第72話 除霊、クレムの場合

 怖さはなくならない。その中でどう行動するかで人生は簡単に決まってしまう。

 以前お兄様に言われた言葉を思い出し、僕はゆっくりと墓地のほうへ歩き出しました。

 

「やらなきゃ、がんばらなきゃ⋯⋯役に立たなきゃ」


 お兄様のパーティに入れてもらってからというもの、僕は全然役に立っていません。始めはお兄様に守ってもらうのがうれしかったけど、エメラダ様やエルヴィンさんという仲間も増えて、その中に自分の役割が殆どないことが悔しいのです。


 お兄様はあの通り優しいし、エメラダ様も言葉遣いは粗野だけどとても僕に気遣ってくれるのがわかるんです。だけどそれにいつまでも甘えていてはいけない、今回は自分を見つめ直し鍛える絶好のチャンスなのです。


 まだ結界の中にいるので死霊たちと直接相対していないのに、足がガクガクと震える。もつれて転びそうになり、僕は立ち止まってしまいました。


「⋯⋯⋯⋯またこうやって震えて逃げて、誰かが助けてくれるのを待つなんて嫌だ」


 不意に幼い頃の本当の兄の姿が浮かぶ。ハイエル兄様は僕と違って怖いもの知らずで、いつも僕の手を引っ張って知らないところへ連れて行ってくれました。それは怖かったけれど、楽しくもありました。自分じゃいけない所でも、ハイエル兄様とだったら頑張れる。


 そう思って、結局今も昔も何も変わっていないじゃないかと自分を殴りたくなりました。僕はもう勇者なんだ、いつまでも守られてばかりじゃなく、守る立場にならなければ。


 いつもボロボロになりながら戦うお兄様の姿を思い浮かべると、ちょっぴりだけど勇気が湧いてきました。僕より全然弱いのに、僕よりもずっとずっと強い。憧れのあの人に近づく為に、覚悟の一歩を踏み出した。


 ついに結界の外に踏み入れて、僕は指輪を見つめました。


「守護霊⋯⋯僕には誰がついてくれてるんだろう?」


 そうして魔力を指輪に込めると、エルヴィンさんの時のように指輪から青白い光が溢れてフワフワと漂います。⋯⋯なんかちょっと小さい気がするけど、大丈夫でしょうか?


 やがて光が形を成し、目の前に現れたのはある意味予想通りの人でした。


「ハイエル⋯⋯兄様」


『おうクレム! 久しぶりだな⋯⋯って、お前本当にクレムか!?』


 空に浮かびながらニコリと笑った少年――――ハイエル兄様は、目が合うとビックリしたように僕の周りをぐるぐると回り出しました。


「あのっ、ハイエル兄様!? な、なんですかっ」


『いや、違う女の子のところに来ちゃったのかと心配で⋯⋯本当にクレムだよな?』


「そうですよぉ⋯⋯せっかく久しぶりにお会いできたのに酷いです」


『⋯⋯お前が変わり過ぎなのが悪いと思うんだけど』


 確かに、今の僕は以前よりも随分と女の子っぽくなりましたものね。お父様が見たらどんな反応になるのかちょっと見てみたい気もします。


「――――あれ? でもハイエル兄様は僕の守護霊なんですよね、今の僕を見ても不思議に思わないんじゃないんですか?」


『守護霊って言っても、別に人格や意識があるわけじゃない。悪いものを寄せ付けないお守りみたいなもんだ』


「はぁ⋯⋯でも、それでも一緒にいてくれたのが嬉しいです」


 笑って懐かしいハイエル兄様を見ていると、なんだか照れ臭そうな微妙な顔をしています。


『弟の癖に破壊力ヤベェな⋯⋯』


「はい?」


『うるさい! いいから行くぞ、なんのためにオレを呼んだんだ!』


 そう言ってハイエル兄様はどんどん墓地の奥へ進んでいってしまいます。破壊力って何のことでしょう?


「あっ、置いてかないでください兄様ぁっ!」


 そうやって後を追いかけていると、嫌でも昔を思い出してしまいます。魔物に襲われてハイエル兄様が死んでしまったあの時のことを。


「っひぃ、出たぁ⋯⋯」


 墓地に立ち入ると間もなく、死霊たちが呻きを上げてこちらに寄ってきました。その声はとても苦しげで、生き物の断末魔を聞いているようでした。


『よっしゃやるぞぉ!!』


 僕の怯えなど構わずにハイエル兄様はドンドン死霊たちに飛び込んでいき、まるで喧嘩でもするように死霊たちに殴りかかっています。でも殴られ蹴られても死霊たちはあまり堪えていない気がします。


『あれ!? 何でやられないんだよ、おりゃ、消えろ!』


 何発か拳を当てるうち、ようやく死霊を一体消し去りました。でも周りにはまだまだ沢山いて、とても相手できそうな数じゃありません。


「だ、だめですハイエル兄様! 一度逃げましょう!」


『やだね!』


 僕の制止も聞かず、ハイエル兄様は次の死霊に殴りかかっていきます。やっぱりあまり効いてないみたいで、なんだか死霊の方が困っているように見えるのは僕の気のせいでしょうか⋯⋯。


