空の穴 16
その事実が浮くとまた別の事実が浮き彫りになる。ハクは光に晒されても平気そうだった。なんでもないような、太陽の下に立つような、苦情した顔も鈍くなった仕草もない。
色だけじゃない。ハクは鬼としても違いがあった。
「ハク!」
あの子が来てくれれば、光にも恐れないハクなら。
声がある限り叫ぶ。つもりでいた。なのに、カンダタの両手はあたしの首に滑り込み、血脈、気管を塞ぐ。
一気に締め付けられると声の出しようもない。
食われるものかと考えていたけれどどうやら人は好みではないらしい。唾液で塗れたその口はあたしを食らうとしなかった。
いや、それよりもこの状況を切り抜けないと。息が、苦しい。
空気が循環されなくなった身体と脳はひとつの警報を鳴らす。死にたくない。
そうか、あたしはまだ死にたくないのね。もう死んでいるだろうから死にようはないけれど。なぜだろう、まだ足掻ける気がする。まだ足掻きたい。
気が付けば糸と針があたしの右手に現れる。白糸はあたしの意志に従ってくれる。なら、この意思にだって従う。
糸を強く握って一つの命令を伝える。針はあたしに従って蜂のように飛ぶ。白銀の糸を連れた針はカンダタの首回りを飛んであたしの左手に戻る。
右手に糸を左手に針を握る。あたしは残る力を全て使い、糸を引く。白糸は引き締まり、カンダタの首皮に減り込む。
ひどい消耗戦だわ。あたしが力を入れれば入れるほど息が苦しくなる。カンダタも食い込む糸を無視してあたしの首を放さない。あたしが首の血脈を傷つけても、流血しても気にしない。
あたしの顔や手は真っ赤になっていた。抑揚して赤くなるほどに力を込めた。カンダタの血が白糸を通り、あたしの指股にまで染み込む。
切り離してしまえ。胴と首を。離してしまえ。
そう強く願った。それが糸に呼応したとわかった。白糸はさらに強く食い込んだ。その時になって、何をしようとしているのか知る。あたしは一人の首を落とそうとしていた。
刹那の躊躇い。一瞬にも満たないわずかな瞬間。その間にカンダタは飛ばされた。
カンダタの手が首から離れ、白糸はするりとあたしから抜けてカンダタと共に飛んで行った。
空気を取り戻した肺はひたすらに吸って吐いてを繰り返して、それはつらい咳を呼ぶ。身体中に空気が巡ってまともな思考回路が戻ってくる。
カンダタを投げたのはハクだった。背後から近寄ったハクがカンダタの腰を掴み、そのまま投げた。遅くなったけれど助けに来てくれた。
カンダタにハクは見えない。それがまた有利になった。
カンダタは訳がわからず腕を振るい、叫喚して威嚇するもハクには通じない。ハクは牙も鉤爪も使わず、頭突きと手の甲だけで応戦していた。
手の甲で頬をビンタして頭で腰を持ち上げて投げる。投げられて落ちたカンダタは立ち上がろうとするも間に合わずにハクが突進する。ハクが次第に興奮しているのが捉えられた。
優しいハクが牙も鉤爪も使わずにカンダタを傷つけないよう努めていたのに声を上げて牙を剥き出す。
それが危険信号だと直感が伝える。止めないと。
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