ミラーハウス 3
カンダタは深く溜息を吐く。
時に、瑠璃や清音が羨ましい。勉学に励み、未来に生きる姿が死んだ男には眩しすぎるのだ。
カンダタには進むべき道がない。生前は夢があり、守るべき人もいた。それが紅柘榴だった。
生涯を共に暮らせたらどれほどよかっただろう。
あの塀を超えた場所で、人里離れた荒屋で静かに暮らす。時には祭囃子の音に引かれて一緒に行ってもいい。
海を知らない紅柘榴に足が沈む砂浜の感触を楽しむのも良い。
毎朝、紅柘榴と赤子を抱きしめて幸福を実感するのだ。
全ては、死んだ男の妄想だ。
現在、カンダタの足元に広がるのは真っ暗な泥の中だ。そこに歩くべき道はなく、泥沼にも沈めずにいる。足を上げようとしても泥が重く進めない。
成仏できない亡霊が昔見た夢を抱いている。そうした矛盾が泥沼となって抜け出せずにいる。
ならばと、手の届く範囲で生者たちの歩みを妨げるものを取り除こう。それが亡霊の存在理由になるはずだ。
それは偽善を装う生前の執着でしかなかった。
「何してるのよ。行くんでしょ?そこで縮こまっているわけ?」
瑠璃はミラーハウスのゲートに立ち、カンダタが歩き出すのを待っていた。
一先ず、頭を切り替える。整理のつかない憂鬱さを心の隅に押しつけて片付ける。
普段の瑠璃なら歩き出した時点でミラーハウスの中に行ってしまうが、カンダタが隣に立っても動こうとしない。寧ろ、先行しろと言わんばかりの目つきで睨んでくる。
憂鬱さは気力を奪う。文句を考える気力でさえ、削られてしまった。カンダタは口を閉ざし、ミラーハウスの敷居を跨ぐ。
ミラーハウスは迷路になっており、曲くねった道が続いている。
大きな鏡が対となって左右に並び、映る虚像が歩む者を惑わす。足元の明かりは赤、青、紫の蛍光色をした電光であり、天井に明かりはなかった。
一本道の迷路は単純な構図をしているが、映された虚像が複雑性を演出する。
更紗眼鏡と言うものを思い出す。筒に鏡と色付き硝子を入れ、穴を覗くと幾何学模様が映るという代物だ。
実物のものをお目にしたことはないが、そういうものがあると又聞きした。
カンダタはその中に迷い込んだような錯覚に陥っていた。左右に映る自分の姿が何十人となって一列に並び、鏡の奥まで延々と続く。
合わせ鏡に向き合ってみると同じ姿の自分がカンダタを見つめ返す。自分のようで自分ではない誰かの視線が脅迫めいた圧力となってカンダタを圧迫する。
目を逸らせば相手も逸らすとわかっていながらもそれができないのは、視線を逸らした瞬間、鏡の中の自分が襲ってくるのではないかとあり得ない想像をしてしまうからだ。
「手を繋いであげましょうか?」
訝しんで鏡を見つめていたものだから瑠璃が揶揄う。
「迷子を探す手間が省けて助かるよ」
言い返しながらも一本道に沿って曲がり角へと足を進める。しかし、カンダタの身体は鏡の壁にぶつかり、歩みを止める。カンダタが道だと思い込んだ曲がり角は鏡に映る虚像の道だった。
「迷子さんはどこに行こうとしているのかしらね」
瑠璃が可笑しそうに小馬鹿にする。
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