ミラーハウス 4
カンダタは鏡に右手をあて、歩き出す。また壁にぶつからない為の策だ。カンダタが先を行き、瑠璃は後ろをついていくという体勢は変わってない。
鏡越しから瑠璃の様子を伺ってみると彼女は利き手を握り、開くを繰り返す。あの手には白鋏があった。三色の蛍光色が照らす彼女の顔は影が濃く、光が歪で怪しげだ。
「瑠璃も弱気になっているみたいだな」
すぐに言い返すだろうと考えていたが、瑠璃は口を開こうともしなかった。
白鋏が砕けてしまったのが衝撃的だった。カンダタもあれで助かったこともある。
無慈悲に振り降ろされる現実の刃から瑠璃の命を守っていたのは白鋏だった。それをなくした今、死というものが近くなった。
だからといって止まるわけにもいかない。前に進むしかないのならそうするべきなのだと一歩を踏み出すのが瑠璃だ。
瑠璃が弱さを見せたのは一瞬だけだった。
「生命線が一本切れたのよ。悩んで当然だし、 死人を盾にしたくなるのよ」
皮肉と嫌味の態度を纏い、毅然さを装う。
しかし、瑠璃は利き手を見つめては物思いに耽っている。口では幾らでも誤魔化せる。
「何よ」
視線を感じ取り、鏡越しからカンダタを睨む。
「何も」
カンダタが言ってやれることはない。失ったものの心情は彼女の問題だ。死人がどうこう喋っても、それが瑠璃を生かす助言にはならない。
右手に触れていた壁が急に途切れた。本物の右折できる道のようだ。
「こっちにも行けるみたいね」
瑠璃が示したのは反対の曲がり角だった。どうやらT字路になっているらしい。
「どちらにする?」
初めての分かれ道。選択権を瑠璃に譲る。
「またあたしが決めるの?」
瑠璃はその権利を拒否する。
行き先を任せていた。カンダタとしては遠慮しているつもりだったが、瑠璃はそれを怠惰と捉えていた。
「なら、右に行こう」
迷路の攻略法は知らない。何が起きるのか、危険があるのかどうかすらも予測できない。頼れるのは勘と運だけなのだ。即決したとしても誰も責められないだろう。
瑠璃も選んだ道に文句はなかった。そんなものよりも白鋏が気がかりだった。
カンダタに悟られないようにするも気がつけば自身の手の平を見ている。それを幾度か繰り返し、再び顔を上げた時だった。
鏡に違和感を持ち、立ち止まる。
「瑠璃?」
カンダタが振り返り尋ねる。
しばらくの間、絶句していた。カンダタの声すら聞こえなくなる程、あれは衝撃的だった。
「あたしの」
やっと口を開き、動機を落ち着かせようと呼吸を整える。
「ママが」
それでも動悸は止まず、動揺は震える口調で表れる。
合わせ鏡の中、一列に並んだ瑠璃と本物の瑠璃が向き合っている。その列の8番目、そこには別の人物が写っていた。
刃渡り15㎝のサバイバルナイフを持った母親がいた。どこからかあの日の雨音が聞こえてくる。
「どうした?」
明らかな動揺だったのでカンダタにも不安が感染する。瑠璃の傍に立ち、動揺の原因を探す。
「あたしの、母がいるのよ」
呼吸は整え、動揺を隠すが、鏡には余裕のない瑠璃がいる。
「誰もいない」
「8番目よ」
場所を教えてもカンダタは怪訝な顔で鏡を見つめる。
「見えないの?」
瑠璃の目にははっきりとその姿が写っている。血濡れたナイフ、呆然とする母。まるであの日のようだ。
「早く立ち去ったほうがいいみたいだ」
これは冗談でも嘘でもないと瑠璃の形相から察する。
「あたしもそう思う」
2人は早足で迷路を歩くも鏡の中の母も全く同じ動き方でついてくる。
「カンダタが右を選ぶからよ」
動揺は消化しきれず、意味もなくカンダタを責める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます