9


「…あら、今日は一段とお早いことで」

つい10分ほど前に目を覚ましたばかりだった女は、いつもと違う時間の来訪者に驚いた。


「あぁ。急遽、1番目の神子様がいらっしゃることになったから、今日はすぐ出なければならない」

その言葉に、女は目を瞠る。


「まぁ…!!1番目ということは、シン様!!すごいじゃない!!シン様はシノ様ともよくお会いされてるそうだし…あちらの王様は寛大なのね、うちのような小国にも来てくださるなんて…!私もお会いしてみたかったわ…」

「あちらは世界一の大国だから、少しくらい神子様が国外に出ても国内が揺らぐことなんてないんだろう。うちだとそうもいかないからな…向こうから申し出があって助かった」

そう言いながら、男はベッドの中を覗き込んだ。


「…変わりないか?」

「ええ。いつも通り、最悪よ。…貴方はなんだか前より良い顔してるわね」

「…そうか。最近、妙に体が軽いんだ。…またくる」

女の頭をひと撫でしてから遠くなっていく男の背中を、女は「そういう意味じゃないんだけどなぁ…」と呟きながら目を細めて見つめていた。




***




キヨの返事が伝えられると、なんと、その翌日にはシン様が来てくださることになった。

そんなすぐに会えるもなのかと驚いたが、実はキヨが召喚されたと結婚式で大々的に発表してすぐに、向こうからアプローチが来ていたそうだ。しかし相手が世界一の大国で、しかも1番目の神子様ということで、こちらの国が尻込みしつつも大国相手に断れず、のらりくらりと先延ばしにしながらお迎出来る環境を整えていたそうだ。そんなこんなでようやく得られたこちらからの承諾に、「意思の変わらぬうちに是非」と翌日に決まったらしい。



「あぁ、どうしよう。めっちゃドキドキする…」

久々に訪れた王城の玄関先で、レイや国王とともにシン様をお出迎えするために集まった人々の中心に立ちながら、キヨは興奮を隠しきれない様子で胸に手を当てた。

そんなキヨの様子を見て、レイが口元を少しだけ緩める。


(…最近、レイの表情が少しだけ柔らかくなった気がする)

柔らかくなったと言っても元々が硬すぎたので、普通になったと言った方が正しいかもしれない。

硬くなくなっただけで、表情豊かになったわけではないから。



そうこう思っているうちに、数台の馬車に護送されたひときわ大きな灰色の馬車が1台、到着した。

従者さんが扉を開けると、最初に真っ赤な髪をした見るからに王子様な人物が降りてきて…そしてその人のエスコートにより黒い髪の人物が降りてくる。


(…この人が、シン様)

身長はキヨと同じくらいだろうか。年はキヨよりも少し年上くらいの、20代前半に見える。


国王やレイが「遠慮はるばるようこそおいでくださいました」と挨拶をし始めたのに、キヨは1人、シン様から目を離すことができず、その全身を穴が開くほど見つめていた。

そんな視線に気づいていたのだろう。国王へ挨拶を終えるとすぐに、シン様はキヨに目を向けた。


「はじめまして。私はシンと呼ばれていますが、本名は神崎信一といいます」

伝えられたその名前に、全身が歓喜に震える。


「あの、オレっ…あ、私は、榊原清武といいます。日本人です!」

挨拶の仕方は一通り教えられていたのに、そんなのは全部すっ飛んで不躾な話し方をしてしまった。

それなのに神崎さんは、

「やっぱり。写真見た時からそうなんじゃないかって、ずっと思ってたんだ。オレも日本人なんだよ」そう言ってふわりと笑ってくれたので、キヨは思わず泣きそうになった。


その後、場所を移動してみんなで昼食をとったのだが、キヨは神崎さんと早く話したくて気が気じゃなくって。いつも以上に豪華な食事も、この日ばかりは何の味もしなかった。



そしていよいよ、神崎さんと話ができる時間になった。

レイや国王たちは、オレと神崎さんの他に護衛や両王子を同席させようとしてきたのだが、「それじゃあキヨ君と思ったように話せないじゃん」という神崎さんの鶴の一声で、予定していた会談時間にうち最初の30分は2人きりで話せることになった。

キヨはこの時、神崎さんは“神子様”ではなく神だと思った。





「神崎さん、あの、本当にありがとうございます。まさか日本人がこの世界にいるなんて思わなくって…オレ、本当に嬉しくって…」

勝手に込み上げてくる涙を垂れ流しながら言うと、神崎さんが持っていたハンカチでキヨの涙を拭ってくれた。


「…もっと早く来ればよかったね。オレも、初めの頃ワケわかんなくてすっごい不安だった。

2番目の神子様って呼ばれてる由伸も日本人なんだけどさ、由伸と初めて会えた時にすっごい嬉しかったの今でも覚えてるし」

神崎さんはそう言って優しく笑った。

それから、日本の出身地や思い出話してくれたので、きっと部屋がこんなお城じゃなければここは日本なんじゃないかと錯覚してしまっただろう。それくらい、久しぶりの日本の話に夢中になって楽しかった。

