第9話「毒蛇の唇」


「うーん」

「どう、マリンさん?」

「あんまり詳しい事は言えないわね、仕事だから」

「やっぱりね」


 もちろんリコラとて、闘技場の審判兼ナレーターをやっている彼女が、うかうかと個人情報を流すとは思わない。単に同じ孤児院出身であった彼女の顔を身に来たのだ。


「じゃあね、マリン」

「やはり、あなたはこの闘技場に参加し続けるの?」

「一応、ね」


 そう言って自身の細い肩を竦めて見せるリコラ、彼女に対してマリンは一枚の紙切れを取り出し、リコラの目の前にヒラヒラと泳がす。


「このままいくた、あなたの相手にあのヴァイパーがいる事になるわよ」

「へえ……」

「止めときなさい」

「嫌よ、そんな敵前逃亡みたいな真似……」


 口をすぼめて椅子から立ち上がるリコラ、そのまま席を外そうとする彼女の背に、マリンは。


「このヴァイパー、ルーキーキラーにとっては、今の貴女は格好の餌食でしょうね」


 そっと声を描けてくれるが、その言葉にリコラは何も答えない。




――――――




「ヴァイパー、か」


 下宿している宿に戻ってきたリコラではあるが、昨日のノエルを下した相手「ヴァイパー」の顔が頭から離れない。


「何となく、タチが悪そうではあるのよね」


 あの闘技を見た後、少しばかり噂を耳にしたリコラではあるが、その毒蛇ヴァイパーという名の通りの男らしいと聴いた。何か後ろめたい、汚れ仕事も請け負っているらしい。


「まあ、いいわ……」


 安っぽい蛍光灯にその褐色の裸体を晒しているリコラは、そのまま夜着にと着替え、床に着こうとする。


「お休み……」


 そのまま蛍光灯を消したリコラは、スルリとベッドにと潜り込もうとした、その時。


「おーい、いるかぁー?」

「な、何よ……?」


 聞き慣れない男の声、その声に不審げになりながらもリコラは渋々と灯りを付け、そのまま部屋のドアにと近づく。


「……どなた?」


 そう問いただすときにもリコラは拳銃、リボルバーのそれを手放さない。もちろん用心の為だ。


「ハーイ」

「……!!」


 そこに立つのはフランクな男、消えかかった電灯により照らされるその男は、先の闘技場でみたヴァイパーという男である。


「な、何よアンタ!?」

「いやー、ちょっと酒を飲み過ぎちゃってさあ……」


 そう言いながら、酒臭い息を吐き出すヴァイパー、その彼の目に怪しい物を感じとったのか、夜着に包まれたリコラはそっと己れの拳銃にその指を添えた。


「早く立ち去って」

「つれねぇなあ、止めてくれないかい?」

「いいから……」

「頭が痛ぇんだよ、リコラちゃん」

「あなたに気安く呼ばれる筋合いはないわ!!」


 にやけた面構えのヴァイパーにそう啖呵を切るリコラ、彼女は手に持った拳銃の先をそのまま彼ヴァイパーにと突きつけると。


「これは脅しじゃないわ!!」

「う、うぇえ!!」


 彼ヴァイパーに威圧の声を発したが、その言葉を耳にしたかしないか、ヴァイパーはその場にうずくまって、軽く呻いている。


「うぅ、気持ちわりぃ……」

「ちょ、ちょっとあなた……」

「吐きそうだぁ」

「あ、あのね!!」


 家の前で吐かれてはたまったらものではない、仕方なくリコラは彼の背を押し、そのまま小道の側溝へと誘おうとするが。


「……!!」


 その時に、突如として振り向いた彼「ヴァイパー」からの口づけ、それを自らの唇にと受けてしまったリコラは、そのまま。


 パァン!!


「早く消えて!!」

「おお、怖ぇ怖ぇ!!」

「私は本気よ!!」


 ガァンッ!!


 激昂したリコラは彼を平手で張った後、リボルバーの弾をヴァイパーの足元にと放ちつつ、震える声を発しながら彼の顔を、憎しみを込めてにらみ続ける。


「失せろ!!」

「へいへい……」


 その唇の端を歪めながら、どこかリコラをバカにしたような声を出すヴァイパー。彼は一つリコラにウィンクをした後、そのまま夜の闇にと消えていく。


「はぁ、はぁ……」


 玄関のドアを叩きつけたリコラはそのまま洗面所へと行き、そのまま自身の唇を錆の臭いがする水道水で洗い流す。その仕草をしている最中にも、彼女の身体は震えたままだ。


「くっ……」


 知らず知らずに涙が零れ出る、その自分の涙にも気がつかないまま、リコラは必死で自分の唇をすすぎ続けた。




――――――




「赤コーナー、ファティマ選手の勝利です!!」


 リコラはその彼女、以前に店で出会った少女である彼女の戦いをじっと眺めていたが、結局どのように今の対戦相手、剣を携えたその相手に勝ったのかがよく解らなかった。


「見えない攻撃、まさかね……」


 敵情視察、とも言えるがどこかぼんやりしたリコラ、それは昨日レイチェルによって稽古をつけてもらったときにも指摘されている。


「次の対戦は、三十分後です……」

「……」


 そのナレーターの言葉にリコラは一つため息をつきながら、顔に張りついた砂を拭う。その自らの手の甲が唇にと触れたとき。


「……くそ!!」


 忌まわしい記憶が呼び起こされ、そのまま彼女は何度も自分の唇を擦り続ける。


「……ふう」


 そのリコラの様子を近くの観客は奇異の目で見つめていたが、しばらくするとその目はリングの方にと向かったようだ。


「……」


 しばらくそのまま髪を風に靡かせ時を待つリコラ、闘技場の席が次々にと埋まり、そして。


「これより、第二試合を開始します!!」


 ドォウン……!!


 鳴り響く銅鑼の音と共にリコラの視線はリングにと向かわれる。


「フン……」


 またしてもあの男、ヴァイパーは人を苛つかせる、ニヤけた笑いをその口の端に上らせながら、その手を対戦相手にと向けている。その向けられた手を動かさず、ヴァイパーは自身の手に持った長剣にて、相手からの斬撃を受け流している。


 サァ……


 その彼の足は見事にステップを切り、そのまま徐々に後退していく、そのなかでも主導権を握ろうとしているのがリコラの目でも解る。凛々しい顔に美しい金髪を持つ女、対戦相手の彼女はそれが解っていないのかもしれない、なお一層激しく剣をヴァイパーにと振り上げ、そのまま追い詰めんとするが。


「Bランク、《自動斬撃モーターソード》ってか……」


 突如としてその剣の勢いが落ちた対戦相手、その彼女は自身の剣先を落としたまま後ろに下がり、剣から放した手のひら、それから紅い光条をヴァイパーにと撃ち放った、が。


「《自動斬撃モーターソード》!!」


 ヴァイパーが跳ね上げた剣、それにより光の帯は切り裂かれ、そのまま一瞬にして彼ヴァイパーに間合いを詰められる。


「あんた、可愛いねぇ!!」

「……くっ!!」

「だが、これで終わりだぁ!!」


 グゥン……


 急速に加速されたヴァイパーの剣、それにより対戦相手の女は一瞬にして制圧され、そのまま審判によるカウントを待つ身となった。


「へっ、可愛い女だ……」


 やはりこのヴァイパーという男は女好きなのだろう、対戦相手の顎にその手を描ける彼ヴァイパーの姿に軽蔑の眼差しを送りながら、リコラはスッと闘技場観客席を立った。

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