ずれ 20

 カンダタはひっかき傷、親指にすら気づいていなかった。親指を珍妙に眺めて人差し指でつつく。それだけでも、なくなった親指の激痛があたしまで伝わって来そうなほど痛々しいのに、カンダタは何度も赤い丸をつついては電撃のような痛みを無表情で繰り返す。

 「その親指は知らないけれど、首のそれは自分で引っ掻いた後にしか見えない」

 カンダタは腫れものに触れる手つきで何度もどの傷を確かめる。

 「俺は、正常だ」

 「よく言えるわね。記憶もない、手も口も血塗れ、覚えのない傷。言わなくてもわかるんじゃないの?」

 内にあった恐怖は隠しきれず、それは苛立ちなってカンダタを刺す。

 カンダタは両の手を眺めて握り締めた。なくなった指と欠如した自分を見つめ、自身に怯える。彼は内にあるそれを否定した。

 「君は、どうなんだ」

 不気味に染まった拳を握ったまま問う。

 「瑠璃は自分をまともだと信じて疑わない、けどそれは君が人を人として認めていないと、自身の異常さには気付けない」

 「あたしが異常者ってわけ?」

 「見えない友たちに妖術。人並み外れたそれを正常、か?」

 それは目を背けていた事実。他人を否定してきたあたしが求めてしまったものがハクなら、この見えない友達が突然現れたのも納得がいく。

 そんなはずない。見えない友達も持ってしまった能力もあたしが望んだものじゃない。あたしが正常でカンダタが異常なのよ。

 「こんな所にいるんだもの。ろくな人間はいないでしょうね。でも、あたしは自傷行為はしないし、鬼の肉は食べたりしないわ。そんなのより、見えない友達と会話したり妖術で遊んだりしていたほうがまだ可愛げがあるわ」

 「俺が、鬼を?」

 それもカンダタが欠如した記憶。それが欠けている限り、憶測の域を越えられない不安定な事実だった。

 「すぐそこに食べ残しがあるわよ」

 余計なことを言ってしまったかもしれない。何も言っても平静でいるから言い過ぎてしまうけれど、こいつは鬼を食うような凶暴性を隠しているかもしれない。

 衝撃的な事実を押し付けられてもカンダタは荒げて暴れたりはしなかった。平静に受け止めたというよりは疑惑が生まれて自分なりに記憶をたどっているようだった。

 カンダタの食べ残しは地下歩道の階段にあり、少し覗けば見える位置にある。確認してみるよう提案してみるも悪臭を理由に目を背ける。

 「それよりも先へ行こう。空の穴は近、くだ」

 真実への拒絶は明らかだった。臆病者め。

 心の中で毒つく。

 あいつは自分の異常さに気付かないようにしている。そんな危険人物と共に行動していたらあたしが危ない。もしかしたら、あたしが食われる?

 一応、ハクにも相談してみようとすると白い隣人はカンダタについていくよう跳ねて、手招きをしている。

 あたしたちの会話を聞いていたのにも関わらず、ハクは身勝手ね。もしかしたら理解していないだけかも。あたしが反対してもまた騒ぎそうだし、一人で行動するのも不安だ。

 仕方がないわね。何もない世界じゃ選択肢も限られている。あたしはハクの後をついて行くことにした。

 仰げば偉そうに居座った空の穴があたしたちを見下している。少しだけ近づいた空の穴。目的地はあと少し。だから、大丈夫。あたしは食われたりしない。

 一抹の不安を抱えてよく見慣れた道を歩く。

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