ちなみに神崎さんは23歳でオレと5つしか変わらないらしい。

オレが「18なので君付けはちょっと恥かしいっす」と言ったら、神崎さんも「じゃあオレも下の名前で呼んでくれ」と言ってきたので、キヨとシンさんで呼び合うようになった。


「…キヨはここに来て3〜4ヶ月くらいだっけ?」

「はい。シンさんはいつからここにいるんですか…?」

「オレは、最初に来たのは16だったかなー?そんで戻ってきたのがハタチ」

シンは当たり前のようにサラッと言ったが、キヨにはよく理解できなかった。


「戻ってきたって、なんですか?」

「あれ、キヨ知らなかったんだ。…そっか。まだ3〜4ヶ月位じゃ他国のことまでそんな知らないよな。オレね、この世界に来てから1回、日本に帰ったんだ。そんで4年後にこっちに戻ってきたんだよ」

「え…日本に、帰れるんですか…?」

それは衝撃だった。


キヨは日本にいた頃、異世界トリップの小説を愛読していた。だから変な先入観により“日本に帰れないものだ”と勝手に思い込んでしまっていた。

…しかしやはり現実と小説は違うのだ。

(日本に、帰れるかもしれないんだ…)

それは突然湧いた希望の光だった。



「…うん。少なくともオレは帰れた」

「どうやって、帰れるんですか…!!」

キヨの興奮に気付いたシンは、少し気まずそうに頬を掻いた。


「あー…うん。うちの王子には、神子たちとなら情報共有していいって言われたから言うけど…まず前提として知ってて欲しいのは、これはうちの国の言い伝えみたいなものだから、他の国に当てはまるかわからないし、あんまりむやみやたらとは広めて欲しくは無いんだけど…」

「はいっ」

「…うちの国では、神子が心の底から“この世界に自分は必要ない、元の世界に帰りたい”って、そう思った時に帰れるって言われてるんだ。…実際、オレが帰った時も、そう思った時だった」



「そうなんですか…」

(帰りたい…)

それを思ったことは何度もあるけど、この世界に必要ないなんて、今まで考えたことはなかった。

だってみんな魔物が出なくなったって天候が良くなったって、みんな神子様がいることを喜んでくれてる。

だからキヨはいつだってこの国に必要とされてると感じていた。

…帰れる条件を聞いても、その考えを変えることはできそうもない。


「…でもね。この世界で元の世界に帰ってからこっちの世界に戻ってきたのは、歴史上オレだけらしいんだ。だからその言い伝えが正しかはわからない。オレがたまたま当て嵌まっただけかもしれないし…

この世界から消えてしまった神子は今までにたくさんいるみたいだけど、そのあとこの世界に戻ってきた人はいないから、その人たちが元の世界に帰ったかのかどうかも、調べようがないからわからないし」

「そうなんですか…」

少し落胆したキヨを見ながら、シンは言葉を付け加えた。


「あと、帰りたい気持ちがあるならもう1つだけ、絶対に覚えておいて欲しいんだけど」

「…はい」

「召喚って本当は命がけの儀式で、すっごいパワーや魔力を使うんだ。だから魔力や体調を整えてしっかり準備をしてやらなきゃいけなくて…同じ人物による召喚は数ヶ月間隔を開けるようにどの国でも決まってる。

もしそれを無視して無理に召喚を行なうと、魔力が吸い取られて倒れたり植物状態になったり、最悪亡くなっちゃうこともあるらしいんだ」


(そんなの…知らなかった…)

色々と勉強をしている中に召喚のことも入っていたはずなのだが、そんなことは全く聞いたこともなかった。

自然とキヨの顔が少し強張る。


「…オレが1度日本に帰った時、うちの王子はオレを喚び戻すためにそういう無理な召喚を毎日のように続けてたらしい。たまたまうちのは無事だったんだけどさ。

由伸のところは…由伸がいなくなった時、日本に戻ってしまったと思ってやっぱり無理な召喚を続けて…そんで、心臓が1回止まったんだ。今はもう元気だけどね、その時は本当に死んでもおかしくない状態だったんだ」

「……」

「この世界の人たちは…特に神子を召喚した人はね、神子のことをうんと大事に思ってるんだ。オレたちが考えてるよりもずっと。だからいなくなってしまったら“絶対に呼び戻したい”ってなって、そんで無茶な召喚をしてしまうんだ。だからキヨがもしいなくなったら、きっとレイ王子もそういうことをする。命がけでキヨを戻そうとする。

…それだけは、忘れないで」

「…はい」


(レイはきっと、自分が消えてもそんなことはしないだろうな…)

そうは思ったが、少なくとも最初の召喚の時は命がけでオレを喚んでくれたのだろう。

それを思うと、申し訳ないようなありがたいような、なんとも言えない気持ちがじんわりと広がった。


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