瑠璃、幼少期 8
ある夜、あたしはいつもの時間にベッドに潜っていた。ここ最近、寝付けない日々が続いていた。本を読んでも、ぬいぐるみを抱いても、ドクドクと鳴る心臓がうるさくて眠れない。
すると、玄関ドアが開く音を聞く。同時に父の声が聞こえてくる。久々に聞いた声。珍しく帰ってきたらしい。
母が声をかける。2人の話し声は穏やかでこちらまでは届かない。くぐもった会話の中に不穏が混じる。2人の声は荒れた口調に変わっていく。
「学校から会社に直接電話がきたんだぞ」
「行きたくないって言ってるんだから仕方がないでしょ」
「なぁ、全寮制の学校に転校させよう。都外に転校させればこっちに戻ってくる事はほぼないだろう」
「待ってよ。瑠璃を追い出すつもりなの?」
「2人だけで暮らしたいんだ」
「それを言ったら実質私と瑠璃の2人暮らしみたいなものよ。あなたは新しいプロジェクトとかで帰ってこないじゃない」
「もう少しで終わる」
「この前も言っていたわ。絶対に嫌よ。その見守りカメラも瑠璃の転校も」
「おい、まだ話を」
「もう話したくない」
父と母が分かれて階段を上っていく。
転校、都外、追い出す。ドクドクと心臓が更にうるさくなってベッドに潜っているのも辛くなった。
起き上がるとドアを開ける。母が恋しく、会いたくなった。
少し眩しい廊下の端に母の後ろ姿があった。
「ごめんね、旦那が急に帰ってきて」
携帯の向こうの人と会話をしていた。
「えぇ、えぇ。明日なら大丈夫だから」
その声は猫が擦り寄ってくるような甘ったるい声色をしていた。
「またね」
電話を切って振り向く。そこにいたあたしに驚いていた。
一部の会話を聞いていたわけだが、その趣旨は理解できていなかった。
「眠れないの。一緒に寝てもいい?」
電話の内容よりも眠れないことを伝える。何でもいいから母と寂しい感情を共有したかった。
「もう10歳でしょう。小さな子供じゃないんだから。1人で寝なさい」
「でも」
「ベットに入っていれば眠っているものよ」
あたしの背中を押して連れて行こうとする。
「私を追い出すの?邪魔になった?毎日、洗濯も掃除もしているのに」
「馬鹿なこと言わないで。瑠璃はここにいていいの」
なら、どうして子供部屋に閉じ込めようとするの?一緒がいいのに。
「ママはここにいてくれない」
子供部屋の前で頑なに動こうとせず、甘えるように袖を掴む。母は面倒臭そうに溜息を吐く。
「いるじゃない」
「明日は?いてくれるの?」
「すぐ帰るから早く寝て」
袖を放して子供部屋に戻る。母がドアを閉めると電光が遮られて夜の静寂に包まれる。
明日はお風呂を綺麗にしないといけない。ゴミもまとめておかないと。
だから、早く寝ないと。明日のお菓子はどうしよう。マシュマロなら食べてくれるかな。
再びベッドに潜る。静寂を紛らわしたくてダッフィーをベッドに招く。ここ最近はぬいぐるみを抱いて寝ることはしなかった。身体も心も成長するとぬいぐるみと寝るのは子供っぽく思えた。
その日の夜はぬいぐるみでもいいから独りではないのだと信じたかった。
ぬいぐるみでは人の温もりは伝わってこない。布と綿で作られたものに命は無い。それは当たり前のこと。
幼くて無垢なあたしはぬいぐるみを替えればいいのだと結論づけて、ダッフィーを棚に戻し、白ウサギと白オオカミと寝ることにした。
命のない2人を抱いて目を瞑る。不思議なことに声帯を持たないぬいぐるみが「大丈夫」と囁いているような気がした。
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