ずれ 3
半月も歩き通し。いや、半月経ってもたどり着けなかったからそれ以上になるわね。それをカンダタが繰り返していたの。すごい根性ね。
「ここに、くる、まえは、どんなだった?」
カンダタが話を振ってきたのは初めてね。あたしに背を向けたままでその感情は読み取れなった。
「何よ、いきなり」
「はなし、をして、いないとねむって、しまいそうで」
「ふうん」
やっぱり、眠いんじゃない。
プライベートについて話す気はなかった。でも、カンダタが眠って戻ってしまうのは困る。そこであたしは現世の時代について話すことにした。
「そうね、カンダタがいつの時代の人かわからないけれど、豊かになったわよ。科学が進んで経済がいっきに成長して、いろんなことが起きた」
「いろんなこと?」
「それは、えっと、東京でオリンピックが開催されたり」
なるべく、歴史を語った。カンダタに現代を教えるのは難しいと判断した。
「とうきょって」
ああ、もう。東京がわからないのね。日本史は苦手なのに。授業や教科書に書いてあったものを引き出す。確か、明治時代に首都にしたから。
「首都、都よ。明治の前が江戸だから、江戸はわかるわね」
「ごめん」
「あんたいつの時代人なのよ!」
江戸も知らないとしたら100年どころの話じゃない。この男は本当の意味で悠久を過ごしていたのね。名前も言葉も忘れるのも納得がいく。
声を荒げたあたしにカンダタは驚いていた。100年以上過ごした彼にとって大した問題でもないみたいね。
そんな大きなずれに沈黙が流れた。あたしの薄っぺらい知識では彼が生きた時代を聞き出せない。カンダタも生前の記憶が曖昧だ。
あれ、だったら、その土地名も覚えていないんじゃない?東京も江戸も忘れるだけ?
カンダタから何か聞き出せないかとあたしは口を開く。しかし、カンダタは人差し指を唇に当てて合図を送る。
ハクもカンダタも何かを察知していたようだったけれど、あたしにはそんな危険感知はなかった。
沈黙の中で次第に聞こえたのはピシリピシリと響く謎の音。この音の正体を想像してみる。
この透き通った響きはヒビが入る音。ハクが空を仰いで吠え出す。
「カンダタ!上!」
あたしが伝えてカンダタが見上げる。鬼はガラスの天井に四つん這いになっていた。
金属音の吠え声を放って、両の鉤爪でガラスに圧をかける。老朽化が進んだガラスにヒビが広がる。
カンダタはあたしの腕を掴み、百貨店の中へと逃げる。ガラスが砕けて破片と共に鬼が降りたつ。
逃がさないと雄叫びが空気を揺らす。その声を背にしてカンダタが立ち止まる。
光が遮断されているせいで活気良く繁盛していたのに百貨店はその真逆のものが支配していた。途方もなく、続く暗闇にあたしたちはたじろぐ。
「しまった」
カンダタから痛恨の念が漏れる。
「1体ぐらい余裕でしょ」
「いや」
闇しかないはずのその中にいくつもの眼光が狂気じみた星空のように煌めく。
「いっ、たい、じゃない」
背後には鬼、目前には散らばった餓鬼の眼光。あたしたちは袋小路に追い詰められていた。
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