第28話 一応怯えました。
こんにちは、勇者です。
ズルーガ軍は合戦前の食事も済ませ、意気軒昂……とは言い難い雰囲気でした。
ウォーゲル騎士長旗下のうち、いくつかの隊に囲まれて自分とルルエさんは前線へと赴きました。王との約束通りクレムとクロちゃんは本陣傍の隊列に加わり、なるべく安全なところで待機しています。
「それにしても壮観というか……もう笑えてくるくらいの数ですね」
自分は眼前に広がる無数の魔物の群れを見て、恐怖心も麻痺してもはや驚嘆していました。なにせ高く聳える要塞の前には、群れた蟻のように魔物の集団がびっしりと敷き詰められていたのですから。
あれだけの数は要塞にはとても収まりません。恐らくズルーガ軍と同じく、魔物たちも魔王スティンリーの下知により近隣から集められたのでしょう。良く目を凝らしてみれば、武装していると言ってもその品質と趣きはバラバラのようですし。
烏合の衆同士の対決、勝つのは――もちろん数の多いほうでしょう。
「あの、ルルエさん。天幕の中ではあの流れで押し切りましたけど、本当にこの規模の敵を削れるんですか?」
「あらら、お姉さんもなんだかんだグレイくんと長くなってきたのにそんなふうに疑われるなんてぇ……ちょっとショック」
わざとらしくよよよと嘘泣きするルルエさん。そういうのもう良いですから。
「だって自分、ルルエさんの魔法って回復や支援系と一般的な攻撃魔法しか見たことないですもん」
よくよく考えたらこの人が敵に攻撃するところなんて見たことないですね。ほぼ自分へのお仕置きにしか攻撃魔法使ってませんよ……解せぬ。
「そういえばそうだったかしらぁ? じゃあ良い機会ねぇ。大魔法使いルルエさんの、ほんのちょっとの本気を見せてあげましょう!」
そう言って肩をぐりぐり回すルルエさん。でもね、まだ開戦前なんですよ?
そうして暫くした頃、本陣のほうからドン!っと太鼓の音が響きます。武闘大会でも打ち鳴らされていたのと似ています。
それは開戦準備の合図らしく、兵たちはその拍子に合わせて一斉に武器を構え、剣や槍をガンガンと盾に叩きつけます。地面を踏みしめ自らを鼓舞する者、恐怖に戦慄く者、武者震いして雄叫びをあげる者。
様々な様相でみな必死に戦意を高めていきます。太鼓の拍子はどんどん速くなり、兵士たちを囃し立てる。そして一時のあいだその音を止めると、最後に渾身の撃で大きな打音を打ち放ちます。
瞬間、兵たちは獣のように飛び出して、奇声を上げながら前進して魔物の群れへと飛び込んでいきます。
自分たち中央の隊の足並みは遅く、両翼が素早く前進してルルエさんの指定した鶴翼の陣形へ変化していきます。魔物たちの軍もそれに呼応するように土煙を上げてこちらへと走り出し、両者の間合いはぐんぐんと迫っていく。
そしてついに、両翼の隊が魔軍の先鋒とかち合いました。遠くからでは動く人形がお互いを小突きあって倒れていくようにしか見えませんが、これが自分の目にする初めての戦争でした。
やがて魔軍はルルエさんの読み通り両翼に導かれるように中央へと先端を延ばし、自分たちのいるほうへと大量の魔物たちが流れ込んできました。
「く、来る…………」
「ビビっちゃだめだめグレイくん! さぁ、ここからが見せ場なんだからぁ!」
ルルエさんを先頭に、中央の隊は足を止めその場に待機します。後ろに控える兵たちはみな悲壮に溢れ、次の瞬間には自分たちの死が待っていると確信しているようでした。
ルルエさんは杖を前に掲げると、普段はしない呪文の詠唱を始めました。
「――――地の底より這い出でし幾千の獣たち。其は紅き暴虐、其は黒き波濤、此方に至るは黄昏の盟約なり。いざその醜悪なる姿を晒し、此れなる無垢な者たちの
ぽつりと、一瞬で杖の先に巨大な黒い球体が現れます。そこからみちみちと音を立てて這い出てきたのは、黒い腕。それが何十本、何百本……。
「――――――
