とどめおきて
白瀬直
第1話
部屋の掃除をしていて、古いUSBメモリを見つけました。
1GBという表記に時代の流れを感じます。何が入ってるのかしらと思ってPCに繋げると、中にはフォルダが一つだけ入っていました。
フォルダ名は「2015-01-04」という日付。開いてみると、デジタルカメラで撮影したであろう解像度の低い写真がたくさん表示されました。
近くの公園で遊んでいる写真。運動会の写真。旅行に行った時の写真。誕生日にケーキの前にいる写真。映っているのはどれも小さい頃の娘で、その隣には若い頃の私がいます。
お父さん、写真撮るの下手ねぇ。そんな素直な感想が浮かびます。デジタルカメラなのにボケているところがあるのは、動かしながらシャッターを切ったからでしょう。今のカメラならそうはならないでしょうし、その辺も時代を感じるところです。
せっかくこれだけあるのならと、私は娘の一番いい笑顔を探しました。一旦大きく表示して、キーボードの右キーをポチポチと押していきます。一枚、一枚と送っていくと顔が大写しになっているものを見つけました。
文字通りの満面の笑みです。手にはシャボン玉の、あのー、なんて言うんでしょう。ストローと、ボトル? を持っています。
そういえばあの子、なぜかシャボン玉好きだったのよね。
4歳くらいでしたか、お父さんがシャボン玉セットを買ってきて近所の公園に遊びに行きました。一息でたくさんの小さいシャボン玉が出るそれをひどく気に入って、その日はシャボン玉を一日中追いかけて、転んだりしてもずっと笑っていました。それから何度もウチでシャボン液を作って飛ばしたものです。
娘が喜んだのを見たお父さんは調子に乗って、そのあと大きなシャボンを作ろうとハンガーを使って色々工作していました。
今でも、どこかに残っているはずです。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
壊れて消えた
私の結婚も遅くはなかったのですが、娘のそれはもっと早くて、私は50を迎える前におばあちゃんになりました。
娘の中学校時代からの付き合いだったお婿さんとは家族ぐるみの付き合いをしていましたし、大学生の時に結婚するという話が持ち上がっても、私たちは「ようやくか」という気持ちばかりでした。
私たち夫婦に負けず劣らず仲が良く、どこに行くにも一緒でしたし、両家親族全員から祝福される理想の結婚式を上げました。
孫の顔が見れる、そういう風に安心しているときに、娘の人生で初めての障害とも言えるものが出てきました。
そしてその障害は、娘の人生で最大のものになりました。
娘は妊娠中のつわりが酷く、月を重ねていく毎にどんどんやつれていきました。8ヶ月頃からはずっと入院して点滴を受けていました。
出産は危険だと言われ、私たちもずっと説得をしていましたが、それでも娘は絶対に産むのだと譲りませんでした。
いよいよ陣痛が始まったその日、娘の悲痛な声は私には聞いていられませんでした。
治療室に入ったまま何時間も待って、赤ん坊の鳴き声が聞こえた時、嬉しさよりも心配の方が勝りました。
その後そのまま集中治療室に入って、ずっと、ずっとそこにいました。
本当に最後の最後、意識を取り戻した娘が小さく呟いた言葉は、今でも胸に残っています。
酸素マスクをつけたまま目に涙を湛えて、隣にいる生まれたばかりの我が子に向けて囁くように、
「ごめんね…」
と、呟いたのです。
お父さんも、私も、婿もその覚悟はしていました。お医者様が全力を尽くしてくれているその部屋の前で、うつむいて涙をこらえていて。
娘の隣にいた赤ん坊だけが、声を上げて泣いていました。
シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた
その時生まれた孫はそろそろ4歳になります。
その子は病弱で、何度も命の危険に晒されながら、それでも命を留めて今日まで元気に育ってくれています。
もちろん可愛らしいです。それは間違いありません。初孫なんですもの。
お父さんも、ジジバカを発揮して色んな所に連れまわしています。
今日も元気に外を走り回っている孫を見て、嬉しい気持ちになるのは確かにその通りです。
でも、あの子を見る度に私は娘のことを思い出して、私が娘を産んだ時と、娘が亡くなったその瞬間がいつまでも頭から離れなくて、どうしても――あぁ、ちょっと言葉が出てきません。悲しいでもなく、恨むでもなく、やるせない気持ちになるのです。
それは誰かにぶつけて良いものではありません。そもそも持ってはいけないものなのかもしれません。
八つ当たりのようなものなのですから。
私には、判るのです。
あの時、自分の最期を悟った娘が、誰に謝ったのか。
私にではありません。お父さんにでもありません。そして、手を握ってくれた自分の夫に対してでもありません。
この世に残す、我が子にです。
母を、父を、そして夫をこの世に残す未練よりも、子を想う気持ちは遥かに強いのです。
私には、それが判ります。
なぜなら、私も自分よりあの子のことを想っているからです。
風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ
「おばあ!」
そんな声と一緒に、大量のシャボン玉が部屋中に舞いました。
キラキラと日差しを反射して部屋中に飛んだ小さな虹色は、ぱちぱちと割れて少しずつその数を減らしていきます。
楽しそうに元気に今日を過ごしている孫に、お母さんのことで悲しんでいる顔を見せるわけにはいきませんでした。
目の端を拭って、飛び込んできた孫に話しかけます。
「もう、どうしたのこれ」
「さっきね! おじいがくれたの! もっと大きいのもあるよ!」
そんな風に笑う孫の笑顔は、さっき見た写真の娘の顔とそっくりだったのです。
笑顔は崩しませんでしたが、頬を、一筋の涙が伝いました。
願はくは、この子が幸せに、健やかに、一生を過ごせますように。
そう、キラキラと宙を舞うシャボン玉を見ながら、祈るのでした。
とどめおきて 白瀬直 @etna0624
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