第71話 除霊、エルヴィンの場合

71話


 見上げれば、厚い雲がズンとのしかかってくるような風景だった。この子がいることもあって、嫌でもあの日のことを思い出す。


「カルネル」


 俺を先導する半透明の犬――――カルネルに声を掛けると、振り向いて一声鳴いた。

 思わず撫で摩りたくなるが、今は戦闘中だしどうせ触れない。


 カルネルがピクッと耳を揺らし、唸りを上げる。どうやらまた悪霊が来たらしい。

 現れた眼前の悪霊五体に向かってカルネルが疾る。一足で一体に噛みつき、飛びのきざまに二体目を押し倒して顔面をその脚力で砕く。


 一分と経たずにそれらを撃退すると、俺の周囲を警戒するようにグルグルと回る。本当に頼りになる。


「よくやったぞ、カルネル」


 今度こそ触れられないと分かっていても頭を撫でる。カルネルは気持ちよさそうに目を細めた。干し肉の一つでもやれないだろうかと思わず考えてしまう。


「それにしてもお前が俺の守護霊とは、何とも皮肉というか当然というべきか」


 半透明になってもハッキリ分かる澄んだ青の瞳が、ジッと俺を見る。まるで宝玉のようだ。

 それを最後に見たのは二年前のあの日。俺が裏切られて声を失った時以来だ――――。





 当時の俺は蒼の称号を賜っていて、五人と一匹のパーティを組んでいた。俺の性格上、あまり会話は多くなかったが、皆勇者のパーティの一員という肩書き欲しさに付き合ってくれていたのだろう。


 そこにある日、厄災⋯⋯と言えば殺されてしまうだろうが、不破の元凶が混ざることになった。

 勇者の指導と強化という名目で派遣された一人の女性。黒い法衣とつば広の帽子を被った妖艶な彼女がパーティに加わった。本人は断固として趣味だと言い張ったが。


 それは選ばれた者が受ける光栄なものだったが、当の彼女はあまり乗り気ではなかったようで、今のようにコロコロと笑うものではなかった。

 今思えば、最初から俺たちは彼女のお眼鏡にはかなっていなかったのだろう。


 彼女が加わってからの旅は壮絶なものだった。無茶なクエスト、個人に課せられた強化指導。今までリスクのない選択ばかりしてきた俺たちにとって、それは地獄の日々だったと言わざるを得ない。


 だがグレイ様の受けている凄惨な虐待――――いや鍛錬に比べれば生易しいものなのだと今なら理解できる。あの方は何故あんな忍耐力を持っているのか不思議でならない。普通なら逃げ出す。


 そして普通だった俺のパーティ仲間は、一人また一人と逃げ出すのは自明の理だった。一ヶ月もせずに、俺の元に残ったのはカルネルだけだった。流石の彼女もちょっとすまなそうな顔をしていたのがとても印象に残っていた。


 せめてもの手向けと、彼女は俺とカルネルに禁術に近い知識を与えてくれた。俺には魔法を二次元的に構築するための基礎知識を、カルネルには様々な強化や支援スキルを教え込んで去っていった。


 それからは俺とカルネルだけの旅が始まった。改めて振り返ると、当時は一番気楽でいられた時間だったのかもしれない。


 元々馴れ合うのが好きではない俺は、魔法士の自分には絶対に仲間が必要だと嫌々人を囲っていた。だがカルネルとだけでも充分にクエストをこなせるのを知ると、これまでの我慢は何だったのかとすこし笑ってしまったものだ。


 彼女から辛いながらも有益な指導を受け、力を付けたのも大きいのだろう。特に困らないまま旅をしていたが、ついにその日はやってきた。


 離れていった仲間の一人が、三人ほど屈強な男を連れて俺の元に戻ってきたのだ。始めはもう仲間は要らんと断ったが、何だかんだ同じ時を過ごした者の頼みでもあり無碍にも出来なかった。


 流石に一人と一匹で魔王に挑むには心許ないと思っていたし、そうして俺は新しくパーティを組んで旅を始めた。


 それが、間違いだった⋯⋯⋯⋯。


 彼らを迎え入れて一週間ほど経った日のこと。その日は中々にキツい依頼をこなした後で、野営をして床に着いた時には普段あり得ないほど深く眠っていた。だが今思えば、夕食に薬でも混ぜられていたんだろう。


 暗闇の中、喉に熱い痛みが奔った。身体を押さえつけられ、身動きが取れない。訳も分からぬまま目だけで周囲を探れば、元パーティだった男が下卑た笑いを浮かべて俺の荷物を漁っていたのだ。


 俺は旅のかたわら、様々な魔法具を集めてはそれを研究するのが趣味でもあった。その中には当然高価なものが多くあり、つまり彼らはそれを奪うために俺に近づいたということだ。


 あぁ⋯⋯これで俺の人生は終わる。掻き切られた喉で声も出せず血で溺れながらそう悟った時、奴らに悲鳴が上がった。


 カルネルだった。魔物には襲いかかっても決して人には危害を加えないよう調教されていたあの子が、収奪者たちに襲いかかっていたのだ。


 剣や魔法で傷つけられながら、それでもカルネルは懸命に戦った。一人の喉元を噛み潰し、一人の腕を引き千切った。残ったもう一人は恐れをなして逃げていった。


 元の仲間はカルネルの扱いを知っていたので宥めようとしていたが、怒り猛ったカルネルにその抑制は通じず結局そいつも噛み殺された。


 俺は掻き切られた喉の出血をどうにかしようと必死に応急処置したが、血は止まらず肺まで満たされ、意識が遠のく。

 視界が霞むその中で、俺はこんな世界を呪った。そして重たい目蓋に抗えず目を瞑り、自らの死を受け入れた。


 次に目覚めた時、何故か俺はベッドに寝かされていた。隣に目を向けると彼女――――ルルエ様がいて、目覚めた俺に事のあらましを教えてくれた。


 カルネルがスキルを使い救援を求めていたこと。ちょうど彼女が近くで他のパーティの指導に当たっていてそれに気づき、すぐに駆けつけてくれたこと。そして、俺を守ってくれたカルネルが⋯⋯死んだこと。


 ルルエ様はすぐ治癒をして傷を塞いでくれたらしいが、潰された喉までは元に戻せなかった。そうして俺は声を失い、かけがえのない仲間を失って、それまで築いたすべてを失った。


 厚い雲に覆われた暗い日にカルネルを弔って、それからの二年間はただひたすらに孤独だった。しかしグレイ様に拾われ、シルフ様に祝福を賜りこうして生き長らえている中で、またカルネルに出会えた。


 ポツリと、手に雨粒が落ちた。ついに降り出したかと見上げたが、特に雨が降っている様子はない。そこでようやく自分が泣いていることに気づいた。


「カルネル⋯⋯助けてくれてありがとう。ずっと見守ってくれいていて、ありがとう」


 触れられなくとも、ギュッとこの子を抱きしめる。あの日言えなかった感謝を込めて。

 スリ、と。頬に鼻面を擦り付けられたような感触がした気がする。


「さぁカルネル、再開を喜ぶのもここまでにしよう。随分と増えてきたようだからな」


 見回せば、悪霊たちが呻きを上げてこちらに近づいてくる。もう一度だけカルネルの頭をそっと撫で、自分が犯した罪の贖罪の一部を全うしよう。


「また力を貸してくれ、相棒」


 返事をするように大きく一声鳴き、カルネルは雄々しく悪霊の群れへと飛びかかっていった。

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