瞬間、球体からおぞましいナニかが溢れだし、波となって魔物たちに向かい解き放たれました。人間や魔物が出せるようなものではない叫びと共にソレらは狂い奔り、正面の魔物たちを薙ぎ払っていきます……。
轢き潰し、押し潰し、裂いて砕いて弾けて飛んで、目の前はあっという間に血溜まりと化し、其処此処にばらばらになった肉塊が飛散していきます。逃げ惑う魔物の群れも容赦なく壊していくその様は、まさに
やがて手近な命を刈ったソレらは、手当たり次第に零れた肉を食らっていました。恐慌に包まれた戦場で、生々しい咀嚼音が酷く響きます。
「――――っぐ」
思わず、嗚咽が漏れて胃の中のものが込み上げてきました。後ろの兵士たちも同様に、その光景を見てへなへなと腰を抜かす者も珍しくありません。
「あっはははははははははは! さぁ、好きなだけ貪れ! 馳走とはいかないけれど、腐った腹の足しにはなるでしょぉ? ふふ、ふふふふ!」
なおも黒いナニかを生み出し続けるルルエさんの眼は紅く輝き、自分がこれまで見たことのない醜悪な顔で嗤っていました。
死霊の国を一撃のもとに滅ぼしたというアルエスタの魔女。その真髄……いえ、一端なのでしょう。それを垣間見て、自分は初めてルルエさんに恐怖を抱きました。
そして願ってしまいました。早くいつものルルエさんの笑顔に戻ってほしいと。
「――――大丈夫?」
そう声を掛けられ見遣った彼女は、少し不安げな顔でこちらを振り向いていました。
それは自分を心配してなのか、それとも自らの力を見せ怯える自分に忌諱されるのを恐れてなのか。
「大丈夫……大丈夫です!」
ルルエさんにそんな顔をさせないために、腹の底から声を出します。その気概を察してか、彼女は務めたように笑みを作りました。
「――そう。怖かったぁ? 初めて見た私のちょっぴりな本気ぃ」
「正直、その……怖かったです。あれは何なんですか?」
見れば、出てきたソレらはいつの間にか霧散し、残っているのは魔物たちの残骸だけです。
「さっきのは低位の悪魔を大量召喚する、ある種の禁術よぉ。けっこう魔力を食うわりに殲滅力は雑なものだから、あまり使わないんだけどぉ」
あれで、雑? 眼前にいた魔物の大軍がほぼ壊滅し切っているというのに?
「本当だったら綺麗サッパリ跡形も残らない術を使いたかったけど、それだと城塞ごとなくなっちゃうからぁ」
「そ、そうですか……ルルエさんなりの手加減なんですね」
「人間を襲わないようにするのには少し骨が折れたわぁ。兵士に被害を出したら何を言われるか分からないしねぇ」
言われてみれば魔物の死骸の中で幾人もの兵士が、怪我もせず茫然と立ち尽くす様が見えます。よくまぁそんな器用なことが出来たものです。
「えーとぉ、そこのあなた?」
「へぁあ!? は、はい!!」
後ろのほうで腰砕けにならず立っていた一人の兵士に、ルルエさんが声を掛けます。
「伝令を頼めるかしらぁ? これから私たちは城塞に乗り込むから、あとは好きに狩りなさいと。……あぁ、あとこれが魔女の証明よって付け加えておいてね?」
「わ、わか、わかりましたっ!!」
まさに飛ぶように兵士は走り去っていきます。しかし……ズルーガ軍はこれを見て戦意を失わず戦えるでしょうか?
「じゃあグレイくん、今度はあなたの番ねぇ! 中に入ってちゃっちゃと王女様を連れて帰りましょ~」
「あ~、はい。結構距離ありますねぇ、馬でも借りればよかった」
「今のグレイくんなら馬よりも断然速く走れるってばぁ。さ、愚痴ってないでさっさと行くわよぉ!」
そう言って、ルルエさんは自分の杖に
「あっ! 一人だけずるい!」
「グレイくんはまだ精霊術を使っちゃダメよぉ? ちゃんと温存しときなさいね~」
置いてくわよぉ! と言われ、ルルエさんを追いかけるように慌てて自分も走り出します。そして内心、いつものようなやりとりが出来て良かったと胸の内で安堵したのです。
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