのです。だからこそ、機関はその対抗手段として薬品を開発し、タバコに刷り込み始めたのです。

なぜならばガンジ星人たちは原始的な生き物をひどく恐れるからです。彼らの侵略から身を守り、文明を維持するには人間を本来の原始的な姿に回帰させる他ない…それにガンジ星人を退けた後は、あなたのいう世界平和が訪れるかもしれませんからね…私たちが常用しているものに薬品が刷り込まれ出すのも時間の問題でしょう。

しかし、私たちはガンジ星人、ひいては政府の薬品から逃れる対抗する手段を見つけたのです。同志を募り、新たな機関、ゲポルガ機関を作成しました。同志たちはガンジ星人に対抗するすべを持ち、機関に飼い慣らされることのない本当のタバコを吸い、日々を過ごしています。

私がここにきたのは他でもない。あなたをスカウトする為に来たのです。あなたのような聡明な方がいれば、計画もスムーズに進んでいくでしょう。

…どうでしょうか?私たちの機関に加わっては見ませんか?ガンジ星人からの侵略を退け、そして本来あるべき、真のタバコを味わいませんか…?薬品の効力のない、真の快楽を味わえる素晴らしいものなのです…」

男は私に微笑みかけた。

すでに私はその男に魅了されてしまっていた。宇宙人などというすっとぼけた話しはいまだに信じがたいが、そのゲポルガ機関とやらに行けば、この男のような、情緒的で芸術的な人間が他にもいるかもしれない。それに真のタバコというものにもとても興味を惹かれる。そこに行けば私が望む最高の作品も作成できるかもしれない。

吸いかけのタバコを灰皿におき、その男に招かれるまま私はその喫煙所を後にした…















「お待たせしました。やっとここ数件続いていた猟奇殺人犯の身柄を拘束しました。」

「お手柄だったな。巷はあの男が次々と起こす猟奇殺人に震え上がっていたが、これでやっと落ち着くことになるだろう…

新たな犠牲者を出してしまったのは忍びないが、致し方ない。これでこの事件も終わると考えれば遺族たちや周辺の住民も少しは浮かばれるだろう。

しかし、あの異常者に対面から向かっていき、逮捕にこぎつけるとは…どんな魔法を使ったんだ?」

「なんのことはありません。あの手の犯罪者は頭のネジが外れた精神異常者です。愛煙家であることは捜査でわかっていましたが、どこに住んでいるのか、あるいはどんな人間なのかは分からなかった…

だから犯人の興味をそそり、特定する為に色々な策を練りましたからね…

そして会って

しまえばこちらのものです。奴の興味を引くようなバカげた、それでいて異常な世界観に引き込めばいい。

ただ、私自身もうまくいくか心配でしたがね。いきなりブスっと行かれてたかもしれない。」

「なるほど。だがまあこれでやっとまとまった休みが取れるな。犠牲者を出してしまった分私は始末書を書かなければならないが…

久しぶりに家族と旅行でも行こうと思っているよ。お前はどうするんだ?」

「そうですね…

最近あまり顔を出せていなかったので、ゲポルガ機関の会合に顔を出そうかと思っています………」

男はニコリと笑って、サイレンが鳴り響くその場からゆっくりと立ち去っていった…

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愛煙家 かけ出し @KATAZURI

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