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「今日は休みだ。ゆっくりいられる」

「ゆっくりって…休みだったら尚更神子様の元にいてあげなきゃじゃないの?」

今日も当たり前のようにやってきた男に対して、女は溜息混じりに答えた。


「どうして?毎日ずっと一緒なんだ、休みの日くらい好きにさせてくれ」

「またそんな言い方をして…最近は神子様と一緒に教会に出かけたりしてるんでしょう?すごく評判だって聞いたわ。…こうしてどんどんと、平和になっていくのね」

女は窓の外を見ながら、眩しそうに目を細めた。


「不思議だな。神子様のおかげで平和になってると聞けば聞くほど…どこかやりきれない気持ちになる」

遠い目をする男に、女は寂しげに笑った。



***



「今日は仕事はありませんので、どうぞご自由にお過ごし下さい」

「自由、ですか」

「はい、ご自由に」

外出したい際は従者を伴う事、地図はこちら、お金が必要なときはこのカードで、と簡潔な説明を付け加えると、レイは「では私は私用がありますので」とさっさと出かけて行ってしまった。


そんな姿を見て、レイにとっては本当に名前だけの夫婦なんだなぁと改めて思う。

政略結婚とはわかってはいたものの、必要最低限しか行われない会話も、いつまでも硬いままの表情も、寝る時に向けられる背中も。あまりにも露骨で、嫌われているんじゃないかとさえ思えてくる。


(…でも自分が喚んだ手前、嫌だとしても言えないんだろうな)


取り残された食卓でのんびりと食後の紅茶を味わっていると、「昨日も魔物は1匹も出ませんでした。それに10年に1つしか実らないと言われている幻の果物が、大量に収穫できているようです。午後のティータイムの時にお持ちしますね」と従者さんに話しかけられた。

「…そうなんですか、ありがとうございます」


毎日毎日、この従者さんは「昨日も魔物は出なかった」と笑顔で報告してくれるのだが、魔物を見たことのないキヨは未だにピンときていない。


「あの…オレ、魔物って見たことないんですけど、写真とかってありますか?」

「えぇ、ございますよ。お持ちしましょうか?」

お願いしますと伝えると、すぐに資料を取ってきてくれる。

分厚い動物図鑑の哺乳類、爬虫類、などの分類に、"魔物“という項目があり、そのページを開いてくれた。


「これが、魔物…」

大きさは様々だが1〜3mくらいのものが多いようだ。日本でよく見る動物とどことなく形は似ているが、ショッキングピンクや蛍光の黄色のような毒々しい色や、大きな牙、モノアイや多すぎる手足など、どこか奇抜な見た目をしている物が多く、こんなのが存在しているのか、と目を丸くする。

「えぇ。魔物は種類も豊富で、解明されていないことも多いのですが…この空を飛ぶ魔物は割とよく見られましたね。魔物にとって人間は食料の1つのようで、力も強く、とても危険なんです」

「そうなんですか。どのくらいの頻度で出るんですか?」

「王都周辺は月に数回〜数十回…都会もそのくらいの頻度が多いですかね。しかし森に近い場所ですと、ほぼ毎日何かしらの魔物が現れていました。それが全くの0になりましたので、本当に皆神子様に感謝しているのですよ」

「そうなんですか…」


こんな大きなものがそんなに頻回に暴れていたのなら、それはそれは大変なことだろう。

それでもやっぱり自分のおかげという実感はないが、どことなく嬉しい気持ちになれた。



(しかし自由って言われても、何しようか…)

地図を渡されたけど、それだけじゃどこにどんな店があるのかよくわからないし、お金も…何がどのくらいの価値で誰のお金なのかもさっぱりわからないので、あまり出かける気にはなれない。


(んー…2度寝でもするか)

自室へ向かい寝室の扉を開けると、ベッドのシーツはすでに新しいものに換えられていた。

ベッドに上がると、レイは今いないのに、どうしてかいつも通りベッドの端っこに丸まってしまう。


この世界に来て以来、結婚式までは何も考える暇もないくらい怒濤の3日間だった。その後も間を開けることなく、誘われるままに毎日仕事をしていた。

だからきっと、心も体も疲れていたのだろう。そこまで寝たかったわけでもないのに、目をつぶれば5分もしないうちにキヨの意識は暗転した。









「おい、清武!お前何寝てんだよ!」

名前を呼ばれて目を開けると、目の前には親友の小林の顔。


「あれ、コバ…」

呆れた顔をするコバに、寝ぼけた頭で周りをきょろきょろと見渡す。

夕暮れの教室に、6時付近を指す時計、黒板には日付と曜日に今日の当番の名前がある。廊下は静かだが、窓からグラウンドを走り回っている部活動の声が聞こえてきた。

「お前全然委員会来ないから、見に来てみれば寝てるって…どんだけ爆睡してんだよ」

こんな時間までさぁ、とコバがため息をつきながら顔を歪める。

もう一度黒板を見ると今日は水曜日。

(あぁ、水曜だから今日は委員会の日だったのか…)