「ハイエル兄様! 攻撃があまり効いてません、もっと結界の近くでいつでも引けるように――」


『オレは逃げねぇ!』


 まるでボール遊びでもしているみたいにポンポン死霊に弾かれながら、それでもハイエル兄様は懸命に飛びかかっていきます。


『オレは今度こそ逃げねぇ! それで今度こそクレムを守るんだ!』


「今度こそって⋯⋯」


 それはきっと、僕たちが魔物に襲われた時のことを言っているんでしょう⋯⋯。だったら逃げたのは僕の方なのに。


「逃げたのは僕です! ハイエル兄様はあの時立派に僕を守ってくれました!」


『――――おまえ、覚えてないのか。こっちこい!』


 ようやく二体目の死霊を倒して、ハイエル兄様は死霊の群れから抜け出して結界の方へと向かってくれました。僕もそれに続いて走り出します。どうやら死霊の動きはそれほど早くないようで、逃げるだけなら全然問題はなさそうです。


 結界の中へ入り、ハイエル兄様に怪我がないかよく観察します。どうやら守護霊は怪我とかはしないようで、傷もなければ服も破けていません。


「大丈夫ですか、いっぱい攻撃されてましたけど⋯⋯」


『別に平気だ。それよりもお前、あの時のこと本当に覚えてないんだな?』


 ハイエル兄様は少し険しげな⋯⋯でも何処か罪悪感のようなものが浮かぶ顔をしています。なんでそんな顔してるんですか、兄様が気に病むことは何もないのに。


『あの時逃げたのはお前じゃない⋯⋯オレだ』


「え、と。⋯⋯何を言ってるんですか? よく分からないんですが」


『森の中で魔物に出くわして、オレはパニックでその場から動けなかったんだ、でも――――でもお前は泣きながら魔物に立ち向かっていったんだぞ』


「僕、が⋯⋯⋯⋯?」


 そんなの信じられません。確かにあの時の記憶は小さい頃だったし、パニックでそれほどしっかりと覚えていませんが、僕がそんなこと出来るわけないじゃないですか!


『でもお前はすぐやられちまった。血がいっぱい出てて⋯⋯オレは怖くなってお前を置いて逃げたんだ! そして魔物に追い付かれて⋯⋯』


 そんな、記憶――――全然ありません。ただ痛かったことと、目が覚めたらハイエル兄様がもう亡くなっていたこと。それで僕はハイエル兄様に助けられたんだとずっと思っていたのに。


『お前は動けなくなったオレの代わりに、必死で頑張ってくれたんだ。それなのにオレはお前を置いて逃げて⋯⋯あげく殺されちまって⋯⋯だから、今度はオレがクレムを守るんだよ!』


「僕が⋯⋯そんなこと、本当にしたんですか。だって僕ですよ!? いつも魔物から逃げ回って、皆のお荷物になってる僕なんですよ!」


『オレがお前をそうさせちゃったんだろうな⋯⋯せっかく守ってくれたのに。――――なぁクレム、お前は絶対逃げてなんていない。むしろすごく勇敢だったんだ。だからそんな風に自分を責めるなよ、本当なら責められるのは⋯⋯』


 オレなんだから、と。ハイエル兄様が項垂れてしまいました、ポロポロと涙を零しながら。


『だから今回は、お前に兄貴らしいところを見せる最後のチャンスなんだ! もうオレは逃げたくねぇ、オレが怖いものからお前を守る!』


 守ると、また言われてしまった。僕は、自分の首元のプレートに手を触れます。こんなのは僕にとってお飾りなのは分かってる。でも、でも!


「ダメです!」


『⋯⋯クレム?』


「僕は、僕は⋯⋯勇者なんです! 怖いものから怯える人たちを守る勇者なんです! だから⋯⋯」


 思わず拳に力が入る。すると、急に魔力が吸われて指輪が光り出しました。兄様が現れた時のようにフワリと光が溢れ、形作ったのは――――僕の剣でした。


「だから僕は! ハイエル兄様と一緒に戦います!」


『⋯⋯やっぱお前、すげぇんだな。さすが勇者だ』


 少し寂しそうに兄様がそう言って、僕の出した剣を手に取りました。僕も剣を抜いて構えると、まるで自分の影の様に兄様がまったく同じ体勢をとっています。


「これなら一緒ですよ、兄様!」


『おう! 勇者様の剣の腕、兄貴のオレに見せてくれ!』


 そしてもう一度墓地に踏み込む。そう、これが僕にとって勇者としての第一歩です! グレイお兄様が教えてくれた、勇気の一歩なんです!



◇◇◇◇◇◇



「あの坊主、ただのガキンチョかと思ったら随分やるじゃないかい。あの調子ならこの辺一帯はすぐ片付くねぇ」


 ギンナが教会の壁に寄りかかり、兎の様に飛び跳ねて死霊を斬り伏せていく二人の子供を眺めている。


「ふふーん、だから大丈夫だって言ったでしょ? まぁ正直言うとクレムの坊やがあんなに頑張るとは思ってなかったけどねぇ」


 そう言いながら、ルルエは嬉しそうに目を細める。人間が成長していく過程を見るのが、彼女にとっては最高の瞬間だった。どんなに芳醇で甘露な酒を飲むよりも、この光景こそが彼女に酩酊感を与える。


「けど、墓石の修繕費はきちんと払ってもらうよ」


 ギンナの視線の先では、クレムが守護霊と共に剣を振り、時折り墓石まで断ち切っていた。斬り倒している本人は高揚して気づいていないようだった。


「⋯⋯うちのリーダーが立て替えてくれるわぁ」


 よろしくグレイくん! と内心呟き、ルルエは金銭面の全てを他所に放り投げてクレムの勇姿を見続けていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る