彼の日常について 5
鬼は男の存在にすら気付いていない。油断して爆睡している。鬼を生かしておくよりも息の根を止めておいたほうがこの先、まだ安全と言えるだろう。
音を消したまま、立ち上がり鬼の枕元へと近づく。
穏やかな寝息で膨らみ縮む背中。バールを両手で握り、振り上げた刹那、黒く丸まった鬼が飛び起きた。間近に来た男の気配を感じたのかそれとも狸寝入りをしていたのか、鬼の真意を知る由もない。それでも、剥き出された牙は一直線に男の喉へと向かう。
男は怯まず、バールを振り下げた。バールは鬼の鼻先にぶつかり、牙の軌道はずれる。
代わりに鉤爪は男を襲った。黒銀の刃が男の腕を引き裂く。いや、これは大げさな言い方だ。鉤爪は袖を裂いて、肘から手の甲まで切っ先が掠めていった。深い傷ではないが、浅い傷でもない。
鮮血が川のように流れて床に滴る。バールを握る力が強くなる程に流れる量が増えていく。痛みも流血も気にせずに今にも吠えそうな鬼の口の中へバールを突く。
耳障りな金切り声を聞く前にその声帯を潰せたのはよかった。あんな声で泣かれたらどこかにいる鬼が聞きつけてしまっただろう。ただ、喉に刺したバールが抜けない。
鬼は邪魔になっているバールを取り除こうと首を振るう。手を放せばよかったのに、唯一の武器を取り戻そうと振られるバールをしつこく握る。そんな執着心が男の身体を投げた。
大きく強く振るう首に合わせて、男も同じ力で振るう力は到底抗いようがなく、身体は右から左へと振り回されて通路へと飛ばされる。
砂、塵だらけの床と腕の傷口は接触して摩擦を起こす。痺れた痛みが脳に伝わる。鬼は喉に刺さったバールを引き抜いて床に投げると怒りの眼差しをこちらに向けた。
傷ついた腕を庇いながら立ち上がろうとするもすでに鬼は目の前まで迫っており、口から滝のように血が流れて、男の頭上へと注がれる。怒りの鉤爪が横たわる男の肩から腹を引き裂く。そうなる前に身体を捩じらせて刃を回避する。避けられたことに苛つきを見せながらも、もう片手で男を捕えようとする。
男の脳はひとつの対処策を出していた。まず、腰と脚を自身の頭に向かわせるように上げて足先の軌道は鬼の下顎へと衝突する。鬼の頭は見上げて喉元に隙が生じる。そこへもう一度、両脚の蹴りを見舞わせた。
鬼の身体が退けそっているうちに立ち上がる。軽い脳震盪を起こしていた鬼は男に対して何もできず、茫然として見つめる。
衝撃を負ったその脳に追い打ちをかける。握った拳は目、喉、耳と急所と思われる部位を執拗に攻めた。腕の痛みも忘れて息さえも止めていた。連続的に追わせられる頭への打撃に鬼の思考はついていけず、男に殴られるまま抵抗もしなかった。
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