どうやら放課後の教室で爆睡していたらしい。


「あ、ごめん…」

こんな時間だから委員会はとっくに終わってしまっただろう。

コバ1人で行ったのだろうか?どうせなら終わったあとじゃなくて行く時に起こしてくれればよかったのに。


「いいよ。で、この後どうする?教会でも行く?」

「教会…?何言ってんだ?」

教会なんて行ったことないだろう?そんなんどこにあるのかさえ知らないのに。

「じゃあどうする?鬼ごっことかさ、氷鬼とか…」

「…はぁ?何言ってんの、コバ…」

鬼ごっこも氷鬼も、お前とはしたことなんてないだろう。その遊びは…


ガラッ!と突然教室の後ろのドアが開く音がすると、そこから白い服を着た子どもたちがたくさん室内へ流れ込んできた。

「神子様!つかまえた〜!」

「たー!」

「あれ、なんで学校に…?」

子どもたちを受け止めた後視線を上げると、コバがいたはずの場所に硬い顔をしたレイの姿が。


「キヨ、帰りますよ」

「帰るって、ここはオレん家じゃん」

ほら、リビングのテーブルに食べかけのポテトチップス、電源の入ったテレビに夕飯を作ってくれてるばあちゃんに…あ、ここオレん家じゃなくてばあちゃんちだった。

…あれ?違う、教室…あれ、コバは…?







ぱっと目を開けると、目の前にはレイの顔。


「…大丈夫ですか?朝食の後からずっとこちらに篭っていたようですが…ご気分が悪いのですか?」

そう問いかけてくる表情は、相変わらず硬い。


(なんだ…夢…だったのか…)

夢。

学校も、コバもばあちゃんも…さっきのが夢で、こっちが現実。


(…夢じゃ、ないんだ)

爪を立てるようにぎゅっと力を込めて握ると、当たり前のように痛みを感じる。

今いる世界が夢じゃない。 この世界が、現実。

オレは本当に異世界トリップしてしまっているんだ。あぁ、だからもう…

(夢でしか、みんなと会えないんだ…)

この時、唐突にそれを実感してしまった。



異世界トリップのことは、ずっと頭では…知識では理解しているつもりだった。

だけどそれがキヨにとってどういう意味合いを持つのか、今まで無意識に深く考えないようにしていた。


だって考えてしまったら、これが現実でこの世界にいるだけで平和になるからと喚ばれたのなら。

討伐も、浄化も…何もすることがなくて、ここに存在することだけが目的ならば、

小説のように何かを成し遂げてそれで神子様の役目はハイおしまいってことにはならない。

キヨが生きている間ずっと、ここにい続けることを望まれているということだ。つまり、


(…日本にもう、帰れないんだ…)


ずっと目を逸らしてたけど、異世界トリップとは、そういうことなんだ。これが現実なんだ。


そんなこと、考えたくなかった。

認めるのが怖かった。

ばあちゃんも、母さんも、父さんも、コバも、他の友達も、みんな…

もう会えないなんて信じたくなかった。


この世界のために動いてたら、ずっと何かをして気を紛らわせていたら、こんなこと考えないで済むと思ったのに…



キヨは1週間目にしてようやく、異世界トリップの残酷な現実に向き合ってしまった。




「〜〜〜っ」

「キヨ…?」


レイが見ているとわかっていても、何とも言い表せない感情が次々と溢れ出し、流れる涙を止めることができない。


「ごめんなさい…ちょっと、1人にして下さいっ」

「…泣いているのですか?医師を呼びましょうか?」

「何でもないっ…何でもないんです…」

「何でもないのにそんなに泣くわけがないでしょう…」

目元を手で覆いながら半分顔を布団に潜り込ませるようにして泣き続けるキヨに、レイは「医師を呼んできます」と立ち上がった。


「いいです…本当に何でもないんです」

「いいから待っていてください。すぐに戻ります」

「本当に、大丈夫ですからっ…ただ、本当に異世界に来ちゃったんだなって、急に実感しちゃっただけで…」

そこの言葉に、出口に向かって歩みを進めていたレイは足を止めた。


「異世界に来たのはわかってたのにっ、わかってるつもりだったのに…オレはもう日本に帰れないんだなって、みんなに会えないんだなって思ったら…何か涙出ちゃって…」

「……」

「…明日から、またちゃんと頑張るんで。今日はちょっと1人にして下さい」


レイがまた歩き出した。

今度は扉ではなく、キヨの方へと向かって。


「…すいません。異世界から喚ぶということは、神子様にとってそういう事なのだと…考えてもいませんでした。国の平和のためと、そればかりで…私のせいで、すいません」

そう言って、レイがベッドサイドからぎゅっと、キヨの頭を抱きしめるように覆いかぶさった。

「〜〜〜っ」


キヨは言葉を返すこともできずに、ただただ泣き続けた。

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