エリー.ファー

 昔、猫を飼っていた。

 別に、猫らしい猫というわけではなく。

 猫というには余りにも大きかった。

 けれど。

 しなやかで。

 綺麗だった。

 猫は祖父の時からうちにいた人間だった。内外のことに気を配り、どのようにすればことがすんなりと進むのかを助言していた。

 生け花が得意だとかで、廊下で見かけるそれらは、僕のような全く何も分かっていない人間からしてみても、美しかった。

 猫は、本当に非の打ち所のない存在だった。

 僕はそんな猫と遊ぶのが好きだった。

 よくねこじゃらしなんかを持ってきては、それで日が暮れるまで時間を過ごした。

 僕に友達はいらない。

 猫だけがいればいい。

 そう思っていた。

 祖父が亡くなり、猫は父親のものになった。

 別に、猫を誰のものとか、そういう扱いをすること自体が失礼だと思うのだけれど、父親の猫の扱いはまさにそれ、そのものだった。

 殴る。蹴る。怒鳴り散らす。

 しかし。

 必要な時には優しく呼んで利用する。

 僕は父親が憎かった。

 僕の方が猫のことを何十倍も、何百倍も想っているのに何で猫は父親のものになってしまったのだろう、と思った。

 僕は時たま塀の上を歩く猫を見かけて話しかけたりはするけれども、そこから何か進展があったということではない。僕の立場では、父親に立ち向かうことなどあり得ないことであったし、そのことも猫はよく分かっていた。

 たまに、一緒にレストランで食事をしたり、日向ぼっこをしたり、他の猫たちと空き地で何やら楽しそうにしているところに混ぜてもらったり、そうして同じ時間を過ごすようなことはあった。

 ただし。

 それだけなのだ。

 本当に。

 それだけだった。

 僕はそれから少しずつ勉学に励むようになり、猫と触れ合う時間は少なくなっていった。それにより、父親の猫に対する暴力は悪化していった。

 ただ。

 僕はそのことに気が付いてはいなかった。

 お手伝いさんが大勢いる家だったので、皆が協力して、僕を父親と猫に会わせないようにしていたのだ。悔しいことだけれど、僕はたったそれだけの工夫で会うこともできなかったし、また、視界に入っていないというだけで元気にやっているだろうと考えていた。

 父親も大人だし。

 猫も立派であるから。

 なんとなく上手くやっているだろうと。

 ほどなくして。

 猫の両目が潰れたと聞いた。

 父親は新しい事業に手をだしたらしく、それが失敗した。多くの借金を抱えたのだが、猫がそこでなんとか奮闘したのだそうだ。だが、それもむなしく借金は膨れ上がる。

 父親は。

 それを猫の無能さのせいにした。

 自分の能力の低さを。

 才能のなさを。

 努力をしてこなかった人生を。

 棚に上げたのだ。

 右手で手元にあった万年筆を持ち上げて、左手で猫の尻尾を無理矢理掴み。

 そして。

 その万年筆の先を。

 猫の両目に。

 僕は焦りや、怒り、そういったものではなく、ただ呆れや、悲しみに心が支配されていくのを感じた。

 猫のことも。

 父親のことも。

 いや。

 この際、父親のことはどうでもいい。

 猫が。

 猫だけが。

 猫は今どうしている。

 誰に聞いても語ってはくれない。

 屋敷の中にいないことだけは確かで、どこにいるのかさえ見当もつかない。

 猫の姿を探している。

 僕は一度も見ていない。

 猫の姿を見たことがない。

 生まれた時から盲目の僕は、猫を見たことがない。

 猫は、猫でしたか。

 僕の知る猫でしたか。

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