瑠璃、幼少期 3

「留守番もろくにできない。俺の邪魔ばかり、だから反対したんだ。中絶させるべきだった」

閉ざされた子供部屋のドア向こうから父のくぐもった声がする。難しい事はわからないけれど、父がまたあたしの悪口を言っているのだと察する。

「まだ5歳なのよ、大目に見てあげて」

「俺が1番気に入らないのはエマ、君だよ。あれが生まれてから俺にかまってくれない」

「バカね、何も変わっていない。愛してるわ」

母があたしに言う「愛してる」と父に言う「愛してる」は少し違う。ほんの少しの差で、区別のつけ方も言葉では表しにくいけれど、父への「愛してる」は甘えてくる猫の鳴き声に似ている。

ママはどうしてパパを好きになったのかな?

夢に落ちる寸前、あたしはそんなことを考えていた。

父がいなければ夜1人で留守番しなくていいし、睨まれなくてもいい。あたしには母からの「愛してる」それだけあればいい。

その日の夜も母と楽しくお茶会をする夢を見た。



あたしは友達の作り方を知らない。母があたしに友達を作らせなかった。

一度だけ同じ歳の女の子の家に招待されたことがあった。

あたしがいつも1人遊びをしていたからその子にとって興味深い変わり者として見られていた。話かけてみれば気があったのでうちに来ないかと誘われたのだ。

それが初めての友達かどうかは判断できない。覚えているのは胸がときめいて心が踊ったこと。

誘われたのが嬉しくて嬉しくて、そのことをそのまま母に伝えた。母は、私とは真逆の、辛く苦しそうに顔を歪ませ、泣き出した。

「なんで他の子のとこに行くの!私には瑠璃しかないのに!」

突然の号泣、怒声。舞い上がって喜んで伝えたのに母はなぜかあたしを責め立てる。

「見捨てないで!私といて!」

思い返していれば、母は仕事というものはしていない。

父は仕事があるから家にいない。

家にはいつも母がいて、どこか出かける時も母がいた。母にはあたししかいないからあたしの傍に母がいたんだ。

幼くも母の怒りを悟る。当時のあたしは異常とも言えるその豹変さを疑問に思わなかった。

 「ママには私が必要」という使命感が生まれて、母を見捨てようとした罪悪感で胸が痛んだ。

「ママには瑠璃しかいない。瑠璃にはママしかいないの」

母があたしを抱きしめてそう聞かせた。

結局、誘ってくれた子の家にはいかなかった。母にはあたししかいないのならあたしには母だけいればいい。

5歳の子供の根幹に根強く残った思念。それが他人と距離を置く原因となった。

習い事には通っていた。料理、裁縫、水泳。どれも母がピッタリついてきて見守っていた。

教育熱心な母は家事を徹底して教えてくれた。洗濯機の回し方、皿洗い。自主的に手伝いをするとたくさん褒めてくれて、たくさんの「愛してる」を貰った。

たくさん褒めて欲しくて、たくさん「愛してる」が欲しくて、ますます家事を手伝うようになった。そうして、8歳の頃には全ての家事ができるようになっていた。

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