10
その日、男がやってきても最近当たり前になっていた憎まれ口が聞こえてこなかった。
「…どうかしたのか?」
ベッドサイドに近寄ると、腰かけることなくベッドの中を覗き込む。
「いぇ…なんでもないわ、大丈夫よ」
そう言った女の顔はいつも以上に真っ青だった。
「…医師を呼んでくる」
男が踵を返そうとすると「必要ないわ」と弱々しく声がかかる。
「もう診てもらっても、どうしようもないの…予定より、長く持った方だわ」
目を開けているのも辛いのか、女はそのまま目を閉じた。
男は女の生存を確かめるように、静かな室内に微かに聞こえる呼吸音をただただ聞いていた。
***
楽しい時間はあっという間に終わってしまった。
といっても、2人だけでの対談は30分という約束だったのに、予定を盛大にオーバーして3時間近く話し込んでたらしい。
部屋の外に待機していた護衛の人に何度か「お時間ですよ」と急かされてはいたのだが、シンさんの「あともう少し」というお願いを繰り返してそこまで伸びてしまい。話終えて扉を開けた瞬間、シンさんは夫であるアラム王子に「待ちくたびれた」と、ぎゅうぎゅうに抱きしめられていた。
…ちなみにアラム王子は約束の時間からずっと、まだかまだかと部屋の前で待機していたらしい。
そこまで愛されているのなら、喚び戻されるのも納得である。
2人きりの対談の後は、みんなで会談したり時間があれば少し観光案内する予定だったのだが、キヨたちのせいで予定が大幅に狂ってしまったため、簡単な会談だけ済ませるとシンたちは「絶対また来るから!」と言って帰って行ってしまった。
その日の夜も、興奮が抜けきらずに目をらんらんとさせていると「ほら、寝ますよ」とレイに頭を抱きしめられる。
「…はぁい」
返事をしてじっと目を閉じていると、レイの体温とゆったりした呼吸音がなんとも心地良くて、あっという間に眠りにつくことができた。
「…ん」
深夜、何かを感じ不意に意識が浮上する。
うっすら目を開けると、どうやらレイが体を起こしたようだ。まだ日が昇っていない暗い室内で時計を見ると、3時過ぎだった。
「…起こしてしまいましたか、すいません。まだ起きるには早いので、寝て下さい」
そう言いながらもレイ自身は布団に戻らず、レイの自室へと消えて行った。
真横で眠るようになってから気付いたのだが、レイはこのくらいの時間に毎回目を覚ましてしまうらしい。
(…トイレ近いのかな)
いつもならキヨはこのまま2度寝に突入するのだが、今日はシンと会えたことを思い出してしまい、目を閉じても興奮が蘇りとても眠れそうにない。逆にどんどん目が覚めていってしまう。
(…このままじゃ寝不足になるから、レイが戻ってきたら頭ギュッとしてもらおうかな)
自分からそれを頼んだことはないのでちょっと恥ずかしい気もするが、背に腹は変えられない。
…そう思って待っていたのに、レイは起床の時間になっても、寝室へ戻ってくることはなかった。
(もしかして、今までも夜中に1回部屋に戻った後、寝室には帰ってきてなかったのかな…)
…もしかしてオレの寝相が悪いのだろうか?
欠伸を噛み殺しながら朝食の席へ向かうと、いつも通り、レイは既に着席していた。
「おはようございます」
「…あぁ、おはようございます」
昨日までレイの表情は少し柔らかくなったと思っていたのに、今日はなんだか前に戻ってしまった気がする。
表情が少し強張ってるし、何だか少し上の空だ。
「…昨日、疲れましたか?オレがキヨさんと話し込んでしまったせいで、予定が狂いっぱなしで…色々変更してもらってすいませんでした」
「いえ、大丈夫ですよ。もともとキヨとシン様のために設けた場だったのですから、なるべくお2人が望んだ型にしたかったので。シン様にも満足していただけたようですし…キヨも少しでも楽しめましたか?」
「はい、とっても!あんなに喋ったのに全然喋り足りなくて…!」
「そうですか。それならよかった」
レイはほんの少しだけ、微笑んだが、どことなくぎこちない気がした。
「では教会に行きましょうか」
「はい」
最近はもう仕事に行くのに「どうされますか?」などは聞かれない。
キヨがレイの仕事に同行するのが当たり前になったので、前日までに次の予定を教えてもらえるようになったのだ。
あの日以来、夜中にレイが目を覚ました後帰ってくるかどうかを何度か確認してみた。
するとやっぱり、レイはあの時間に起きて以降は寝室へは戻ってこないようだ。
…と言っても、ほとんどオレが2度寝しちゃったから3回くらいしか数えられてないんだけど。
それでも3回中3回は立派な100%だ。100%帰ってこないということは、やっぱり何か理由があるんだろう。…正直本気で心配になってきた。
「レイ、あの…ずっと聞きたかったんですけど、オレの寝相悪いですか?」
今日はたまたま、従者さんとオレたち2人で別々の馬車に乗ったので、勇気を出して聞いてみた。
「もしくはイビキとか…」と付け加えると、レイは目をパチパチさせた。
「どうしたんですか、突然。特に気になったことはありませんが…」
「レイ、夜中によく目を覚ましてるけど、部屋に行ってそのまま寝室に帰ってこないこと多いですよね?だからもしかして、オレのせいかな?と思って…」
言葉を萎ませながらそう言うと、レイは少し眉を下げた。
「あぁ、何度か起こしてしまいましたね。すいませんでした。キヨに何かあるわけではありませんよ。いつもあの時間に起きて………仕事をしているんです」
「仕事、ですか。あんな時間に…」
「…えぇ。あの時間は皆が寝ていて屋敷中静かなので、集中できるんですよ」
「そうなんですか…」
だとしたら、レイの睡眠時間は多くても3〜4時間ってことじゃないだろうか。たまにならまだしも、多分毎日。
(…だからオレを早く寝かせようとしていたのかな)
早く寝たいのにオレが中々寝ないから、だからぎゅっと寝かしつけてくれてたのか。
…なんだかものすごく申し訳ない気持ちになる。
「…睡眠時間短すぎませんか?大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。最初は大変でしたが…最近何故か、体がとても軽いんです。全く寝不足など感じないくらいに」
「だったらいいですけど…あんまり無理しないでくださいね」
「…はい。ありがとうございます」
レイがふわりと笑った。
いつも硬い表情のレイが笑うのはとても貴重だ。っていうか口角上げるだけじゃないちゃんとした笑顔は初めてかもしれない。顔面がいい人のこんな不意打ち笑顔はとてつもなく心臓に悪い。
少し跳ね上がった心臓を抑えるように胸にぎゅっと手を当てながら、今日から早く寝ようと心に決めた。
…しかし寝ようと意識すると変に寝れなくなってしまって、「寝て下さい」と頭をぎゅっとされながら眠る日が続いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます