1時間SS
元とろろ
におい
犬のように。象のように。豚のように。鮫のように。
俺は人一倍においに敏感だ。
ただ嗅覚が優れているというだけではない、らしい。
らしいというのはそうではない――そうではない方が普通なのだと――人の話を聞いてようやく理解したからである。
においを嗅げば相手のことがわかる。
体調だとか気分だとか。嘘をついているとか、悪意を持っているとかそういうことだ。
そういう特技を生かして、俺は警察官を務めている。天職だと思う。
勿論、においというのは他人を納得させる証拠にはならないから、あくまでも俺一人がこっそりと調査方針を立てる参考にするだけである。
「花田刑事、今度のヤマはどう思います?」
同僚の脇山刑事がにたにたと笑いかける。
こいつはいつでもほんの少し悪いにおいをさせている。
別に犯罪や違法捜査に手を染める悪徳警官というわけではない。
今のこいつはあわよくば俺の出す成果に乗っかろうとしているだけだ。
いい加減長い付き合いで、そういう小狡い性格だが決定的な悪事は働かないというのもわかってきた。
そしてどんな善人であっても少しは悪いにおいはするのだと、この年になれば嫌でもわかってしまっているのだ。
「状況的に怪しいのは一人だろうがよ。だが」
「だがなんです?」
「においはいいんだ」
「はあ」
それは関係ないのでは、と言いたげだ。
こいつには、そして他の誰にも、俺の鼻の話はしていない。
「ああ刑事さん、今日もお疲れ様です」
綾椎井という女はほんのり頬を染めて俺に笑いかけた。
今のところ一番怪しい、というよりは唯一の容疑者だ。
「相変わらずにおいはいいな」
「え?」
「なんでもねえ」
うっかりと口に出してしまっていた。幸いにもよくは聞こえなかったらしい。
俺の鼻も相手を見誤ることはある。間違えるというのではなく悪意なしにやらかす類には大して意味がないのだ。
こいつもそうなのだろうか。
だとすれば余計気合を入れなきゃならないもんだが。
「どうもどうも、今日は僕もお話よろしいですか?」
「ええ、構いませんが。あなたは脇山さん、でしたっけ」
「ですです」
脇山刑事は事件当日こそ一緒に現場を洗ったものの、その後は調べたいことがあると言って別行動をとっていた。
それが今日は俺と一緒に綾椎井の所に行くと言い出した。
なにか掴んだのかと思っていたが。
「――はい、全て脇山さんのおっしゃる通りです。私がやりました」
綾椎井はあっさりと自白した。
それから大人しく手錠をかけられ、署へ連行する時も、話を聞いて書類を作る時も、驚くほど協力的だった。
事件は解決した。
「花田刑事、本気で驚いてましたね」
「お前、なんであいつがクロって俺に黙ってた」
全てが終わり二人で缶コーヒーをすすっていた時、脇山刑事は毎度の如くにたにたと笑った。
「いやね、今となっては申し訳ないんですが花田刑事はあの人を庇っているんじゃないかと」
「なんだそりゃ」
どうして俺がそんなことをする。
「わざと捜査に手を抜いてたんじゃないんですよね。自覚なしですか」
「なにがだよ」
「ちょっとだけ他の人より優しかったでしょ」
「俺があいつにか」
そんなつもりはない。ない、が。
思い返せば、自分でも知らないうちにそうなっていたのかもしれない。
どんな人間でも悪いにおいはすると思っていたのに、あいつはそうじゃなかったから。
少しだけ柔らかい態度が表に出ていた、かも知れない。
そういうことがなかったと、決して否定はできなかった。
「あの人も、花田刑事にだけ少し優しかったんですよ」
脇山刑事は手に持った缶を見ながらそう呟いた。
俺は聞こえなかった振りをした。
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