瑠璃、幼少期 2
思い出の中に父の姿はほとんどない。仕事で忙しいらしく、珍しく早く帰ってきたかと思えば、母と父2人だけで外食に行ってあたしは独り、誰もいない広い家で母の帰りを待っていた。
父はプライベートの空間に他人が入るのを嫌がっていた。だから、ベビーシッターも家政婦も雇わなかった。娘であるあたしでさえその空間に入ることができなかった。
足を踏みいれるを許されたのは母しかいない。それほどまでに父の人嫌いは徹底的で、母への執着は異常だった。
夜の留守番に耐えきれず、母に電話したことがあった。用があったわけじゃなく、「寂しいから早く帰ってきてほしい」という泣き言をケータイに流して、子供特有の駄々を捏ねた。
それを聞いた母は食事中のディナーを取り消して急いで帰ってきて、泣き顔のあたしを抱き上げる。
「まだメインディッシュすら食べてないんだぞ。寂しかったらDVDでも観てていればよかったんだ」
ディナーを子供の泣き言で台無しにされたのがよほど気にいらなかったのか、父は荒げそうになる声を抑えつつ、乱雑な仕草でネクタイを緩める。
「そんなこと言わないで。今度は瑠璃も一緒に行きましょう、ね?」
あやす口調で話しかける。そのときには泣き止んでいて、母の肩にしがみついて離れようとしなかった。一緒に抱きしめたダッフィーがしわくちゃになっている。
「やめてくれ。子供がマナーを守れるはずがないだろう。連れてきた俺たちも周囲から白い目で見られるぞ」
「あら、瑠璃は天使の子よ。マナーだって完璧なんだから」
母があたしを褒めてくれた。けれど、今夜は素直に喜べなかった。娘を睨めつけてくる父が怖くなって母の肩の上で首を振る。
「パパとは嫌」
「フラれちゃった」
母は可笑しそうに微笑んでも父にしてみれば小さな子供の言い分も目障り耳障りでしかない。苛立ちを見せつけるように大きな舌打ちをした。
「早く子供部屋に連れて行け」
あからさまな拒絶にあたしは涙腺が緩む。
これ以上、大泣きをすれば抑えていた父の怒りが爆発すると悟った母は早足で子供を家に運ぶ。
小さな子供用のベッドに私を寝かせると布団を被せ、その上からトントンと胸の辺りを優しく叩く。
厚い毛布から伝わる母のリズムが心地よく、ぐずりそうになった心は落ち着いてきて眠気がやってくるのを待った。
「なんでパパは私を嫌うの?いつも私からママを取ろうとする」
布団の中でダッフィーを抱きしめて、静かに聞いてみた。ぬいぐるみを抱えていれば寂しさが消えるのだと幼い私は考えていたけれど、それで何かが得られた事はなかった。
「パパはね、誰にも愛されなかったのよ」
カーテン閉めた子供部屋は月光さえも遮って、完璧だと言えるほどの闇の中で母は静かに話す。
「瑠璃にはママがいるでしょ?でもパパの両親、瑠璃からしてみればおじいちゃんとおばあちゃんになるわね。この2人から愛を貰わなかったの。パパを愛したのは世界で1人だけ。一人分の愛しか貰えなかったからパパがあげられるのは1人分の愛だけなの」
「私のぶんがないの?」
なんだか悲しくなってきた。愛されていない、嫌われていると改めて自覚すると形のない怪物があたしの心臓を掴んでいるようで怖くなった。
「ママがいるわ。さぁ、もう寝なさい」
母は私の額に口付けをする。
「おやすみ、愛しているわ」
囁いた母は静かに子供部屋を出た。あたしは満足そうに微笑んで訪れた眠気を快く受け入れる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます